青森市長が「脱原発依存社会」をめざす策定案に言及、再生可能エネルギー促進へ 2014.8.23

記事公開日:2014.9.5取材地: テキスト動画
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(取材・記事:IWJ青森中継市民・外川鉄治)

 青森市が主催する「再生可能エネルギーフォーラムinあおもり ~原発に依存しない社会の実現を目指して~」が、8月23日(土)13時より、青森市内の「アピオあおもり」で開かれた。

 福島県南相馬市長の桜井勝延氏、環境エネルギー政策研究所(ISEP)の松原弘直氏、青森で再生可能エネルギー普及に取り組む富岡敏夫氏(グリーンシティ理事長)が講演を行い、鹿内博・青森市長を交えてエネルギーの将来像について論じた。

 鹿内市長は9月、脱原発に向けた青森市の策定案を示すと明言した。

■全編動画 1/3(1時間48分) 桜井市長/松原氏講演

0分~ 鹿内市長あいさつ/7分~ 桜井市長講演/53分~ 松原氏講演

■全編動画 2/3(47分間) 富岡氏講演

■全編動画 3/3(38分間) 意見交換会

  • 主催挨拶 鹿内博氏(青森市長)
  • 講演
    桜井勝延氏(福島県南相馬市長)「原発事故後のまちづくり」
    松原弘直氏(環境エネルギー政策研究所〔ISEP〕理事・主席研究員)「地域を活かす!再生可能エネルギーの最新動向」
    富岡敏夫氏(グリーンシティ理事長)「県内における再生可能エネルギー発電の取組み~自分たちでやってみよう!再生可能エネルギー~」
  • 青森市長と講師による意見交換会
    コーディネーター 神田健策氏(弘前大学名誉教授)
    鹿内博市長/桜井勝延市長/松原弘直氏/富岡敏夫氏
  • 日時 2014年8月23日(土)13:00~
  • 場所 アピオあおもり(青森県青森市)

鹿内青森市長「原発に依存しない方針」

 鹿内市長は、冒頭の挨拶で、広島県の土砂崩れ災害で犠牲になった方々や被害にあった方々に、お見舞いとご冥福を祈る言葉を述べた後、「青森市の原発に依存しない方針」策定について語った。

 「市は、原発に依存しない方針、青森市の方針を策定する作業を致しております。できれば、年内にこの策定をしていきたい、そのために9月に入りましたら市民の皆様に、その案を示して、それにご意見をいただいて、市としての方針を決定していきたい」と述べた。

 フォーラムを通じて、「講師の先生方からお話をうかがって、それを今後の方針を策定するにあたっての参考にしていきたいと思いますし、市民の皆様にも参考としていただければありがたい」と語り、再生可能エネルギーに向けた取り組みを、青森市が策定していくために市民と対話をする姿勢をうかがわせた。

 南相馬市の桜井市長は、「脱原発を目指す首長会議」の世話人をしており、そこに青森市の鹿内市長も参加していることを紹介。再生可能エネルギーについて議論することで、「実りある、有意義なフォーラム」になるようにと挨拶を締めくくり、第1部の講演がはじまった。

▲青森市長 鹿内博氏

▲青森市長 鹿内博氏


▲福島県南相馬市長 桜井勝延氏

▲福島県南相馬市長 桜井勝延氏


▲NPO法人環境エネルギー政策研究理事 主席研究員 松原弘直氏

▲NPO法人環境エネルギー政策研究理事 主席研究員 松原弘直氏


▲NPO法人グリーンシティー理事長 富岡俊夫氏

▲ NPO法人グリーンシティー理事長 富岡俊夫氏

▲弘前大学名誉教授 神田健策氏

▲弘前大学名誉教授 神田健策氏

鹿内市長「東北の一員として力になりたい」

 第2部の意見交換会では、コーディネーターを務めた弘前大学名誉教授の神田氏が、「原発から離れて、再生可能エネルギーを青森市に定着させることをキッカケに、脱原発を目指すというのは、青森県では初めてじゃないか。非常に意義があることだと思う」と語り、鹿内青森市長に講演を聞いた感想をたずねた。

 鹿内市長は、3名の講師に感謝の意を告げ、桜井市長の2011年3月11日以降の災害および原発事故の行政、市民の想像もできないくらいの苦労を察するとともに、地震、津波災害の背景にある原発の事故について、「原発の事故がもし、なかったとすれば、南相馬市、あるいは福島県自治体の苦労はあるだろうけど、今ほどではないだろう」と原発事故の重さに言及した。

 青森市には福島からの避難者が140名(60世帯)ほどおり、避難してきた子供の書いた「書」の中に、「帰りたい、でも、おっかないよ(怖いよ)」という内容があったことを紹介。鹿内市長は、「子供だけではなく、お父さんお母さんがそう思っている。桜井市長は、そういうことを、他の地域に避難されている方々の家族も含めて、まちづくり教育や福祉などを含めた、大変なことをやられている」ということを改めて実感したという。

