【文字おこし掲載】平和主義路線の転換の具体的表れが軍学共同である!シンポジウム「急進展する軍学共同にどう対抗するか」池内了・名古屋大学名誉教授の基調報告!きたる9月20日、岩上安身が池内氏に単独インタビュー! 2015.6.13

記事公開日:2016.9.18取材地: テキスト動画
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(文:西原良太)

※9月18日テキストを追加しました!

 学問の世界も「戦前回帰」するのだろうか?

 解釈改憲により集団的自衛権行使を容認し、「戦争法」こと平和安全法制を強行採決し、武器輸出を事実上解禁して、軍事化に邁進する安倍政権。この政権の後押しを受け、「軍」と「学」が急接近している。

 防衛省は2015年度から、個別の研究者に対して研究資金を出資する「安全保障技術研究推進制度」を開始した。

 一方の学術界は、2016年7月27日、「学者の国会」と呼ばれる日本学術会議の会長を務める大西隆・豊橋技術科学大学学長が、軍学共同を容認する寄稿文を投稿した。

 急進展する軍学共同の問題を広く社会に訴えるべく、2015年6月13日、東京大学駒場キャンパスで公開シンポジウム「急進展する軍学共同にどう対抗するか」が4時間にわたって開かれ、池内了・名古屋大学名誉教授が基調報告を行った。池内氏は、宇宙論と科学技術社会論を専門とし、急速に進展する軍学共同についてかねてより警鐘を鳴らしてきた学者である。

 池内氏は基調報告の中で、軍学共同の現状について、歴史的な経緯を含めて広く紹介した。

 以下、池内了氏の基調報告の全文文字起こしを掲載する。ぜひご一読いただきたい。

 また、きたる2016年9月20日には、軍学共同問題について、岩上安身による池内了氏インタビューを予定している。ぜひ合わせてご覧いただきたい。

■岩上安身による名古屋大学名誉教授・池内了氏インタビュー
(日時)2016年9月20日(火)15:00~
(視聴)IWJ・Ch1:http://iwj.co.jp/channels/main/channel.php?CN=1

記事目次

■ハイライト

  • 基調報告 池内了氏(名古屋大学名誉教授、世界平和アピール七人委員会委員)「最近の軍学共同の進展状況について」
  • 基調講演 藤岡惇氏(立命館大学教授)「経済競争力の劣化が宇宙/核戦争を招く―米国の『軍学共同』が示したこと」
  • 各大学からの報告と討論
  • 軍学共同反対アピール採択

「軍学共同」は安倍政権の軍事化路線の具体的な表れ!「産学官連携」から「産軍学共同」へ?!

 皆さん、こんにちは。私、今日何をしゃべろうかという具合に、ちょっと思案してたんですが、色んなところに書いたり、しゃべったりしておりますので。ここに来られている方々は、皆さん、そういうのに目を通されている方も多いと思いますので、同じようなことばっかり聞いても、しゃべっても仕方がないということで。

 その資料の最後のほうに付いておりました参考資料というところに、一連の経過そのものはそこに一応、完全ではないんですが、ある点から具体的に、どのような事柄が進展しているかということを書いたものです。

 今日は、それも一部含めながら、ちょっとしゃべってみようかなというふうに、一応思っております。

 要するに、この軍学共同というのは、現在の日本における平和主義路線。ここは「平和主義」という括弧をつけなければならないというふうに思っているんですが、「平和主義」路線が非常に大きな転換する時期に来ています。

 この時期を非常に具体的な表れとして軍学共同があるというふうに位置づけております。それは、集団的自衛権の問題とか、(安全保障)新ガイドラインとか、様々な政治的な動きが、安倍首相の、非常に強硬な軍事化路線であるというのは事実ですが。

 日本全体も、そういう中で一種の、軍事化路線に段々、流されていっている状況があるのではないか。それを、私たちとしては、ここで一つ、ちゃんと歯止めを付けておかないと、特に軍学共同というのは、非常に急速に広がる可能性があります。

 我々の年になると、常に言っているんですが、20年前は、我々、大学では産学協同なんて反対っていうのは当たり前だと。ところが、今や「産学共同」は、「産学官共同」、さらに「産学官連携」となって、大学になだれ込んでいます。

 それは、もはや度しがたい状況があります。その次に来るのが「軍学共同」である。だから、私自身は、軍学共同が今、私たちがこういうふうに大きな声で嫌というのか、反対しておりますが、それが、まさに10年経った時代において、大学をいかに変質されてしまうかということは、これは想像できることであります。

 アメリカではすでに「産・軍・学共同」というふうに言われるようになってます。要するに、「産軍共同」で「軍産複合体」ということが言われたんですが、今や学が非常に大きな顔をして、三つのうちの一つを占めているということをよく言われますが、そのように、「産・軍・学」。今は「軍・学」というふうに言っておりますが、そのような状況が生まれている。これに対して、非常に私たちは懸念を持っている。危険性を感じております。

日本の「平和主義」の変質 −「非武装」から「武装自衛」に、その先は?

