2013年6月23日(日)10時より、大阪市西成区の市民交流センターにしなりで、長谷川健一氏講演会と橋本美香氏ら制服向上委員会とのトークショー「『原発さえなければ』(飯舘村は今…)」が行われた。飯舘村の酪農家、長谷川健一氏は、原発事故が風化していく中で、地元で起きている問題について語り、「飯舘村は、国の基準を超える5ミリシーベルトを年間被曝線量の基準にしようとしている」と指摘した。
(IWJテキストスタッフ・花山/奥松)
2013年6月23日(日)10時より、大阪市西成区の市民交流センターにしなりで、長谷川健一氏講演会と橋本美香氏ら制服向上委員会とのトークショー「『原発さえなければ』(飯舘村は今…)」が行われた。飯舘村の酪農家、長谷川健一氏は、原発事故が風化していく中で、地元で起きている問題について語り、「飯舘村は、国の基準を超える5ミリシーベルトを年間被曝線量の基準にしようとしている」と指摘した。
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はじめに、長谷川氏は「福島県の双葉地区のことは、マスメディアからどんどん忘れられ、原発事故のことも新聞にまったく載っていないのが現実である。しかし、地元では非常に問題になっている。今、どうなっているのかを話したい」と切り出した。
「国は『除染する』と、しきりに言ってる。しかし、環境省は、ただ単に『除染させてください』としか言ってこない。私は『それではダメ。除染にあたって、物事を一つひとつ決めないうちはできない』と言っている。そうこうするうち、除染が進まないのは住民が同意しないから、ということになり、(自分が)悪者になってきた」と、長谷川氏は語る。
「しかし、そうではない。われわれは除染をしてもらう。それは徹底した除染だ。除染の1番の目的は、子どもたちが外で安心して遊べる環境にすることである。除染して、線量をどこまで下げるのかを尋ねているのだが、その数字は絶対に出てこない。そんな中で、ただ『やらせてください』ということだけを言っている。これを認めるわけにはいかない。これを認めると、適当に除染して、『時間をかけて一生懸命やりました。村に帰ってください』と言ってくるのではないか」と不信をあらわにした。
続けて、「そんな中、非常に情けないことが起きている。国では長期的に除染して、年間追加被曝線量は『1ミリシーベルトを目指す』と言っている。ところが飯舘村は、『5ミリシーベルトを目指す』と言う。5ミリシーベルトという数字は、チェルノブイリであれば、強制移住のラインである。日本でいえば、病院の放射線管理区域だ。飯舘村は、そういうところを目指すのか。村は、『国の言う1ミリシーベルトを目指していたのでは、10年後も15年後も村に帰れない。多少のリスクはしかたないので、5ミリシーベルト』だと言う。こんなことを、絶対に認めるわけにはいかないので、猛反発している」と憤った。
質疑応答では、参加者から「飯舘村に行って、私が線量を測った中で最大が、毎時3マイクロシーベルトだった。数値は場所によりまちまちであるが、長谷川さんの印象で、本当に危ない地域はどれぐらいあるか」と、質問があった。長谷川氏は「どれぐらいで危ないのかは、私にわからない。しかし、あってはならないものがあることが、異常ということである。今、飯舘村では、放射線の安全教育が進められていて、『自然界にも放射能がある。毎時5マイクロシーベルトぐらいの国はいくらでもあり、みんな普通の生活をして、何の異常もない』と、学者が話している。私は、それに対して猛反発している。われわれが言っているのは、自然界の放射能ではない。今回の爆発事故によって放出された、ストロンチウム、プルトニウムというものに対しての危機感である」と答えた。