 「東北の一員として、力になれることは力になりたい」と語った。

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再生可能エネルギー戦略

 最後に、鹿内市長は、再生可能エネルギー戦略について、「9月に計画案は示すことができる。市役所で作業している」と発表し、「2020年までに、どの程度具体的に増やしていくか。太陽光、風力、地熱、バイオマスのそれぞれのエネルギー源について、取りまとめをしている」と言及。

 「行政だけでできるものではないので、市民の皆さんあるいは企業を含めて役割分担も計画の中で示していければ」と、市民や地元企業の協力を仰ぐとともに、参加型の戦略としての位置付けを語った。

 また、地元企業が再生可能エネルギーを産業化していくことに、「市として手伝っていくための取り組みも、計画の中に打ち出したい」と抱負を述べた。

 9月に案を示して、パブリックコメントで市民の意見を反映させ、できれば年内に「脱・原発依存社会の実現を目指す方針~青森市再生可能エネルギー戦略を策定していくことにしたい」と意気込みを語った。

その後の青森市議会での動き

2014年第3回青森市議会定例会一般質問(9月2日)

▲青森市議会インターネット中継より

 国のエネルギー基本計画との整合性について、市民クラブ・竹山美虎市議が「青森市はどのように考えているのか」と市議会で質問。鹿内市長は、次のように答弁した。

 「エネルギー基本計画の中では、再生可能エネルギーを重要な低炭素の国産エネルギー源と位置付け、2030年の発電力量の2割以上の導入を目指すこととしている。原子力発電については、重要なベースロード電源と位置付けている一方で、省エネルギー再生可能エネルギーの導入や火力発電所の効率化により、原子力発電への依存度を可能な限り低減させるとしている。

 本県に、大間、東通原発、並びに、六ヶ所核燃サイクル施設などの国の原子力政策が進められていることから、市民の安全安心を確保し、地域に保存する再生可能エネルギーを主体とした地域分散型エネルギーの社会の体制に転換を図るために、再生可能エネルギーの積極的な導入推進、および省エネルギーの取り組み促進によって、原子力発電への依存度を可能な限り低減をさせようとするものであります。

 このようなことから、国のエネルギー基本計画とは、原発への依存度を低減させるという点においては、整合性が図られているものと認識しています」

 これに対し、竹山市議は再質問で、「原子力発電への依存度を可能な限り低減させるという、このことについては理解をいたします」。また、「再生可能エネルギーを積極的に導入推進するというのも、地球温暖化対策上どんどん、やって欲しいというふうに考えております」としながらも、「国は再稼働を認めている」として、標題で「脱原発依存社会」との文言を使うことは、「国との整合性が取れていない」と意見した。

 鹿内市長は、「脱原発依存社会の実現を目指す方針」は、「わかりやすい表現」であるとし、「原発に依存しない社会」を目指すことは、「市民からも、県民からも、国民からも理解をいただける、そういう内容だと認識している」と答弁した。

 加えて、竹山市議は、「脱原発依存社会の実現を目指す方針」の位置付けと法律の関係についても質問した。

 青森市環境部の木村敏幸環境部長は、「法令等による策定義務はないが、中核市に義務付けられている、地球温暖化対策実行計画、この中の分野別計画、いわゆる地球温暖化対策実行計画の中の方針(新エネルギー省エネルギー対策の推進に向けた分野別計画)だ」と述べた。

 竹山市議は、「地球温暖化対策実行計画の中身は、CO2の排出抑制ではないのか。原子力発電所は、ほとんど二酸化炭素を出さない、CO2排出の抑制に寄与しているということを考えると、温暖化対策実行計画との関係の中でも、これはちょっと、おかしいのではないか」と述べ、「原子力発電所は、すべて停止しているが、地球温暖化対策にとってマイナスであると考えている。市は、どう思うのか」と質問を続けた。

 木村環境部長は、「地球温暖化対策として行ってきた、再生可能エネルギーの導入を、より一層推進し、さらなる省エネルギーの取り組みが、ますます重要であるものと考えている」と答弁した。

 最後に竹山市議は、「原子力発電所の代替エネルギーを100パーセントにすることは、大変な時間を要すると考えている。火力発電所の炊き増しで、10兆円規模の燃料費の増で、貿易赤字に結びつき、日本の国の富が海外に流出をしている事実がある。地球温暖化の進行抑制のために、現実的な対応が求められて来る」とし、この点について、市長に見解を求めた。

 これについて鹿内市長は、次のように述べ、答弁を締めくくった。

 「現実的な対応は必要であり、長期的にもしていかなければならない。原発の運転がはじまって50年以上経っているが、放射性廃棄物の最終処分場は、いまだに見つけられていないし、方法さえ確定できていない。

 原発とて、まだまだ、多くの課題があるということであり、東京電力福島第一原子力発電所事故から3年以上過ぎたが、いまだに、住み慣れたふるさとに帰れない方々が何万人もいる。その多くの原因は、原発事故だという現実もまた、私どもは認識しなければならない」

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