「解釈改憲は、憲法を知らないということ。憲法に失礼だ」 ~憲法サロンin郡山 谷口真由美氏 岡野八代氏 2014.5.18

記事公開日:2014.5.18取材地: テキスト動画
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(IWJテキストスタッフ・花山/奥松)

 「集団的自衛権は、ヤンキーの喧嘩。『友だちが殴られたから、自分が殴り返しに行く』という昔の学園ドラマのようなもの」──。

 2014年5月18日、福島県郡山市のミューカルがくと館で「出前・憲法サロンin郡山 黒帯教室『ケンポー読んだことありますか?』」が行われた。京都で憲法サロンを開催する、京都96条の会代表の岡野八代氏と、憲法サロン第1回にも招かれた谷口真由美氏(大阪国際大学准教授)が、軽妙な口調で憲法や集団的自衛権の問題について語った。

 岡野氏は「現行憲法は、市民一人ひとりの基本的人権を守ることを政治家に命じている。そして97条で、憲法は国家の最高法規であり、権力者はこれを遵守しなければならない、としている。にもかかわらず、現行憲法下で政治家になった人たちが、憲法を守っていない。さらに、憲法を蔑視するような発言を繰り返すという非常事態だ」と憤った。

 谷口氏は「朝起きた時に『今日も憲法があってよかった!』と思う人は誰もいない。空気みたいな、あって当然のもの。しかし今、一人ひとりがもっと真摯に向き合わないといけない」と力説した。

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6分20秒~開会

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  • 講演 谷口真由美氏(大阪国際大学准教授、全日本おばちゃん党代表代行)
  • 司会・聞き手 岡野八代氏(同志社大学教授、京都96条の会代表)

自民党改憲草案、これが憲法なら世界の笑いもの

 岡野八代氏は現行憲法の重要性を、「私たちの基本的な人権を守らなければならないと、政府や権力者に命じているのが憲法である。一人ひとりにとって、本当に大切なもの。そして、すべての法律は、憲法に基づいて作らないといけない。つまり、基本的人権を侵害する法律は作ってはいけないと、憲法が命じている。だから、最高法規と言われるのだ」と話した。

 「経済危機や、福島原発事故のような予測できない事件や事故、大災害が起きた時に、その時々の権力者が『人権よりも(政治の都合を)優先すべき』的な変更ができないように、政治家であっても踏み込んではいけない大切なことが、憲法には書かれている」。

 さらに、自民党改憲草案に触れた岡野氏は、「私の理解では、改憲草案は憲法という名に値しない。これを憲法と言ったら、世界の笑いものになるほど恐ろしいものである。まず、第1条で天皇を『元首』としている。これで何が起こるかというと、天皇に近い権力者と国民との間に序列ができる。法の下の平等が著しく傷つけられる」と指摘。

 「もうひとつ、現行憲法の99条には、天皇または摂政らの憲法遵守義務を書いている。しかし、改憲草案は、この『天皇』を削除して『国民』と書き直している。『全て国民は、この憲法を尊重しなければならない』として、天皇から憲法遵守義務をなくしているのだ。国民主権という基本的な原理を侵害して、天皇が治める国にしようとしている」。

権力の暴走による多くの犠牲の上に成立した現行憲法

 続けて、「9条2項の削除で、集団的自衛権の行使を認める規定に変更し、基本的人権の尊重が謳われている11条、13条も変更されている。現行の97条では、憲法は国家の最高法規、権力者は遵守しなければならないとしているが、現行憲法下で政治家になった人たちが、これを守らない行為をしている。彼らが憲法を蔑視する発言を繰り返すことは、非常事態だ。そして、草案では97条も削除。かなり、『安倍的な本音』が現れているのが、自民党の改憲草案である」と指摘した。

 「13条は、とても大切である」と岡野氏は力を込める。「『すべて国民は、個人として尊重される』というのであれば、『人を殺せ』とは命じられない。最大に尊重されるべき幸福追求権によって、『私の幸福と、戦争に行くことは相反するので嫌だ』とはっきり言えるのだ」。

 その上で、「こうした条文は、天から降ってきたわけではない」と述べ、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果、過去幾多の試練に耐え、権力の暴走で多くの人が命を奪われて、ようやくできたのが、この憲法の考え方である」として、「今の自民党の動きは、歴史を踏みにじる行動」と批判した。

