「あの事件で日本は歪められた。もう一度、石川さんが国会に行き、日本を元に戻してほしい」──。陸山会事件で逮捕された石川知裕前衆議院議員の主任弁護人を務めた安田好弘弁護士は、再審請求への決意を語った。
2015年2月21日、北海道帯広市のとかち館にて、石川ともひろの裁判を支援する会の主催による「石川知裕前衆議院議員 裁判報告会」が開催された。前衆議院議員の石川知裕氏と、石川氏の弁護を担当した安田好弘弁護士、河合匡秀弁護士をゲストに迎え、IWJ代表の岩上安身がコーディネーターを務めて、陸山会事件を振り返った。
この事件は、2004年(平成16年)10月、小沢一郎氏の資金管理団体の陸山会が、東京の世田谷に4億円で土地を購入したことに着目した検察が、贈収賄での立件を試みたもの。小沢氏の元秘書で、現職の国会議員だった石川氏を含む3名が2010年に逮捕され、政治資金規正法違反の容疑で全員が有罪となった。
しかし、石川氏の取り調べ段階での調書捏造が発覚するなど、特捜部の捜査方法には問題が多く、小沢氏失脚を狙った国策捜査との声が上がっていた。さらに、検察リーク情報を流し続けたマスメディアの偏向ぶりが際立つ事件でもあった。小沢氏については、検察審査会が強制起訴を行ったが、2012年に無罪判決が確定している。
「結果的に、陸山会事件で小沢氏は民主党の代表辞任、幹事長辞任、民主党離党。その後、自民党が政権に復帰し、憲法改正や新自由主義の跋扈へとつながっていく」と安田弁護士は語り、「弱者を切り捨て、強い者が勝つことで日本が強くなると思っているのが今の政治。皆さん、それを見極めてほしい」と聴衆に語りかけた。
当事者の石川氏は、収支報告書への記載ミスの経緯、特捜部での不条理な取り調べ、先輩秘書の汚職と抱き合わせにされた自身の金銭授受疑惑などについて語り、「もう一度、国会議員として仕事がしたい」と意欲を見せた。
- ゲスト 安田好弘氏(弁護士)/河井匡秀氏(弁護士)
- コーディネーター 岩上安身(IWJ代表)
- 日時 2015年2月21日(土)15:00~16:50
- 場所 とかち館(北海道帯広市)
- 主催 石川ともひろの裁判を支援する会
小沢一郎を除いた方が民主党はうまくいく、という誘導
はじめに、主催者代表の高橋氏が、石川知裕前衆議院議員が逮捕された経緯を振り返った。
「2009年10月15日、読売新聞が収支報告書の記載虚偽を報じ、12月に事情聴取。2010年1月15日逮捕。それを受けて、3月1日、『石川ともひろの裁判を支援する会』が発足した。1審、2審は執行猶予付き有罪判決。2014年9月30日、最高裁で上告棄却。石川さんは、現在、再審請求の道を模索中だ」
この事件から大手メディアは大きく変わった、と言う高橋氏は、「その後の秘密保護法、福島原発事故の放射能汚染、沖縄の辺野古基地問題など、メディアは正しい情報を出さないようになってしまった。ゆえに、自分たちで積極的に正しい情報を探し出さなければならない、という大きな教訓を得ることができた」と結んだ。
次に、『石川ともひろ 激動の記録』と題したビデオが上映された。その中で石川氏は、(吉田正喜)特捜副部長から「コストをかけた政権交代を、つぶしていいと思いますか」と2回質問されたとし、「それは、小沢一郎を除いた方が民主党はうまくいく、という意味か?」と聞き返すと、副部長は「そういうことだね」と答えた、と語っている。また、小沢裁判を担当した前田恒彦検事が、「これは特捜部と小沢一郎の戦争だ」と発言したことも、併せて紹介している。
「特捜は証拠を作る。これは法曹界の常識」
ビデオ上映が終わり、安田好弘弁護士、河井匡秀弁護士、石川知裕氏、岩上安身が登壇。はじめに、主任弁護人を務めた安田弁護士が裁判を振り返った。
「私は1審では解任されてしまったが、河井弁護士と共に、石川さんの控訴審、最高裁に関わった。石川さんが無罪という確信は最初から持っていたが、力及ばず有罪になり、残念で申し訳ない」と述べた安田弁護士は、戦後、旧日本軍の隠し財産を摘発するため、GHQの肝入りで作られたのが検察の特捜部の前身で、ロッキード事件など政治家の贈収賄、大型脱税事件を手がける中で、次第に大きな権力を持つようになったと説明し、このように続けた。
