これが「アメリカファースト」?「米国兵士2万人が助かるなら200万人の外国市民を核で殺戮しても構わない」〜米国市民の意識調査「イランの中のヒロシマ再訪」をIWJが仮抄訳! 2018.1.13

記事公開日:2018.1.13 テキスト
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(文・翻訳:尾内達也、文責:岩上安身)

 北朝鮮と韓国の閣僚級会談が2018年1月9日に始まった。2月に開催される韓国の平昌(ピョンチャン)五輪に北朝鮮選手団が参加することも決定。朝鮮半島で高まる緊張を緩和するために軍の当局者会談を開くことなどでも合意し、緊張緩和、雪解けのムードが強まっている。裏にどういう意図があっても、そのこと自体は望ましい変化である。

 ただ忘れてはいけないのは、北朝鮮の真の交渉相手は米国であり、韓国ではない、ということである。交渉の核心は、米本土に届くICBM(大陸間弾道ミサイル)技術である。大気圏への再突入技術が未完成だという見方も根強い。だとすれば、実験は今後も継続する可能性があり、かつ、技術が未完成のうちに米国が北朝鮮を「叩く」誘惑にかられる可能性は否定できない。五輪をめぐる雪解けムードは、あくまでムードだけであって、問題の真の解決にはほど遠く、本質的な緊張緩和には至っていない。

 米国のトランプ大統領と北朝鮮の金正恩委員長は、核使用をチラつかせながら非難の応酬を続けており、我々もその光景に見慣れてしまいつつあるが、果たして「核戦争」の勃発は本当に杞憂ですむのだろうか。

 ここに興味深いレポートがある。

 北朝鮮の本質的な交渉相手である米国の市民意識を「核使用」に絞って調査した思考実験を行ったスタンフォード大学のスコット・D・セイガン教授とダートマス大学のベンジャミン・A・バレンチノ准教授が、その結果を『イランの中のヒロシマ再訪』にまとめた。同レポートは『国際安全保障』2017年8月2日号に掲載された。

 この調査を読むと、トランプの「アメリカファースト」は、一般市民の意識をそっくり反映したものであることがわかる。インテリでもなく軍の関係者でもない18歳以上の一般のアメリカ市民にとって、外国市民の命は、自国の軍の兵士の命よりもはるかに軽いのだ。原爆投下で200万人の外国市民が亡くなっても、米軍兵士2万人の命を救えるなら、原爆投下を選択するという米国市民が半数近くもいるのである。1人の米兵の命は外国市民の命の100倍も重い、という意識なのである。

▲原爆ドーム(ウィキペディアより)

 この調査は、こと、自国の兵士の命が係わってくると、とたんに、米国の「ALL MEN ARE CREATED EQUAL(すべての人々はみな平等である)」という建国の理念をかなぐり捨てて、「アメリカファースト」へとひた走るアメリカ社会の危うさを映し出している。「すべての人々」とは、米国市民だけを指しており、外国人は「すべての人々」に含まれていないのだ。

 調査の中の爆撃対象はイランだ。調査の中にはっきりと出ているように、人種差別意識がアメリカ市民の核攻撃支持の背景にある。この点は、広島・長崎を経験した我々に対してばかりか、北朝鮮に対しても、同様な人種差別意識が存在していると考えるのが自然だろう。

 我々は、心のどこかで「米国が北朝鮮への武力行使を行い、核戦争に至るなんてことは、起こるはずがない。トランプはいささかクレージーだが、米国の世論、米国市民の良心が、核の使用など、許さないだろう」と考えているフシがある。正常化バイアスが働き、起きてほしくないことは、起こらないと願望まじりに信じ込もうとする。そうした心理が、現実を見る目をくもらせる。

 冷静に現実を見よう。セイガン教授とバレンチノ准教授の行った調査が明らかにした「現実」は、北朝鮮に対して米国が武力行使を行い、核戦争にエスカレートしたとしても、それが米国の軍人の犠牲を減らすためだと言われたら、米軍の核兵器使用を歓迎する米国市民は少なくないという「現実」である。

▲イランの首都・テヘラン(ウィキペディアより)

 IWJは今回、『イランの中のヒロシマ再訪』の翻訳をおこなったが、これに先立ち、スコット・D・セイガン教授がウィーン大学の国際問題研究所で2017年11月に行ったレクチャーのサマリーを全訳している。合わせてお読みいただきたい。

 本調査は当初、全訳を行う予定だったが、アメリカ一般市民の核戦争に対する意識を紹介するという本記事の趣旨から考えて、論文の中の学説紹介や、検討・批判、過去の調査への言及、統計学的な議論の箇所は割愛し抄訳とした。脚注も、ほとんどが文献紹介なので割愛している。詳しくは原文をご覧いただきたい。

米国市民の意識調査「イランの中のヒロシマ再訪」をIWJが仮抄訳!