 その背景として、私は「平和主義」の変質。安倍首相が「積極的平和主義」という言葉をよく使う。憲法で決められている「平和主義」、憲法で私たちが承認してきた憲法第9条、象徴的には、第9条で象徴される「平和主義」の精神が捨てられてきた。その一つの、「最後の段階」と言ってもいいかもしれません。

 憲法第9条は、「非武装」でありました。「戦争放棄」でありますね。要するに、「一切戦争はしない。話し合いで物事は解決する」ということが基本路線でありますね。

 それが、徐々に変質している。つまり、1947年の日本国憲法が施行されたときには、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」という、この三つ。平和主義のコアは「非武装」である。戦争はしない。その三つが大きな特徴と言われたわけですが、それ以後、サンフランシスコ講和条約で、一方的な講和が認められて、同時に、サンフランシスコ講和条約の日付、同日に日米安保が調印された。同日に発効したという、この重荷が未だに、ですね。

 その後、警察予備隊とか、保安隊とかになって、1954年に陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊が発足と。この時点が、非常に大きな第一歩でありまして、「平和主義」という言葉が「非武装」ではなくして、「個別的自衛権」という言い方を今はしておりますが、要するに、「武装で防衛」。自衛という言葉がよく使われますが、武装の点で言いますと、武装しながら自衛する。「武装自衛」なんですね。それで、非常に大きな大転換がありました。「平和主義」においては、武装するということが、当然のようになりましたね。

日本の学術界と平和主義の変遷 −近年の大学の「貧困化」が科学者を軍事研究に誘引する!

 それに対して、学術の世界では、1949年に、日本学術会議が発足しました。これは、戦前の学術研究会議とか、そういうものの反省の上に立って、新たに発足して、「わが国の科学者がとりきたった態度について反省し」という言葉がありました。

 それで、「今後は、科学が文化国家ないし平和国家の基礎である」という、そういう云々の宣言が出された。創立宣言が出されたわけでありますが。この「科学者がとりきたった態度について反省し」というその言葉自身が、これを創立総会の議論で紛糾したそうであります。

 「国家が戦争を始めた以上、国民である科学者がこれに協力するのは当然のことである」という意見がありました。これは坂田昌一(物理学者)さんの本の中にありました。

 今日は科学者自身の立場からの色々な意見も交えて議論したいと思っていますが、それがこういう部分ですね。それは、しかし1950年の第6回総会で、「戦争を目的とする科学の研究には、今後絶対に従わない」という決意の表明。これは非常に重要な決意表明を行いました。

 しかし、また言いますと、1951年に日本学術会議が研究者についてアンケートを取ったんですね。「過去数十年において、学問の自由がもっとも実現されていたのはどの時期であったか?」というアンケートが採られたそうです。

 その時に、多い回答が、「太平洋戦争中であった」という回答が多かったそうです。それは、実に考えさせられることであります。

 要するに、ある意味では、太平洋戦争中というのは、軍から資金が出ていたわけですね。軍事研究のための資金が出ていた。そういう時代、資金が出ていた時代は、一番学問の自由があったという。学問の自由が、研究資金が統治されていた。科学者の発想にそういう考え方が根強くあるということですね。

 これは先ほど言われましたように、今、大学が貧困化している。研究費を非常に縮小してしまっている状況は、まさに科学者を飢えた状態にさせておくわけですね。それは、軍事研究に誘引する非常に大きな動機になるということではないかと。そういうふうにちょっと思うんです。

科学者の愛国主義をどう考えるのか

 もう一つ、科学者のことについて言うと、科学者の愛国主義ということも一つ考える必要があるのかなというふうに思っています。

 というのは、モーズリーという物理学者が、非常に若くして、第一次世界大戦で戦死したんですが、彼の死に対して、(彼の師匠である物理学者の)ラザフォードが追悼の文を書いたんですね。1904年です。

 その追悼文で、ラザフォードが書いた3点について、山本義隆氏の「原子・原子核・原子力」という本で指摘されていて、私はそれを援用してるわけですが、一つは、「科学者が戦争に協力することへの無条件の肯定」であります。「当たり前じゃないか」ということなんですね。特に、国家から研究費をもらっている科学者は戦争に、国家の命令に従わねばならないということが、当たり前のように言われるし、科学者もそのように従った。