「特捜は、最初に事件の筋書きを作って、裁判まで支配する。有罪にするためには証拠も捏造する。石川さんの場合も、捏造報告書を作った。特捜は証拠を作るところ、というのは法曹界の常識だが、世間では、特捜は正義の味方と思われている。特捜事件には警察は入らず、捜査から起訴までをやり、批判はまったくされない。これは非常によくないことです」
検察が描いた贈収賄事件のストーリー
事件の発端は、陸山会が世田谷に4億円で土地を購入したことである。検察は、まず、贈収賄での立件を試みた、と安田弁護士は言う。
「陸山会の通帳に、10月18日に5000万円入金の記載があったことから、『10月15日の金曜に石川秘書が金(ワイロ)を受け取り、翌週月曜に入金した』と検察は決めつけた。脱税で収監中の水谷建設の川村尚社長が、検察に協力すれば仮出所が早まるからだろうが、『胆沢ダム工事の口利きで、平成16(2004)年10月15日、石川秘書に5000万円、平成17(2005)年4月18日、大久保秘書に5000万円を渡した』と話し、そういう調書ができあがった」
そもそも、この4億円は、小沢氏が相続した土地を売って、りそな銀行に自分名義で定期預金にしたものである。石川氏は、それを担保にして、世田谷の土地購入代金として、4億円を小沢氏名義で借り入れた。ところが、小沢氏の名前が収支報告書に2回記載されることになり、検察は計8億円が動き、小沢氏側が4億円をごまかした、と見立てたのである。
裁判の中で、川村社長の嘘は簡単にバレた、と安田弁護士は言う。「全日空ホテルのロビーで、紙袋に5000万円入れて石川さんに渡したと言うが、証拠がまったくない。川村社長は社用車を使ったと証言したが、運転手の業務日誌に記載はない。すると、タクシーで行ったと証言を変えたが、タクシー代金の領収書もない。元々、石川さんは口利きなどを頼まれる立場でもない。水谷建設の証言は崩された」
ところが裁判所は、金銭授受があったと認めてしまう。
小沢氏側にも嘘をついた「ネズミ」がいた
安田弁護士は、「実は、金をくすねたネズミが2匹いたのだ。この水谷建設の5000万円は、くすねた者がいたか、表に出せないところに渡した可能性がある。そして、小沢さん側にも水谷建設から金をもらった人間がいて、『もらっていない』と証言し続けていた。石川氏は巻き込まれてしまったのだが、検察は『こんな嘘つき集団なのだから、石川秘書も、金を受け取ったことにしてしまおう』となったのではないか」と言う。
その上で、前述の複雑な4億円の借り入れについて、次のように説明した。
「石川さんは、小沢氏の秘書だった樋高剛氏から、土地代金の支払いは『預担(よたん)』にしろ、とアドバイスを受けたのです。それは、銀行と借り手の両方にメリットがある方法だったが、石川氏はその仕組みをよく知らず、陸山会名義で借りるところを、小沢氏名義で4億円を借りてしまった。われわれは、これは単純な記載ミスと主張したが、裁判所はそう受け取らず、『こんな複雑なことをするのは裏があるのだろう』と疑った。結果的に、陸山会事件で小沢氏は民主党の代表辞任、幹事長辞任、民主党離党。その後、自民党が政権に復帰し、憲法改正や新自由主義の跋扈へとつながっていく」
「海外へ行け。入院しろ。検察に行ったらダメだ!」
2009年12月、安田弁護士は、佐藤優氏、宮崎学氏、魚住昭氏の突然の訪問を受ける。佐藤氏らは、「石川さんを守らないと日本は潰される。現役の国会議員の石川さんをパクることで、小沢有罪を印象づけ、小沢氏は世間からも国会からも抹殺される」と警告したという。
「石川さんをなんとか助けようと考え、1月の国会が始まるまで、イギリスに行って議会政治を勉強して来い、と勧めた。しかし、石川さんは『それはできない。年末年始は地元の人たちに挨拶しなくては』と断ったのです。