『国際安全保障』2017年8月2日号所収

イランの中のヒロシマ再訪:アメリカ人は核兵器の使用や非戦闘員の殺害について本当はどう考えているのか。

スコット・D・セイガンとベンジャミン・A・バレンチノ

要約

 数多くの世論調査が示すように、広島・長崎への原爆投下のトルーマンの決断に対して、米国市民の賛成は、1945年から大きく減ってきている。多くの学者や政治家は、賛成が減少した理由を「核のタブー」が存在する強力な証拠だと考えている。あるいは、非戦闘員保護の原則が深く規範になったからだと考えている。

 はじめての試みである本調査は、現代の米国とイランが戦争するという仮定で、1945年当時に米国が直面した状況を再現しつつ、実験しているが、それによると、核のタブーテーゼはほとんど成立していない。さらには、米国市民の非戦闘員保護の原則への支持も底が浅く、戦争の圧力がかかると簡単にひっくり返ってしまう。

 核兵器使用を考えるとき、大半のアメリカ人は、たとえ、外国の非戦闘員を計画的に数百万人殺害しても、米軍の保護と米国の戦争目的の達成を優先させる。特に共和党支持者、高齢者、死刑を是認する人々の間では、きわだってイランへの核兵器使用の支持が高い。他方、女性は男性と同じ程度(複数のシナリオでは男性以上に)、核兵器使用を支持した。こうした知見は、正しい戦争の原則を受け入れている米国市民の数は限られているということを強く示している。そして、米国世論は、戦争の試練の中で、核兵器使用を考える大統領の大きな歯止めにはならない可能性がある。

はじめに

 1945年8月には、米国市民の85%が、ハリー・トルーマン大統領の広島・長崎への原爆投下の決断を支持している。しかし、あれから70年以上経ち、日本への原爆投下決定に対する米国市民の支持は顕著に減ってきている。第二次大戦終結後70年、米国市民の大多数は、もう、トルーマンの決断を支持してはいなかった。2015年の世論調査でわかったことは、日本への原爆投下は「正しいことだった」と今も考えているアメリカ人は、46%しかいなかったということである。

 米国市民の核兵器使用に対する明白な支持の低下は、どう説明できるのだろうか。そして、その意味は何だろうか。この問題の答えは、単なる歴史的な関心を超えている。というのも、これは、米国市民が将来の国際危機あるいは国際紛争で、核兵器を使用することに対して、禁欲的であるか、それとも大統領の背中を押すことになるか、それを見極める手がかりを与えるからだ。

 さらに、この答えは、戦争時の外国市民の殺害について米国市民がどう考えているのか、そして、非戦闘員保護やバランス、リスクの受容といった正しい戦争の原則(訳注1)を米国市民がどこまで深く内面化しているのか、それらを研究者や政策立案者が理解する手助けになるからだ。

※訳注1)正しい戦争の原則とは、戦争を限定することにより、戦争の害悪を少なくしようとする原則・理論のこと。本調査は、正しい戦争の原則を、核兵器使用の歯止めの一つととらえている。この原則では、戦争の技術的な側面に制約を課すが、特定の条件さえクリアすれば、それは正しい戦争だということになってしまう。戦争目的の正しさへの信念もそこには一体的に存在している。正しい戦争の原則の内面化が行われたとしても、むしろ、内面化されていればこそ、それは歯止めではなく、戦争を推進するイデオロギーになりかねない。太平洋戦争もベトナム戦争、アフガン戦争、イラク戦争も、「正しい戦争」として始まったものである。この点で、調査の枠組み自体に疑問は残る。第二次大戦時に爆撃機に爆撃手として搭乗していた、米国の歴史家ハワード・ジン(1922-2010)は、正しい戦争について、次にように述べている。

 「(戦争を行う)正しい理由は、自分の行うことすべてが正しいと考えるようにさせてしまう。戦争は、その本質からして、大勢の人々を無差別に大量に殺戮する。だから、いかなる政治的理由でも、いかなるイデオロギー上の理由でも、いかなる領土上の問題であっても、いかなる独裁体制であっても、いかなる侵略であっても、戦争を正当化することはできないのである」(「正しい戦争と正しくない戦争」『やめられないということ――ある楽観的な歴史家の省察』(1993年、未邦訳)p113. 所収)

