「なんらかの形で犯罪に遭遇してしまい、結果として事件の加害者や被害者になるのは、たいていが『弱い人』たちなのである。他方『強い人』たちは、その可能性が圧倒的に低くなる」
『死刑弁護人 〜生きるという権利』(講談社)のまえがきの一節である。
著者の安田好弘弁護士は新宿西口バス放火事件、オウム真理教事件、和歌山カレー事件、光市母子殺害事件など、多くの「死刑事件」の弁護人をつとめてきた。
こうした事件の犯人は、血も涙もない冷徹な「凶悪犯」だと報じられがちだ。しかし、本当にそうなのか。
事件は貧困と裕福、安定と不安定といった環境の境目で起こる。「強い人」はそうした境目に立ち入らなくても生活していけるが、「弱い人」はそうではない。さまざまな社会的不幸が重なりあって犯罪を起こしてしまう。そう安田弁護士はいう。「善い人」「悪い人」がいるわけではないのだ。
我々が知る「凶悪犯」の犯人像は、実はあまりに一面的なものなのかもしれない。検察によるストーリーの捏造もあるだろう。であれば、凶悪事件の本質は、我々の知るところとは様相が異なってくる。
2015年6月24日、安田弁護士は岩上安身のインタビューに応じ、自身の弁護士としての原点である「山谷争議団事件」や、1980年に社会を震撼させた「新宿西口バス放火事件」の知られざる悲しい真実を語った。
数々の大事件の弁護を手がけた「メディア嫌い」の安田弁護士
岩上安身(以下、岩上)「本日は『死刑弁護人』の著者である安田好弘弁護士にお話をうかがいます。死刑事件など、弁護士があまり担当したがらない事件を多く引き受けてこられました。
山谷争議団事件、新宿西口バス放火事件、北海道庁爆破事件、ドバイ日航機ハイジャック事件、ダッカ日航機ハイジャック事件、山岳ベース事件、あさま山荘事件、オウム真理教事件、和歌山カレー事件、耐震強度偽装事件、光市母子殺害事件、陸山会事件などを手がけてきました。この40年間を形づけてきた事件が並んでいます。
安田さんは月に数度しか家に帰らず、事務所のソファーで寝泊まりしながら仕事をしているという噂もあります」
安田好弘弁護士(以下、安田。敬称略)「そうですね。夜10時から会議があったり、朝8時から会議があったりしているので」
岩上「また、メディア嫌いとしても知られています」
安田「メディアは本質的に嫌いなんです。仕事として情報を伝えることは重要ですが、メディアは情報をできるだけ面白おかしくすることで、誇張したものが伝わっていく。事実とはつまらないものですし、私は強調もできません。また、私は社会ではなく、検察や裁判所を相手にしていますので」
かつて「革命」を夢見た青年が弁護士になった理由
岩上「『山谷争議団事件』は弁護士になりたての頃ですね」
安田「私も就職は考えず、学生運動をしていました。革命が起こると思っていたので就職は遅くなりました。本当にアホでしたが、革命は起こると思っていて、何か職業に就くなどとは思っていませんでした。
周りの仲間が革命は起こると思って動いていたので、視野狭窄に陥っていました。革命文学があって、中国共産党が実際に革命を起こし、ベトナムでは市民が反乱を起こし、米軍と戦っていた。僕らも反戦支援をしながら、日本でも革命ができると思ったんですね」
岩上「弁護士になったのはなぜでしょう」
安田「行くところがなかったからです(笑)。弁護士であれば『国家権力とも戦う術がある』という幻想もあるにはありましたが、弁護士は試験さえ受かれば誰でもなれた。選択としては一番安易で、吹き溜まりでした」
事件は得てして「貧困と裕福」「安定と不安定」の境目で起こる
岩上「安田さんは『強い人』と『弱い人』がいて、なんらかの形で犯罪に遭遇してしまい、結果として事件の加害者や被害者になるのは、たいていが『弱い人』たちであると指摘しています」
安田「『強い人』は事件にも遭遇せず、苦難も克服します。『強い人』はそもそも被害者にもなりません。一方で『弱い人』は困難を克服できず、さらなる不幸に見舞われる。私が弁護してきたのはそういう人たちです。『あの時お母さんさえ死ななければ違ったのに…』といった、防ぎようのない不幸も多々あります。
事件は『貧困と裕福』『安定と不安定』といった環境の境目で起こることが多い。環境的衝突があり、事件化するのでしょう。格差が今よりもさらに広がると、『少数』という形で色づけられた層が存在してくると思います」
岩上「なぜ、死刑囚の弁護人をやられるのでしょう?」
安田「依頼されているだけなんです。長くやっているとどうしても弁護を頼まれるし、断れない部分もありますので、結果的にこうなっちゃったんです。
日雇い労働者が溢れる、排除された人々の社会「山谷」