長谷川氏と制服向上委員会とのトークでは、橋本美香氏が「2年前の夏、『原発事故夏期講習』という催しを制服向上委員会が行なった時、長谷川氏に会って、飯舘村の事故直後からの映像を見て、すごい衝撃を受けた。今日の話では、若い人たちが、村のこれからを考える集会に集まらないと言っていたが、それは、私が各地の集会に参加している時に感じることと同じだ。若者の方が、これから放射能のことを考えなければいけない。にもかかわらず、彼らは参加しない。何か思い当たることは」と、長谷川氏に問いかけた。
長谷川氏は「飯舘村の若い人たちは決めている。村には戻りたいけど、戻れないと。『戻りたいけど』よりも『戻れないでしょう』という言葉が強い。あきらめの心境になっていると思う。だから、そういう集まりに対しても出てこない。以前、村の説明会で、村長に意見をぶつけた若い人がいる。『よく会場をご覧ください。若い人がいないでしょ。なぜですか。なぜ集めようとしないのか』と。村長は『若い人たちは、それぞれに仕事を持っているため、夕方や夜の集まりに来るのは大変だ』などと言う。つまり、(はじめから若い人を)集めようとはしていないのだ」と答えた。
長谷川さんもうやめて下さい・・・避難前は私達家族も飯舘にいましたが、今行われている健康調査での定期内部被ばく検査でも毎年異常ありません。今は避難生活ですけれど、私達の家のある地域は比較的線量が低いので、村の除染が一段落して線量がきちんと下がっていることを確認できれば帰村を希望しています。
私は飯舘に頻繁に行っていますが、その質問された男性の言うとおり、自分で測っても最近の飯舘は線量は低いです。
講演の中で長谷川さんは比曽地区を例に出しましたが・・・そこは飯舘村内でも線量が高い方の地域です。村で唯一帰宅困難区域になった長泥地区の隣に位置する地域ですから。
同じ飯舘でも線量の高い地域と低い地域ではかなり違いが有りますし、飯舘でも大丈夫な場所は存在します。
なので私は時々子供をつれて飯舘に私は行ってます。それでも検査して体に異常は毎年見られないのです。
異常がないのにこれから何かがあると言われてしまうのは脅しです・・・・
もうやめましょうよ。いつまでたってもあなたが騒ぐから私達まで変な目で見られるし差別されてしまうではありませんか!
戻りたくない人と戻りたい人がいるんですから、過剰な危険説は迷惑です。
私達にしてみれば・・・体に異常がないのに「この先なにかあるでしょう」と言われるのは納得いきませんし困ります。
追記・・・・
ちなみに家の子供達は学校で皆勤賞です。
避難直後も飯舘の子供達は運動や外活動を制限されていました。避難直後、飯舘の幼稚園・小学校・中学校が隣町の川俣で空き教室を借りて再開しても、中学校の部活は全部停止でしたし、小学校でも外の活動はすてべ行われませんでした。(今現在は再開されています)
そんな中、私達家族は、震災後も子供にスポーツをさせていました。福島県民全体に言えることですが・・・原発爆発後、福島では線量を懸念し、福島県民の子供達は震災後運動をさないご家庭が多かったので、確かに飯舘村民に限らず、子供達の体力低下が問題視されていました。その為病気しやすい子供が多かったように思います。
当時、福島では子供を外で活動させる事を懸念する声が有りましたが、人々の中でも外活動させる人とさせない人に二分していました。
そんな中、私達は逆に放射能を気にするより子供達をなるべく体を動かすことをさせていました。
お蔭でうちの子供達は風邪ひとつひきません。震災後から避難まで私達家族は飯舘にいたにも関わらず健康的に福島で暮らせているのは、体を動かすことをさせていたからだと思っています。
放射能の被害よりも、ある意味過剰に騒ぎ立てることによって行動を制限したほうが病気になり易かったのだと今実感しています。
本来、他のお子さんよりうちの子供の方が被ばくするような行動が多かったかもしれません。この線量で病気になるのであれば、被ばくを気にして行動を制限させた子供の方が健康なはずです。しかし、実際はその逆です。現にうちの子は風邪ひとつひかず学校も皆勤賞で健康そのものなのは、やはり避難後も体を動かすことをしていたか?否か?にも原因はあったように思います。