翌年(2010年)1月14日、石川さんから『明日、検察に来いと言われた』と連絡が入った。『行ったらダメだ。翌週から国会が始まる。そうすれば(国会議員の)不逮捕特権があるから、それまでがんばろう』と励ました。弁護士の同僚は、『入院しろ』と千葉県に病院まで用意した。しかし、担当のヤメ検弁護士に大丈夫だと言われた石川さんは検察に行き、夜中11時頃、逮捕されてしまった」
最初から、検察審査会に小沢氏を起訴させる狙い
石川氏の逮捕後3日目に、「目的は小沢逮捕ではない。検察は自分たちは泥をかぶらずに、検察審査会に小沢氏を起訴させる気だ」と気づいた安田弁護士は、検察審査会のための作戦を立てた。石川氏は、検察に虚言を強要されると安田弁護士に手紙で報告していたので、10通ほどあった手紙を検察審査会に渡し、検察の提出調書との齟齬をみつけてもらおうと試みたのである。
「それらを担当弁護士に託したのだが、彼らは検察審査会をよく知らず、結局、渡さなかった。もし、それが検察審査会に渡っていたら、小沢氏の強制起訴には至らなかったはずだ。結局、弁護団も総取っ替えし、小沢さんは無罪になったが、石川さんは有罪になってしまった」と、安田弁護士は無念の表情を浮かべた。
あの事件で日本は歪められた、と口調を強めた安田弁護士は、「石川さんには、検察に対して『ツケを返せ!』と言ってほしい。そして、日本を取り戻してほしい。もう一度、石川さんが国会に行き、日本を元に戻してほしい」と繰り返した。
52通の証拠のうち、51通を無視した裁判所
続いて、岩上安身をコーディネーターに、パネルディスカッションがスタートした。岩上安身は「石川さんは、なぜ、こんなに頼もしい安田弁護士を解任してしまったのですか?」と口火を切った。
石川氏は、利益相反があるため、小沢氏や他の秘書たちと同じ弁護士ではいけないことを説明し、小沢氏周辺の意向もあって、自分では弁護士を自由に選べなかったと述べた。
さらに、「安田先生は、オウム真理教の麻原彰晃や、光市母子殺人事件、和歌山カレー殺人事件の容疑者の弁護をされていて、自分も最初は臆するところがあった。しかし、ある弁護士さんに『誰も引き受けない事件を弁護するのが、本当の弁護士だ』と諭され、再びお願いした」と説明した。
続いて、名張毒ブドウ酒事件などに携わってきた河井弁護士がマイクを握り、「裁判とは、正しい事実に基づいて裁かれなければいけない。石川さんが5000万円受け取った事実はない。石川さんは誤った事実で裁かれているので、正しい裁判ではありません。私は、石川さんは無実だと確信している。再審請求でがんばりたいと思う」と熱く語った。
石川氏の無実の確信をどこで得たのかと、岩上安身から尋ねられた安田弁護士が、「直感もあるが、石川さんは底抜けの楽天家で、危機感ゼロだった。これは冤罪の特徴なんです。でも、弁護士はむしろ困ってしまう。本人はやっていないので、過去のことを思い出す努力もしないので」と答えると会場から笑いが起こった。
「でも、石川さんの場合、客観的な(無罪の)証拠もあったのです。控訴審で、検察庁が開示した1万点もの証拠の中に、あるノートを見つけた。水谷建設の川村社長が石川さんに5000万円を渡したとされる当日、鹿島建設仙台支店長のノートに、川村社長と一緒にいたと記されていた。川村社長に問うと、あいまいに答えていたが、最後には『石川さんに金を渡していない』と言ったのです」と安田弁護士は語る。
しかし、それを陳述書として提出したにもかかわらず、裁判所は証拠に採用しなかった。証拠は全部で52通提出。うち51通は無罪を証明できる証拠だったが、それらは不採用となり、石川氏が結婚したという記録が1通だけ、採用されている。「この裁判長は、問題がある人でした」と安田弁護士は悔しさを滲ませた。
水谷建設から金を受け取っていた大久保秘書
「なぜ、石川さんは収支報告書への記載を間違えてしまったのですか」と岩上安身が尋ねると、石川氏は、「小沢さんから1回借りた、と書いたのはミスだった。隠す意図はなかったし、忙しいこともあった。私は2004年(平成16年)12月4日に、翌年の衆院選への出馬表明をしたが、10月は立候補できるかできないかの瀬戸際で、事務所の仕事に気が回っていなかった」と告白した。