岩上「安田さんの原点である『山谷争議団事件』。山谷といえば『明日のジョー』の舞台でもありました。日雇い労働者が多く、給料をピンハネする業者がいる。暴力団も入り込んでいた」
安田「日雇い労働者がシール(印紙)を貯めれば保険になるのですが、働く場所がないとシールが集まらない。そこで暴力団が高値でシールを売りつけていた(ヤミ印紙)。そこに暴力団の利権がある。他にもタコ部屋経営や、手配師から上納金をとってもいました」
岩上「山谷では組合と暴力団が衝突していた。そこで安田さんが弁護士として関わった。なぜ関わったのでしょう?」
安田「学生運動とはもう関わらない、と決めていたのですが、当時、仕事は救援センターからの接見依頼で、そこに山谷の事件の依頼がきました」
岩上「山谷は排除された人々の社会で、多くは日雇い労働者。建設会社は人件費を抑えるために常勤で労働者を雇わず、山谷の寄せ場から労働者を確保。頂点には政府、政界と直結した巨大建設資本が君臨。日雇い労働者は孫請けのさらに下に位置づけられていました」
安田「本来、1日働いて1人18000円くらいなんです。しかし実際に日雇い労働者に入るのは8000〜10000円程度。ピンハネされているんです。労働者は絶対的な貧困に置かれ、ちょっとでも不景気になれば明日から仕事もない。搾取され、使い捨てにされていました」
暴力団による“ピンハネ”、警察と一体となった“弾圧”が労働者を襲う
岩上「暴力団と一体になった警察の弾圧があったそうですね」
安田「交番は、治安を混乱させるような人間は全員排除しようとします。しかし、警察官を何人動員しても治安は維持しづらいものです。そこで、補完作用として暴力団が働くという構図です。
山谷の交番は日本一大きく、50人程が詰めていました。まるで『署』です。山谷の人たちは組合を作って闘争を始めました」
岩上「江戸時代にも『岡っ引き』というのは地廻りのヤクザがやっていたと聞きます。そういう労働者管理の構造があるんですね。
労働現場で怪我するなどの災害が起こると、労基署が出てきますし、保険料も上がる。なので当時、暴力団が負傷した労働者を袋叩きにし、労働災害をもみ消していました。山谷の組合はこういう人たちの相談に乗るんです。
『前田建設・最上鉄筋労災もみ消し事件』では、労働現場で怪我した労働被害者が、暴力団にバットで殴られ、もみ消されました。そこで組合が前田建設に労働交渉をしに行った。そうしたら、交渉の大部屋の隣室に公安が大勢待機していて、路地には機動隊も隠れていました。そのときに労働者が何人も捕まり、弁護につきました」
岩上「山谷・山村組事件もあります。山村組という『半タコ飯場』から逃走した労働者を『棒心』が捕まえ、パンツ1枚にして放り出したということですが」
安田「半分タコ部屋の飯場です。『半タコ飯場』では労働者が外に出ることは許されず、中で割高の食べ物やお酒を買わされます。すると手元には稼いだお金が残らない。仕事がなければ借金がかさみます。完全な監禁ですね。『棒心』というのは『用心棒』のことです」
岩上「山谷の労働者は怖い、というイメージが一般的でしたが」
安田「労働者はひ弱で、みんなが優しく、ビクビクし、暴力団に立ち向かえる人なんてごくわずかでした」
岩上「脅しに弱く、そういう人間を力で押さえつけていたということですね」
安田「山谷・山村組事件では、団体交渉したことが『脅迫』、示談金をとったことが『恐喝』だとして組合の人間が逮捕されました。この事件は勝てず、みな有罪にされてしまいました」
『山谷(やま)やられたらやりかえせ』監督・山岡強一の思想
岩上「安田さんはドキュメンタリー映画『山谷(やま)やられたらやりかえせ』の監督の山岡強一さんの弁護をしたんですよね」
安田「山岡さんは『今の社会のままでは必ず搾取され、最後は精神も肉体も奪われ、最後には捨てられる。これを断ち切らねばならない』…こういう思想の持ち主でしたね。山岡さんは山村組事件のリーダーとして逮捕されました。信頼も厚く、例えば裁判中に山岡さんの父がなくなりましたが、裁判官も彼に惚れていたし信頼していたのでしょう。異例ですが、48時間だけ拘置所を出て葬儀に参加することを認めたんです」
「生きる」という権利に迫る〜岩上安身による「死刑弁護人」安田好弘弁護士インタビュー(動画) http://iwj.co.jp/wj/open/archives/250390 … @iwakamiyasumi
安田さんの語る事件からこの国の歪な社会が見えてくる。「切ったり貼ったり」しないIWJのインタビューならでは。
https://twitter.com/55kurosuke/status/614551170430820353