 最初に、原爆投下の決定に関する米国市民の意見を検討してみると、1945年当時の日本に対して感じていたアメリカ人たちの敵意の深さを彷彿とさせる。そして、それ以降は、核兵器の使用に対して支持が急激に減っていることがわかる。

 シカゴ大学のナショナル・オピニオン・リサーチ・センターが、1945年に実施した世論調査によると、米国市民の44%が、「一回に一都市」へ原爆を投下すべきだったと答えている。26%が、「住民のいない地域」へ投下すべきだったと答えている。23%が「日本の都市すべて」を殲滅すべきだったと答えている。原爆の「使用を拒否」すべきだったという回答はたった4%だった。

 同じ年の後半に雑誌『フォーチュン』に発表されたローパーの世論調査も同じような結果になった。米国は原爆投下を一切すべきではなかったと答えた米国市民はたった4.5%だった。はじめの一発は、住民のいない地域へ投下すべきだったと答えた米国市民は、13.8%だった。53.3%が、現実にそうなったように、2つの都市へ2つの原爆を投下すべきだったと答えた。22.7%が、日本が降伏する前に、さらに原爆を投下すべきだったと答えている。

 トルーマンの決断を支持するアメリカ人の割合は、広島・長崎への原爆投下を支持する米国市民の割合は減少傾向にある。たとえば、1971年と1982年に実施されたハリス世論調査によれば、それぞれ、64%と63%のアメリカ人が、日本への原爆投下は「必要で適切」だったと答えている。これと対照的に、1998年のローパー世論調査では、原爆投下を「正しかった」と考えるアメリカ人はたった47%であり、26%は「間違い」だったと答えている。22%が、その二つの両端の間にどこかに入る。2005年の3月と7月に実施したAP通信の世論調査では、広島・長崎への原爆投下を支持したのは、それぞれ、47%と48%だった。

 ここ数年は、支持の減少傾向が続いている。実際、「デモンストレーション爆撃」の選択肢の入った1945年のローパーの世論調査と同じ内容の調査を2015年7月に繰り返したところ(表1参照)、米国市民の2つの原爆投下への支持率は30%を切った(1945年では、支持率53.5%である)。他方で、デモンストレーション爆撃があった方が良かったと答えたのは31.6%だった(1945年の13.8%から上昇している)。

 米国は、原爆は一切投下すべきではなかったとする答えは、1945年と2015年を比較すると、3倍を超える伸びを示している。また、日本が降伏する前に、さらなる原爆投下をすべきだったとする回答は、1945年の22.7%から、70年後の2015年には3%にも満たない割合にまで落ちている。

 こうした1945年の日本に対する原爆投下の支持率を調査した世論調査とは異なり、米国が現在、核兵器を使用するとして、そのときの条件について、アメリカ人の態度を調査したものもある。

 この調査でも、核使用に対する支持率は一般に減少している。たとえば、1949年には、「他国が米国に核の先制攻撃を行うまでは、米国は原爆の使用を差し控えると誓うべきだ」に同意する米国市民は、たったの20%だった。これと対照的に、2010年に実施されたシカゴ世界情勢評議会の世論調査によれば、57%の米国市民が、「米国の核使用は、他国からの攻撃に対する反撃だけに限定すべきだ」と答えている。さらに、20%が「いかなる状況でも、米国は核を使用してはならない」と答えている。

 多くの研究者と政策立案者――重要な著作『核のタブー』によって、その著者ニナ・タネンワルドが先駆けとなった――は、核兵器使用に関する市民の支持が減少している点について、核の先制攻撃についての倫理的な規範、つまり、一つのタブーが徐々にできつつある証拠だと考えている。

 別の学者たち――もっとも有名なのは、スティーブン・ピンカーやネタ・クロフォード、ワルド・トーマスである――は、核使用の支持の減少は、市民の中に起きている大規模な「人道革命」の一環であり、それが非戦闘員保護という正しい戦争の原則の広範な受容へとつながったのだと主張している。

 第三の思潮――アレクザンダー・ダウンズとダリル・プレス、スコット・セイガン、ベンジャミン・バレンチノの著作に現れている――の議論では、米国市民の間では核のタブーも非戦闘員保護の規範も内面化されていない。上記の学者たちの主張は、攻撃が米国の国家安全保障上の利益に叶い、相当数の米軍兵士の命を救うことができる場合はいつでも、軍事的にもっとも効果的と考えられる兵器を使用し、大規模に外国市民を殺戮することに、米国市民は躊躇しないというものである。

