2016年12月13日の夜、米海兵隊のオスプレイが名護市の安部(あぶ)の海上に墜落した時、安部に住む坂井満(みちる)さんは石垣島に出かけていた。出先からニュースをチェックしたら、「事故現場はまさかの自宅のすぐ目の前だった」と驚いたことを振り返る。
12月16日、現場取材中のIWJのインタビューに「ここは地元の人からすれば『庭』で、必ず誰かがいる場所。無人ということは、まずありえない」と、坂井さんは、住民への被害がなかったことは偶然に過ぎなかったと指摘した。
この事故を受け、在沖米軍トップのローレンス・ニコルソン四軍調整官は14日、「県民や住宅に被害を与えなかったことは感謝されるべきだ」と開き直った。しかし、坂井さんの証言で明らかなように、同様の事故が起こった時、たとえ海の上であろうと、人的被害が起こらないとは断言できない。
- タイトル オスプレイ墜落事故がおきた沖縄県名護市 現地の模様
- 日時 2016年12月16日(金)
- 場所 沖縄県名護市
▲解体作業にあたり、ガスマスクのようなマスクで顔を覆う。
受け継がれる沖縄戦の記憶〜「何かあれば日本政府でも米軍でも、簡単に持っていってしまう」
▲オスプレイ事故現場となった安部浜の目の前に住む酒井満さん
地元で自然体験ツアーを主催しているという酒井さん。参加者に豊かな森や海を案内し、主にスタンドアップパドル(SUP=サップ)を体験してもらっているという。
▲スタンドアップパドル=ボードの上に立ってパドルで漕ぐマリンスポーツ(写真はwikimedia commonsより)。
「この海では、満潮の時間は私たちも毎日サーフィンしていますし、潮が干いたときは、地元のおばあたちが貝やタコを採っているんです。事故がサーフタイムなら、私が海にいたと思います。地元のみんなにとって、オスプレイの事故は海の上のできごとじゃない。庭や家の上に落ちたくらいの衝撃がありますね」
「家の庭」に突然、オスプレイが墜落するのを想像してみてほしい。事故後は米軍が勝手にやってきて規制線を張り、住民の立ち入りを制限する。にわかには想像し難い苦しみである。
「母は嘉手納出身で、戦争のときは自分たちの土地を日本軍に取られました。日本軍が持っていった基地を米軍が持っていって、今、米軍は沖縄の空も海も持っていっている。何かあれば政府でも米軍でも、簡単に持っていってしまうという意識が私の中に刷り込まれています」
酒井さんは、「普通、自分のプライベート空間を侵されるのはありえないけど、そんなありえないことをされてきたので、不思議とも思わなくなっています」と自嘲した。
SUPのプロ選手・荒木さん「庭というか家。オスプレイが墜落した場所は祖父の散骨をした場所でもある」
安部浜沿いに住むSUPのプロ選手・荒木汰久治(たくじ)さんは、昨年の全日本SUP選手権で、長男の珠里(しゅり)くん(10歳)とともに親子で優勝を果たした。現在、珠里くんのオリンピック出場へ向けて、毎日、親子でトレーニングに励んでいる。
荒木さんは安部浜について、「庭というか家ですね。落ちた場所もトレーニングでいつも使っている場所です」と話した。
▲この日も安部浜でトレーニングをしていた荒木汰久治さんと珠里くん。珠里くんは「サップの世界チャンピオンになる」と意気込んだ。
この日も親子で安部の浜をランニングしていた荒木さん親子。荒木さんはオスプレイの墜落時は家で就寝中だったが、捜索にきた米軍ヘリの爆音で目を覚ましたという。
「家の窓から、すぐ近くに3台のヘリが飛んでいるのが見えました。海でいつも頭上をオスプレイに通られているので、爆風には慣れっこですが、普段は米軍のヘリが集落に接近して飛ぶことはありません。だから怖かったですよ。家も揺れるし、洗濯物もすべて飛ばされました」