 これはすぐに、今問題になっている国立大学の式典における国歌斉唱の問題(が思い浮かびます)。「卒業式を開くときに国歌を歌え」というのを、安倍首相が「国の税金で賄われている大学なんだから、当然そうするべきでしょう」というようなことを言ったんですね。それに応じて、すぐ文科省が大学に要請するということが起こりました。

 たぶん、会議かなんかで要請するんじゃないでしょうかね。一つに、「国の税金で賄われている大学の人間は国の言うことを聞かねばならない」という論理が言われている。それに応じて、科学者も呼応していくんですね。

 それから、「科学者は危険な前線に送るべきではない。科学者は役に立つんだから」という。それから、戦争への科学者の従事とか、科学が戦争に使われることを当然としているということです。

 これは実は、僕が好きな寺田寅彦の「戦争と科学」というエッセイで、そういうことを書いております。(寺田寅彦は反省しましたが、)科学者と戦争の問題、あるいは軍事、今で言う軍学共同の問題、どうすりあわせるか。どのような観点があるか。科学者の心情としてどのようなものがあるのか。これは、やっぱり我々はちゃんと考えて議論していくべきではないか。

 あとは、(物理化学者の)フリッツ・ハーバーの「科学者は平和時には世界に属するが、戦争時には祖国に属する」という有名な言葉があります。あるいは、(物理学者の)ジョセフ・ロートブラットは、「いったん戦争という事態になると、抵抗が非常に困難である」「そのような事態にならないようにすることが最重要である」と。これは、ロートブラットというのは、マンハッタン計画に加わりながら、最後の段階で、ドイツは核を開発していないということを知った段階で、マンハッタン計画から進んで降りたんですね。(註:ロートブラットは後に核兵器廃絶・科学技術の平和利用を訴えたラッセル=アインシュタイン宣言に署名し、「核兵器廃絶のための努力に対して」ノーベル平和賞を授与されている)

 まさに、この軍学共同、本格化して当たり前になってしまった事態においては、もはや私たちは取り戻すことはできないわけですね。というようなところ。科学者の愛国主義ということをどう考えるかということも、私自身、考えたいし、ここでも述べます。

軍学共同を拒否してきた日本の学術界「社会の平和、そして人々の幸福に違反するものには手を出さない」

 日本では戦後、軍学共同は、だから行われてきませんでした。日本学術会議の声明があったということですね。

 例えば、1959年には茅総長が、「軍研究はもちろん、軍研究として疑われる恐れのあるものも一切行わないことは自主的に、かつ良識のもとに堅持される」というふうな言葉も言っております。

 1967年という年は、東大の大河内総長の発言ですが、日本学術会議も第49回総会について、「戦争目的のための科学研究を行わない」という声明を出しておりますが、それは、その前年、1966年に日本物理学会が半導体国際会議に、米軍からの資金の提供を受けたという、それが学術会議で問題になり、国会でも問題になり、当時、学術会議会長だった(ノーベル物理学賞受賞者の)朝永さんが、どういうことか、国会でも証言されましたが、それで出されたものです。

 東大の発言も、そのようなことで、「軍関係者から研究援助を受けないことは本学の一貫した考え方である」と、そういう言い方をしております。このように、大学における軍事研究は積極的に「やらない」ということを打ち出してきたわけですね。これ以後、1970年代、80年代に、非核宣言や、平和宣言等、あるいは平和憲章を出した大学および研究機関が40件以上超えるということになっています。

 要するに、科学者は戦争にはタッチしない。戦争には関与しないということ。科学の目的というのは、真実を求めるというと同時に、社会の平和、そして人々の幸福、それに違反するものには手を出さないという。非常に重要な決議をもってきて、進めてきたんですね。

政府の「平和主義」の変化 −「防衛」から「非侵略」へ

 ところが、一方では、政府にしては、「平和主義」というのは、今度は「武装防衛」、要するに「防衛のための武装なら許される」という段階から、どんどん、どんどん軍事力は強まってくると、侵略するんではないかと言われる恐れがあるので、「非侵略である」と。非侵略。侵略のためではないんだと。

 つまり、「防衛のため」という言葉と、「非侵略」という言葉、どう使うか。ニュアンスの違いではそんなにないとは思っています。

 そして、現在、もっぱら使われるようになったのは「安全保障」ですね。「総合的安全保障」とか、よく使われますが、「安全保障のために」という言葉を使うと、あらゆる軍事行動が許容されるということではないかと思います。

 そのような状況の変化をみるために、ちょっと1950年代以後の変化について、ちょっとだけ振り返ってみましょう。

(…会員ページにつづく)

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