今回の都議会議員選挙、東部に位置する江戸川区は5人の定数を8人の候補が争う激しい選挙戦となった。江戸川区の立憲民主党公認候補のよぎ氏(44)は、本名がプラニク・ヨゲンドラで、インド系だ。2019年に江戸川区の区議会議員に選出された。今回は区議から都議への挑戦となる。
ひらがなの「よぎ」は選挙で使っている名前だが、親しい人々からは「よぎさん」と呼ばれている。よぎ氏は6月30日の夕方、JR船堀駅前でマイクを握り、流ちょうな日本語で次のように語りかけた。
「区議会から都議会へ行くことで江戸川区を見なくなる、江戸川区のことを考えなくなる、ということは決してありません。逆に江戸川区を守るために、江戸川区をもっと良くするために、皆さんの生活をもっと良くしていくために、今度、東京都議会の舞台で大きく幅広く仕事をしていきたいと思っております」
生まれ育ったのはインド西部のマハーラーシュトラ州。耳慣れない方も多いだろうが、州都はムンバイ(ボンベイ)で、人口13億人超の大国インドの経済と芸能の中心だ。インドが誇るボリウッド映画もボンベイの「ボ」に由来する。またムンバイはアジア有数の金融都市でもある。
よぎ氏が日本語に堪能で、日本で政治家を目指すようになったのはわけがある。よぎ氏はインドの名門プネ大学で経済学を専攻後、IT技術も習得し、さらに国際交流基金の奨学金で二度、日本に留学した。卒業後はIT技術者として来日、日本の大手金融機関やインドのIT企業などでおよそ20年間、働いた。
その間、よぎ氏は日本で家族を持ち、江戸川区の住民となった。江戸川区は都心に電車の便がよく、インド人IT技術者にとっては勤務先の金融機関などにアクセスが良い。さらに、インド人の住民にガンジス川を想起させる荒川もある。江戸川区には5000人近いインド人が暮らしており、西葛西を中心に日本最大のインド人コミュニティが存在する。よぎ氏の母親も江戸川区の葛西でインドの家庭料理店を営んでいる。
そんなよぎ氏は全日本インド人協会の会長を務めている。ホームページにアクセスしてみると、設立趣旨について、こう述べていた。
「2011年3月に発生した大地震の後、日本の各地に住んでいるインド人に情報を伝達し、サポートする効率的なネットワークがないことに気づきました。それ以降、我々は日本全国のインド人を結ぶネットワークの構築を模索して来ました」
日本社会で長く暮らすうちに、よぎ氏は江戸川区の地域のボランティア活動にも積極的に参加した。2012年には日本に帰化した。個人のツイッターでは「日本人と外国人コミュニティの懸け橋」を目指すことを柱に掲げている。また、「外国人労働者にまつわる問題にも強い関心がある」と述べた。
さらにインドで学んだIT技術や経済学の知識を生かして、「地震や台風などの防災や新型コロナウイルス対策などでも役立てたい」とよぎ氏は述べた。政策としては「健康」「教育」「経済」「共生」の4つの柱を掲げた。
この日の朝、ある新聞で「よぎ氏は6位」と報じられたと言う。定数5だから、あと1人、というところまで迫っているが、激戦区だけに予断を許さない。「梅雨で雨が降って投票率が下がれば組織票を固めた候補は有利だが、自分は不利になってしまう」とよぎ氏は胸のうちを語った。
立憲民主党の街頭演説でも「あと1人」「よぎを都議へ」と応援者たちが訴える中、枝野幸男代表も午後5時半に駆けつけ、「私がここに来た理由はわかりますよね?あと少しでよぎさんは当選できるから」、「これからの都政に必要なのは多様性。だからよぎさんに期待している」などと訴えかけた。
追記
都議選の開票の結果、よぎ候補は7位で落選した。