長谷川さんはあちこちで講演されているようですが。今は過剰に騒がずに経過を見守っていく段階ではないか?と個人的には私は思っています。
過剰に騒げば、みんな過剰に危険性に反応してしまい、私達のように飯舘にも行き来しながら避難先で生活している人にとって「そのうち癌になるだろう」のような目で見られてしまう危険性があるからです。健康で暮らしていても、周りでそう見られてしまうことに憤りを感じますし、正直・・・辛いです。
私とて、安心していると言うわけではありませんが、過剰危険説も健康で暮らせている私達家族にとっては辛いのです。
本当に事実と違うことまで言って良くも悪くも騒ぐのはやめて欲しいと切に願います。長文失礼しました。
再追記・・・私も飯舘の若い人達の部類に入るのかもしれません。
>>。若者の方が、これから放射能のことを考えなければいけない。にもかかわらず、彼らは参加しない。何か思い当たることは」と、長谷川氏に問いかけた。
↑ 私は戻りたい派ですが・・・・・みんな過剰に騒いでいる中で自分の意見や本音をぶつけても批判や攻撃されるのが分かっているから参加できないのですけどね・・・・もう少しきちんと事実を把握するには時間が必要だと思うと言っても攻撃されるだけですから・・・・・危険一色の意見以外の意見は攻撃されて終わりです・・・・
健康で暮らしていること自体が危険説を過剰に唱えている人達にとっては都合が悪くなってしまう・・・
だから、「そのうち癌になる・白血病になる・白内障になる・(かも知れない)」
こんな事言われながら暮らすのもしんどいですよ・・・・・それはいつなるんでしょう?分からないわけですよね?
せめてあと3年は黙って経過を見て欲しいと思います。結論を先に出すのではなく、きちんと今は経過を把握していくべきだと思います。それは無関心でいると言うのとも違うと思うんです。
先に述べたように、私はいづれは戻ることを希望はしています。ただし帰村宣言がでてもすぐにとも考えていません。帰村宣言が仮に出たとしても2年くらいは飯舘の様子を見て線量が本当に下がっていることを確認できて、私達も今までと同様に体に異常がなければ初めて戻るつもりです。
長谷川さんは左目に異常と仰ってますが。ご年齢を考えると目に異常ができてもおかしくないご年齢ですし・・・・
最後に・・・原発さえなければ・・・・このタイトルには共感はしています。
こんな物さえなければ本来の飯舘は、自然が美しい村でそこに住む人々は情があって住みやすい所だったんですよね。
原発が人々が苦るしめたんですよね。こんな物さえなければ、皆幸せだったんだと思います。
SVやガイガーカウンターなんて知らない方が人々は幸せなのだと思います。原発再稼働には反対です・・・
飯舘村の村民の人がこのような事を活動されている人もいるのですが・・・
http://www.mocweb.co.jp/iitate/youbousho.html
注目してほしいのはこの部分・・・
>>•放射能対策はその封じ込めが原則であり、飯舘村を放射能対策総合基地に指定して中間貯蔵施設の建設をする。条件によっては最終処分場をも受け入れる可能性も排除しない。
長谷川さんは飯舘村を帰村させることは原発を再稼働させられることになると言うお考えをお持ちだと思います。
しかし、私はその逆を思っています。
飯舘を最終処分場にしてしまえば、再稼働の片棒を担ぐことになりはしないのか?と不安です。
今国では高濃度放射性物質の置き場所を探しています。それができてしまえば、全国の原発は再稼働出来るからです。飯舘村が手をあげて新天地に移り今の飯舘の場所をそれに提供してしまえば国の思うツボになってしまうのでは?
そういう意味においても今の飯舘の土地を誰かが守らなければならないと私は思います。
高濃度放射性物質の置き場所がないから、再稼働にブレーキがかかっているのに、それを飯舘が提供する事には私は反対です。ブレーキを外してしまう恐れが心配です。