「福島の中学生たちは、放射能を怖がるのはかっこ悪いと言う」 〜長谷川健一氏×守田敏也氏 講演会 2014.5.25

記事公開日:2014.5.25取材地: テキスト動画
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(IWJテキストスタッフ・関根/奥松)

 「一番かわいそうなのは子どもたち。いまだガラスバッチも配布されない。つまり、被曝量の記録がない。これが飯舘村の実態だ」──。

 2014年5月25日、大阪市西成区の釜ヶ崎ふるさとの家で、長谷川健一氏と守田敏也氏の講演会「あの日から3年 ~福島は今、どうなっているか」が行われた。福島県飯舘村の長谷川氏(酪農家)が、原発事故直後の村の様子と現在について語り、続いて、ジャーナリストの守田氏が講演し、両者の対談も行われた。

 守田氏は「福島の声はひとつではない。残念ながら、もはや抗うことに疲れたという人が多い。福島の中学生たちの間では、放射能を怖がるのはかっこ悪いという風潮すらある。だから、福島から避難してくる人たちには、『未来の子どもたちを守ってくれてありがとう』と感謝の気持ちを伝えている」と話した。

■全編動画 1/2 主催あいさつ/長谷川氏講演

■全編動画 2/2 守田氏講演/対談

  • 講演
    長谷川健一氏(酪農家、福島県飯舘村)「飯舘村 原発にふるさとを奪われて その後」
    守田敏也氏(ジャーナリスト)
  • 日時 2014年5月25日(日)14:00~
  • 場所 釜ヶ崎ふるさとの家(大阪府大阪市)
  • 主催 西成青い空カンパ

情報を隠して帰還を促進

 主催の「西成青い空カンパ」は、西成区の居酒屋店主ら有志からなる。はじめに、同グループのメンバーが「飯舘村村民の平均初期被曝は7ミリシーベルト」という今中哲二氏(京都大学原子炉実験所)の調査データを示した。続けて、長谷川氏らのADR(裁判外紛争解決手続き)申し立てを報じた福島民報の記事を読み上げた。そして、長谷川氏の『飯舘村 原発に故郷を奪われて その後』と題した講演に移った。

 「国は情報を隠し、原発事故を過去のものにし、さかんに帰還を促す。しかし、事故から4年目に入っても、福島県最西端の只見町で採れた山菜のコシアブラから、100ベクレル/キロを超すセシウムが測定されている」。

 このように話す長谷川氏は、「発災直後、政府や県はスピーディの情報を流さず、住民は放射性プルームと一緒に避難して汚染された。自主避難者もかなりいたが、大学の先生たちの安全説法が始まり、戻ってきた人も多い」と言葉を重ねた。

 「飯舘村の危険を訴える専門家もいたが、菅野村長はそれを拒否。かつ、データの公表も阻止した。だが、近畿大学の杉浦紳之教授が再び安全説法をした翌日、飯舘村は計画的避難区域に指定されるなど、村民は翻弄された」と当時を振り返った。

除染は政府の訴訟対策か?

 長谷川氏は「いまだに、若い人たちは避難所から飯舘村に通い、特別養護老人ホームなどの仕事をしている」と言い、自殺した酪農家の友人が壁に記した遺言「原発さえなければ」の写真や、仮設住宅の様子、置き去りにされて餓死した家畜が散乱する牛舎などのスライドを見せた。

 飯舘村では20ヵ所ある放射線モニタリングポスト周辺を、自衛隊員が徹底的に除染し、土を入れ替え、放射線量を下げたという。その意味を、長谷川氏は「将来、裁判になった時、国は放射能と健康被害との因果関係を否定する。責任逃れのための事前工作だ」とし、「自分たちは弁護士と相談し、証拠能力を満たすデータを定期的に収集している」と語った。

 長谷川氏は「環境省は『除染をやった』と言い、『線量が下がった』とは決して言わない。線量の数値目標はなく、除染イコール帰村だ。政府は長期的被曝目標を年間1ミリシーベルトに設定したが、飯舘村は5ミリシーベルトに変更した。そうしたら、国もそれに乗ってきて5ミリシーベルトに上げた」と憤る。

 「昨年、どのタイミングで帰村宣言を出すのかと、菅野村長に質問したら、『家の回りの除染を終えたら、帰村宣言を出す』と答えた。だが、除染に効果がないことは自明だ」。

 長谷川氏は、福島県民健康管理調査の外部線量推計結果(2011年3月11日から4ヵ月間)のグラフを示して、「飯舘村だけ突出して高い。7割の住民が、2ミリシーベルト以上の被曝だ」と飯舘村の汚染のひどさを訴えた。なお、長谷川氏自身の初期被曝は13.4ミリシーベルトだという。

年間1ミリシーベルトで、がん死は40人

 次に守田氏が登壇。長谷川氏も言及した酪農家の自殺を取り上げた、映画『遺言』(豊田直己監督)に触れたのち、レクチャーを開始した。

 守田氏は、早川由紀夫氏(火山学者)製作の放射能汚染マップを引用して、「東北新幹線の線路に沿ってプルームが流れた」と言い、放射能の基本単位について説明した。「シーベルトは体への打撃力、ベクレルは出ている放射線数で、1時間あたり0.114マイクロシーベルトは年間1ミリシーベルトに相当する」。

 「ICRP(国際放射線防護委員会)は、年間1ミリシーベルトで10万人のうち5人が、がんで死亡するとしているが、故ジョン・ゴフマン博士は『40人が、がん死する』と主張していた」。

