2011年3月11日の東日本大震災の発生から13年目の2024年3月11日の午後7時より、東京都千代田区の東京電力本店前にて、「事故から13年~追悼と東電抗議 『第126回東電本店合同抗議』」が行われた。
平日の夕刻の開催にもかかわらず275名の人々が集会に参加した。
東日本大震災と能登半島地震の犠牲者を追悼するための黙祷で始まった集会では、大太鼓のパフォーマンス、スピーチと続き、東京電力ホールディングス株式会社社長の小早川智明氏に宛てられた申し入れ書の手交も行われた。
参加団体それぞれの代表者がスピーチを行ったが、たんぽぽ舎共同代表の山崎久隆氏は次のようなスピーチを行った。
山崎氏「今日は、13年前に福島第一原発事故のメルトダウンが起きた日です。第1原発1号機はこの、今ぐらいの時間に溶け始めたと考えられています。そして、13年間、デブリは、ほとんど人が見ることもできない状態で、今も、3基の原子炉の中に眠ったままです。
この国の駄目さ加減を象徴しているのは、誰もこの原発を『どうすることができるのか』、『どうするつもりなのか』を語らないことです。『コンセンサス』という言葉は、この国には存在しません。
独裁国家と同じです。結果的に決められたことを、私たちは押し付けられるだけです。そうではない、特に、福島に住んでいる人たち、被災した人たちを中心となって、『どうするのか』を話し合う、この当たり前のことができない国です。このことが全て問題の根底にあります。原子力行政一つとってもそうです。
今だって、再稼働に反対する世論の方が、潜在的には過半数だと私は思っています。しかしながら、『GX法』なる、とんでもない法律を昨年制定させた岸田政権は、今も国会質問に立てば、答弁に立てば、原発推進を繰り返し、繰り返し述べています。
しかし、『具体的に何をする』とかは一言も語られません。確かに、再稼働は、12基の原発が動き出していますけれども、その後どうするつもりなのか、島根、女川、柏崎刈羽原発、東海第二と動かす、そんなことが本当にできると思っているんでしょうか。
地元の人たちは、とりわけ東海第二、あるいは柏崎刈羽(については)、強い反対の意思を持って、今日も今も運動を続けています。私たちは、このような原発の再稼働を絶対に許すことはありません。
1月1日に起きた能登半島地震では、柏崎刈羽原発の目の前の海で津波が発生し、原発にも少なくとも1メートル程度の津波が押し寄せたことは想定、想像されていますが、驚いたことに柏崎刈羽原発には検潮計がありません。
すなわち、津波の高さを測る装置が存在していないのです。いったいあの人たちはどうやって、引き波・よせ波が来るということを知り、そして避難をするつもりなのでしょうか。
大津波警報が出たら、津波対策を行うと言っていますけれども、柏崎刈羽のような日本海沿岸の原発は、ほとんどが地震発生から数分で津波が到達することはわかっています。
奥尻島しかり、日本海中部地震しかり、今回の能登半島地震しかり、地震が発生してからわずか1分、ところによっては大津波警報よりも前に津波が到達をしているところすらあります。
その高さも、4メートル、5メートル、いや、津波の高さを測る前に、陸上が隆起してしまったため、正確な津波の高さはいまだに実はわかっていません。
これが日本の科学技術の限界です。目の前で起きている地震と津波が、何メートルのものが来ているのか、実は誰にもわかっていないんですよ。それが柏崎刈羽原発で再び起きればどうなるか。
彼らは、12メートル級の津波を想定して防潮提を立てたと言っていますけれども、その程度の津波で済む保証などどこにもありません。
また、柏崎刈羽原発は、今年度中に、使用済み燃料移送計画を発表し、来年12月ごろまでの間に使用済み燃料を青森県陸奥市の中間貯蔵施設に輸送する計画を立てようとしています。
ところが、今、まさに柏崎刈羽原発は津波の襲来が目前に迫っていると、多くの地震学者が警告をしている、その目の前に立っているんです。
すなわち、使用済み燃料輸送船が港に入り、荷積みをしている真っ最中に10メートル級の津波が襲いかかれば使用済み輸送船は、たちまち岸壁に叩きつけられ、そのまま1000メートルの深さの海に燃料容器共に沈んでしまう。
そういうことを想定しなければならないんですが、一切そんなようなことを想定していない。それが現在の東京電力なり国なり、原子力安全の現状です。
これは私たちの力で止めていかなければなりません。どうもありがとうございました」。
参加者各氏のスピーチの詳細については、全編動画にてご確認ください。