安田弁護士らに止められたにもかかわらず、検察に出頭した判断について尋ねられると、石川氏は「金銭授受については、絶対あり得ないからです」と力を込め、次のように語った。
「私は平成16(2004)年10月に、小沢さんからの4億円(世田谷の土地購入代金)を8回に分けて入金しています。検察は、そのうちの1回だけ、10月18日に入金した5000万円が、水谷建設からもらった金だろう、と疑った。それなら、残り7回の入金は何なのか。それを問うと、特捜副部長は『それはどうでもいい。この1回だけ、わかればいい』と言う。
実は、出所してから全員の調書を見たら、平成17(2005)年4月、大久保秘書が500万円を水谷建設から受け取っていたのです。大久保秘書はゼネコン担当でした。(水谷建設の主張と)金額はひと桁違いますが、こういう事実があったから、私が5000万円受け取ったことにする話も作りやすかったのでしょう」
「検事総長は民間から」──小沢発言に危機感を強めた検察
岩上安身は、石川氏に直球を投げた。「これが、小沢一郎氏の失脚を狙った国策捜査とは思わなかったのですか?」
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石川氏は、「考えもしなかった」と答え、当時の小沢氏は政権与党の幹事長であり、捜査はすぐに終わるだろうと考えていたことを明かした。
そして、この事件のきっかけになった西松建設事件に話はおよんだ。安田弁護士は、ロッキード事件と西松建設事件の類似性を指摘し、次のような見解を示した。
「西松建設のタイの社員が、キャッシュを日本に持ち込み、それを大久保秘書が受け取り、陸山会に献金させたという事件だが、いくら特捜でも、タイからお金を持ち込むことはわからない。海外での金の流れを掴むことができるのは、アメリカだ。小沢政権の誕生は(アメリカにとって)まずいから、預金の動きを見て、小沢さんに当てはめたのだろう。田中角栄つぶしと同じやり方です。
また、小沢さんは、かねてから『検事総長は民間から出さないとダメだ』と言っていた。ロッキード事件で田中角栄の公判をつぶさに見て、このままでは日本は検察に牛耳られる、と予見していたのだろう。そういう小沢さんは、検察にとって脅威だった」
もう、検察にものが言える国会議員はいなくなった、と嘆く安田弁護士は、「だから、この事件をどう戦っていくかが重要です。それが実現しないと、日本の民主化もあり得ない」と力説した。
国家権力の暴走「石川さんだけが狙われた」
岩上安身が、「先ほど、特捜部はGHQが作った手先の機関だと言われたが、今でもアメリカの意を受けて動く可能性はあるのでしょうか」と尋ねると、安田弁護士は、「特捜部の検察官はエリート中のエリートで、在外公館の一等書記官として海外赴任もする。外国とのつながりは強い。彼らは、自分たちの力では日本は変えられない。外圧でしか、日本をひっくり返せない。昔からのパターンです」と応じた。
次に岩上安身は、今回の事件に見る冤罪と政治性について、河井氏に意見を求めた。河井氏は、「検察庁が、なりふりかまわず司法を政治利用した。しかも、脅迫、脅し、文書偽造、証拠隠匿など、違法の限りを尽くしている。なんとしても石川さんを有罪にしたかったのだろう」と述べ、4億円の記載については、解釈の相違に過ぎないという専門家もいる、とした。
さらに、過去10年間で新聞報道された収支報告書の訂正は203件もあり、すべて事後修正を認められていたことを指摘した河井弁護士は、「本来、収支報告書は現金出納帳ではないので、最終的に確定した数字だけを書くものです。この203件が、収支報告書記載のミスで起訴されますか? 小渕優子さんは国会議員を辞職し、刑務所に行かなくてはならないのでしょうか?」と問いかけて、こう言い継いだ。
「石川さんだけが、狙われた。私も冤罪事件に関わってきましたが、ここまで国家権力が暴走したことに驚きました。しかも、裁判所が冤罪性も認めない。非常に恐ろしいことです」