 本論文で、米国市民の核使用と非戦闘員保護に関する意見をめぐる議論を検討した。われわれの主張は、1945年の原爆投下の支持率や現在の核使用の支持率が減少しているとする過去の世論調査は、核兵器の使用や非戦闘員殺害に関する現実の米国市民の意見の理解を歪めてしまう、というものである。

 過去の世論調査は、米軍兵士の命を危険にさらすこと(この場合、米国は核を使用しない)と、外国の非戦闘員を殺戮すること(この場合、米国は核を使用する)との間で、どちらかを選択しなくてはならないという状況を設定していない。だが、正確に言えば、この究極の選択こそ、1945年のトルーマンの決断の本質だった。この究極の選択をともなったシナリオは、ほぼ間違いなく、もっとも現実的で深刻な状況なのである。つまり、その未来では、米国大統領と市民が核の使用を考えざるを得なくなっているのだ。

 論文の第一部では、核使用と外国の非戦闘員の殺戮に対する米国市民の態度について、3つの考え方を検討した。第二部では、2015年7月に実施した実験調査から得られた知見を提示した。その調査は、米国市民の代表に、1945年の決定を現在、繰り返すと仮定したシナリオについて尋ねている。

 つまり、米国の課した経済制裁を突破するために、イラン政府が始めた戦争を終結させる手段として、イランの都市に核攻撃を行うというシナリオである。この思考実験では、多くのアメリカ人が1945年に感じていた緊急性の高さと感情の深さを再現することはもちろんできない。それを前提に、この思考実験では、戦争時の米国市民の核兵器使用の意思と戦時に多数の非戦闘員を標的にする意思に関して、保守的な検定(訳注2)を行った。

※訳注2)統計上、ある事象が起こったとき、それが偶然か、別の要因かどうかを検定する場合、その有意水準を低く設定したという意味。これによって検出力が低くなり、より慎重な検討を行うことができる。

 知見からわかるのは、核のタブーテーゼとは逆に、はっきりと多くのアメリカ人が、核の使用によって、2万人の米軍兵士の命が救えるのなら、核武装していない国家の市民に対して核の先制攻撃を行い、200万人のイラン人を殺戮しても構わないと考えていることである。さらに、非戦闘員保護の規範テーゼとは逆に、多くのアメリカ人が、イランを恫喝して降伏させるためなら、通常兵器による爆撃を行い、10万人のイラン市民を殺戮しても構わないと考えている(表2参照)。

 論文の第三部では、これほど多くのアメリカ人がなぜ、我々のシナリオの中で核使用を是認したのか、その理由を分析した。

 我々は核使用の支持者の重要な特徴に関する人口統計データを提示した。そして、回答者が核兵器の使用・非使用に関する選好をどう説明しているか示した。ここで、我々は新しい知見を提供した。それは女性回答者が男性回答者に劣らず(場合によっては、男性回答者以上に)核使用を支持し、非戦闘員保護規範の侵害を支持したということである。さらに、遡及的に外国市民に責任を課したり、報復という考えにもとづいたりしながら、個人がどのように外国の非戦闘員の殺戮を正当化するようになるのか。この点についても洞察を提供している。

 第四部では、米軍兵士の死亡を避けたり外国の非戦闘員の殺害を避けたりするために、戦争でイランと外交的な妥協を行うという選択肢をアメリカ人が支持するかどうか、それを判断できるように組み立てられた実験調査の結果を提示した。結論では、上述した現象をさらに深く理解し、知見の含意を提示して、正しい戦争の原則や将来の紛争で核兵器を使用するときのリスクについて議論できるように、さらなる調査課題を概略的に述べた。

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「これが「アメリカファースト」?「米国兵士2万人が助かるなら200万人の外国市民を核で殺戮しても構わない」〜米国市民の意識調査「イランの中のヒロシマ再訪」をIWJが仮抄訳!」への1件のフィードバック

  1. @55kurosukeさん(ツイッターのご意見) より:

    これが「アメリカファースト」?「米国兵士2万人が助かるなら200万人の外国市民を核で殺戮しても構わない」〜米国市民の意識調査「イランの中のヒロシマ再訪」をIWJが仮抄訳! https://iwj.co.jp/wj/open/archives/409477 … @iwakamiyasumi
    平和への手段が戦争しかないという短絡思考。この根底には明確な人種差別がある。
    https://twitter.com/55kurosuke/status/951955247336906752

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