原爆被害は過去のことではない〜岩上安身によるインタビュー 第448回 ゲスト 東神戸診療所・郷地秀夫所長 後編 2014.8.16

記事公開日:2014.8.16取材地: テキスト動画独自
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(IWJ・藤澤要)

 原爆症は過去のことではない。東神戸診療所所長の郷地秀夫氏はそう考える。投下から何十年を経ても、原爆被害は未解明の部分が大きい。現時点の医学的通説で、すべてを語ることができないはずだ――。

 郷地氏は、原爆症認定を求める訴訟の支援を通じ、この問いに向き合ってきた。被爆者の診断を35年続けてきた経験を持ち、「原告の陳述書を何度も読み、直接会ってお話を聴くうちに、この人たちは、どう考えても、原爆症であると確信した」と語る郷地氏の言葉は重い。

 8月16日、郷地氏は東神戸診療所で岩上安身のインタビューに応じ、3.11後に被爆者が置かれた状況、戦争被害の補償に対する国の姿勢を中心に語り、原爆によって破壊されたものを取り戻すための戦いが、今も続くことを訴えた。

■イントロ

  • 日時 2014年8月16日(土)
  • 場所 東神戸診療所(兵庫県神戸市)

3.11後に広島・長崎の被爆者が置かれた状況

 国の審査を経て、「原爆症」と認定されると、医療を受けるための特別手当が支給される。だが、認定者の数は、これまでほぼ2000人で推移してきた。あらかじめ割り当てる予算が決められているとしか考えられない現象だ。

 郷地氏は、医師の立場から、原爆症認定集団訴訟の支援を続けてきた。2000年代から本格化した原爆症認定集団訴訟により、審査基準の見直しなどの成果が出始めていた。しかし、ここ数年、特に福島第一原発事故以後は、その流れに逆行し始めていると郷地氏は指摘する。

 「今、原爆症で裁判を行っている人々というのは、遠距離被曝、入市被曝の方々で、これは残留放射線と内部被曝の問題です。福島と同じような被曝を受けて病気になった方々だといえます。

 ところが、裁判での国の主張は『内部被曝は人体に影響がないという見解が、今の医学の到達点である』というものです。福島と同じ被曝形態で病気の因果関係を認めてしまうと、福島の残留放射線問題も認めなくてはならない。だから今のうちに認定基準を厳しくしているのです」。

国の姿勢:「戦争被害は受忍せよ」

 1994年に「被爆者援護法」が成立した。「被爆者」の定義から始まり、その認定制度、医療手当や健康管理といった援護制度を定めた法律である。その前文では、「原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ」と法律制定の趣旨を説明する。

 なぜ、放射線による被害だけを「特殊」だとする必要があったのか。「他の戦争被害」を受けた人の思いはどうなるのか。何か違和感を与えるこの文言の裏には、「戦争によって受けた被害は、国民が等しく受忍しなければならない」という思想があると、郷地氏は語る。

 1979年から80年にかけ、厚生大臣の諮問機関として「原爆被爆者対策基本問題懇談会」が設けられた。被爆者対策の基本理念の検討のため、東大総長経験者を含む有識者7人が参加。被爆者援護法は、この懇親会の報告書をもとに成立した。

 ところが、この懇親会をめぐっては、国家補償の範囲がシベリア抑留者や民間の戦争被害者まで広がることをおそれた政治家と厚生官僚との間で、一つの申し合わせがあった。

 当時の厚生大臣は、後に総理大臣も務めた、故・橋本龍太郎氏。国家補償の拡大をおさえたい橋本氏の意向をくんだ厚生省により「報告書に盛り込む事項」が作成され、戦争による被害は「国民が等しく受忍しなければならない」と書き込まれた。懇親会に参加した有識者からは、このような国家補償の制限に対する反対の声は、特に上がらなかったという。

 郷地氏にとって、原爆症認定訴訟とは、「あらゆる戦争災害に対する国家補償」を勝ち取るためにある。「被爆者の原告が勝訴していくことは、戦災者全体の戦いの突破口なのだと、私は考えています」。

 「戦争に対する国家の責任を取らせること。国民に対する責任を取らせること。そのことを通じて、核兵器廃絶と日本国憲法第9条を守る戦いを続ける」、と郷地氏は前を見据えた。

苦しみは、これからも続く

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