検察とマスコミのおかしさに気づいてほしい
岩上安身は、「このような権力の横暴が可能になったのは、マスコミが協力したからです。権力の横暴と一体化するマスコミについて、どう思われますか」と尋ねた。
権力の暴走をマスコミが後押しする状況を、光市母子殺害事件で経験したという河井弁護士は、「良心的なマスコミ、信頼できる情報発信元を見極めていくしかない」と言う。
安田弁護士は、「膨大な誤った報道が駆け巡り、今でも石川さんは有罪だと思っている人がいる。ものを見る目、事実を追いかける目を持ち、納得できるまで追い続ける気持ちが必要だ」と述べた。
その上で、「石川さんは、こうやってがんばり続けているし、われわれも支えていく。検察とマスコミのおかしさに気づく人が増えれば、彼らも変わる。世の中を変えるためにも、石川さんには雪冤を果たしてほしい」とエールを送った。
小沢氏や石川氏は、自民党とは違う基盤で政治をやろうとしていた、と話す安田弁護士は、「弱者をフォローする政治、力ではなく話し合いを中心にした外交を目指していた。それが陸山会事件で潰されてしまった」と続け、こう訴えた。
「取って代わったのは、力の政治だ。格差が広がり、世界情勢も厳しく、力を背景に外交をするという発想だ。邪魔になるのが憲法9条なので、憲法改正に動く。力を背景にする政治は、新自由主義へ行く。弱者を切り捨て、強い者が勝つことで日本が強くなると思っている。
それに対してアンチを唱え、地方も中小企業もがんばって、政治に参加していく世界を小沢さんは作ろうとした。鈴木宗男さんや石川さんも同じ立場だろう。今の政治とは違う。そのあたりを皆さんに見極めてほしい」
国策捜査とわかっていても「やはり、私は逃げません」
岩上安身は、2009年からの7年間に起こった政権交代、陸山会事件、東日本大震災と福島の原発事故に触れて、このように語った。
「福島県知事だった佐藤栄佐久氏の贈収賄事件も、水谷建設の証言で有罪になった。これも、国策捜査ではなかったか。もし、佐藤知事が辞職に追い込まれなければ、福島第一原発のプルサーマルは止まっていたかもしれない。国策に邪魔な佐藤知事を排除したのではないでしょうか。
こういう事件について、われわれは、ちゃんと目を見開いていなくてはいけない。私たちがどう政治に関わるか、日々の生活をどう過ごすのか、直結している課題だと思います」
続いて、質疑応答に移った。石川氏は公民権停止の状態にあることから、「公民権復権は恩赦を待つとも聞くが、どういう形になるのか」という質問があった。
安田弁護士は、「恩赦には2つある。個別恩赦というのは、石川さん個人を恩赦してほしいと申し立てをすること。政令恩赦は、慶弔があった時に一律に行うもの。恩赦は、新たに人生をスタートできる良い制度だと思うが、法務省はだんだん恩赦に消極的になっている。石川さんと個別恩赦の検討はしており、そのための署名活動も考えている。ただ、恩赦を受けることは罪を認めることになるので、かなり複雑な思いがある」と答えた。
「陸山会事件とロッキード事件とは似ている。ロッキード事件は冤罪だと思いますか?」という質問に、安田弁護士は、「ロッキード事件では、冤罪を証明できる運転手が自殺している。また、5億円を料亭の前で段ボールに入れて渡したというが、そんなことができるのか疑問だ」とした。
そして、「あの時(2010年1月)に国策捜査とわかっていたら、どう対応していたか。それでも、検察に出頭しましたか?」と問いかけられた石川氏が、少し考え込みながら、「緊急避難的に逃げることもできたでしょうが、……やはり、私は逃げません。逃げることは、容疑を認めたことになると思うので」と答えると、会場から拍手がわき上がった。
最後に石川氏は、「昨日(2月20日)、検察から36箱分の書類が戻ってきた。それを見て、国会議員としてやりかけていた仕事を思い出した。私は、再び国会で仕事をするために、がんばりたい」と強い口調で決意を語り、報告会は幕を閉じた。