 「ちなみに、毎時0.6マイクロシーベルト以上の場所は、レントゲン室などのような放射線管理区域になる。飲食、睡眠、18歳未満は入室禁止と法律で決まっている。また、2011年11月まで、アメリカ人は福島第一原発から80キロ圏内は立ち入り禁止にされていて、空間線量の高い東北新幹線には乗れなかった」などと話した。

「放射能はチェルノブイリの500分の1」と言う山下教授

 続けて守田氏は、2011年10月に、除染実験で福島市の御山小学校へ取材に行った話をした。

 事故直後、福島県立医大の山下俊一教授は、「放射能は、チェルノブイリの500分の1しか拡散していない。放射能を怖がり過ぎることが、もっとも危険。マスクをしてはいけない」などと発言しており、守田氏は「この言葉が、さまざまな家庭分断の原因を作った」と糾弾する。

 「当時、小学校の近くは毎時5マイクロシーベルト。その近くのホットスポットでは毎時150マイクロシーベルト(2011年5月)。すぐに除染をした。しかし、当時の福島県は、除染の効果を認めていなかった」。

 2012年11月、福島市渡利地区の障がい者自立支援センターの外に毎時180マイクロシーベルトの植栽があった。渡利小学校の校庭でも、毎時0.52マイクロシーベルトだという。守田氏は、校庭に放棄されたモニタリングポストの写真を見せて、「この測定器メーカーには、文科省から(数値を)3割下げろと指示があり、裁判になったがうやむやになった」と明かした。

人を死に至らしめても逮捕されない東電

 「原発関連死がすでに1300人以上(2013年3月末集計)」という東京新聞の記事を見せた守田氏は、「東電は、人を殺しているにもかかわらず、ひとりも逮捕されない。安倍首相は『健康被害はまったくない』と言い、これには、271人が亡くなった浪江町が抗議した」と話す。

 そして、「現在、福島県では28.7万人中50人の子どもが甲状腺がんの手術をした。また、39人が悪性の疑いが大だという。しかも、2次検診はまだ途中だ。通常では100万人に1人の割合の小児甲状腺がんが、福島では、すでに100万人に約310人発症した。これは、明らかにアウトブレイク。さらに、心臓疾患(突然死)も増加している」と警鐘を鳴らした。

 福島での鼻血の訴えについて、専門家は「鼻血は、高線量被曝による造血機能不全から血小板がなくなって起こる」と言い、低線量被曝と鼻血の因果関係を否定する。しかし、守田氏は「低線量被曝のメカニズムは、まったくわかっていない」と主張した。なお、岡山大学と熊本学園大学は共同で双葉町の疫学調査をしており、鼻血の症状も報告されている。

東京を含む250キロ圏内は「避難区域」のはず

 福島第一原発1~3号機の現状について、守田氏は「2号機の建屋内では、ロボットすら高線量で壊れる。4号機の貯蔵プールの燃料棒だけで、セシウム換算で広島原爆の1万6000発分ある。事故当時の菅政権は、4号機倒壊時のシミュレーション(近藤駿介原子力委員長策定)を作っていた。最悪の場合、170キロ圏内は強制移住。東京を含む250キロ圏内は、希望者を含む避難区域だった」と述べた。

 そして、大飯原発差し止め訴訟判決(福井地裁・5月21日勝訴)の主文を読み上げて、「これには『各原告(大飯原発から250キロ圏内に居住する166名)に対する関係で』と書かれており、先の『250キロ圏内は避難区域』という政府見解を参考にしている」と指摘した。

 最後に守田氏は、広島と長崎の原爆以来、今も続く内部被曝の問題と、それを軽視する空気を問題にし、その危険をアルファ線、ベータ線、ガンマ線の違いから説明して、「外部被曝はガンマ線だけ。放射線の強さと、突き抜ける力とを誤解させている」と言い、危険なアルファ線、ベータ線の内部被曝を警告した。

2014/04/20 【岡山】「国は、福島の子どもしか甲状腺を調べないが、ヨウ素被曝は福島だけじゃない」 ~守田敏也氏講演会

飯舘村の土地賠償は1平方メートル「500円」

 休憩を挟んで、長谷川氏よりADR(裁判外紛争解決手続き)申し立てについて、詳しく説明があった。

 「飯舘村は、家財・土地など、3年間の避難で50%、6年間の避難によって100%全損扱いになっていた。川俣町山木屋地区は6分の2。2年間避難して2年間分の賠償をもらう。その後、1年ごとに追加。このシステムに対し、山木屋地区の住民が、6年一括賠償を請求し、東電はそれを認めた」。

 「それを知った飯舘村の菅野村長は、『ある一部の地域のADRを認めるのは、どういうことか。国のルールがあって、それを逸脱するのはおかしい』などと、東電に要望書を提出した。その後、蕨平地区もADRを申請したが、東電は、飯舘村村長の意見をそのまま返した。菅野村長は、そのことに対して釈明や謝罪などに追われ、事態は混乱、紛糾した」と経緯を語った。その上で、「菅野村長は、ひたすら帰村を促し、出て行く者には一切の支援はない。しかし、高齢者が戻って来ても生活できない」と帰村の難しさと、解決策もない村の将来を憂いた。

 さらに、「飯舘村の私の土地は1平方メートルあたり500円で換算され、10アール(1000平方メートル)で50万円だ。一方、山木屋地区は流通価格(過去の114号国道用地買収価格)を根拠に算出し、10アールあたり90万円なのだ。私は、この差額の賠償を求めるつもりだ。また、スピーディの情報隠蔽、御用学者たちの安全説法、子どもたちの被曝被害についても裁判で争っていく」と決意を語った。

 守田氏は「東電は、社員の家族を黙って避難させた。福島医科大は、関係者には安定ヨウ素剤を配っていた。証拠はたくさんある。われわれが勝訴する可能性は高い」と述べて、講演を終えた。

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