「邦人救護」を言うなら、まず「自己責任論」を撤回せよ

 次に登壇した谷口真由美氏は、「集団的自衛権という考え方は、憲法9条をどうひっくり返しても出てこない」と話す。

 「安倍首相の、集団的自衛権行使についての会見(5月15日)だけを見て、『海外で困っている日本人を助けに行かなくては』と言う人がいる。かつて、日本の若者がイラクで人質にされた事件が起きた時、当時の小泉首相は『自己責任。帰って来るなら迎えに行ってもいいが、飛行機代を出せ』と言った。しかし、安倍首相は『ボランティアに行った日本の若者を守れないような国は、国ではない』と言う。ならば自民党は、まず当時のことを謝らなければならない。人質事件の時は、自民党政権だったのだから。こうした矛盾をしつこく言い続けることは、大切なことである」。

 そして谷口氏は、海外の日本人が憲法9条によって守られてきたことを強調した。「日本人は戦争をしないと他国に思われているから、攻撃を仕掛けられる頻度が圧倒的に少ない。他国の若者はもっと攻撃されている。また、日本のパスポートは世界最強のパスポートで、約180の国と地域にビザなしで、もしくは空港に着いた時のビザで入れる。日本が戦争をしない、お友だちがたくさんいる国だからできることだ。これは、『よその国に喧嘩をしに行かない』ということで担保されてきた」。

集団的自衛権はヤンキーの喧嘩

 「集団的自衛権とは、『友だちが殴られたから、自分が殴り返しに行く』という昔の学園ドラマのようなもの。ヤンキーの喧嘩である。重要なのは『友だちだから』であり、喧嘩の原因は関係ない。これのどこが、憲法9条と整合するのか」。谷口氏は、こう疑問を投げかけると、次のように続けた。

 「今、世界にある紛争は、すべて自衛のための戦争という名目で始まった。これが、いわゆる個別的自衛権。自分の国がやられたとか、やられそうになっているから、やるというもの。個別的自衛権は、日本にもある。だから、『日本が攻撃されたり危機になった時、やり返せない。自分たちを守ることができない』というのは嘘である。個別的自衛権は、どこの国にもある」。

 続けて、集団的自衛権について、「国連の安全保障理事会の常任理事国が持っている拒否権は影響力が大きく(一国でも反対したら安全保障理事会は何もできない)、小国にとってむちゃくちゃ怖いもの。そこで、ラテンアメリカの小国が、大国に攻撃された時に、仲のいい国と共同で立ち向かおうとして作ったのが集団的自衛権。だから元々、大国に対抗するためのものであって、大国が使ってはいけない権利とも言える」と言明した。

 「国連を中心とした考え方に、集団安全保障体制がある。だが、どこかで紛争が始まった時、すぐに集団安全保障体制を作って対応できるかというと、それは難しい。こうした特殊な状況下の、ある一定の条件の場合に、集団的自衛権を使ってもいい、というのが当初の概念である」。

 そして谷口氏は、次のような指摘も行った。「友だちが殴られているのを見捨てるのか、と言う人もいる。だが、その友だち(アメリカ)には莫大なお金をあげていて、基地という便利な拠点も提供している。『集団的自衛権の行使で一人前の国になる』という人たちは、日本の米軍基地をどうするのかは、何も言わない。非常にトリッキーな議論をしている」。

無知の安心、少知の不安

 谷口氏は「人間には『無知の安心、少知の不安、熟知の理解』というのがある。これは『知らないことは強いこと。ちょっと知ると、ものすごく不安になること。熟知してわかってしまうと、自分で納得できること』を表している。だから、憲法にしても、理解して自分のものにしてしまえば納得する。人間は知ることからしか行動できないので、憲法のことを知っていただきたい」と力を込めた。

 「解釈改憲することは、憲法を知らないということだから、憲法に対して失礼である。よく知りもしないことを良いとか悪いとか、どうして判断できるのだろうか。古いというだけで否定するとか、現代に即しているから良い、ということで選んではいけない」。

 谷口氏は「国民一人ひとりが憲法を理解した上で、変えた方がいいと思う人は、変えることを考えればいい。変えないほうがいいと思う人は、なぜ守らなきゃいけないのかを、きちんと言えるようにならないと」と話し、「護憲派も改憲派も、9条しか読んだことがない人が多い。問題は9条だけなのか。話には筋がある。憲法には前文があって、そこから9条を見た時、意味が変わってくるのだ」と憲法を理解することの重要性を語った。

「憲法があるから今日も爽やかだなぁ」と誰も思わへん

 さらに、谷口氏は「憲法が守ると言っている基本的人権が、今や、ないがしろにされている。私たちは不断の努力で、憲法が守られているかどうか、見張っていかなくてはならない。それが、国民の役割である。もし、守られていない時には、『憲法が守られていないぞ』と声を上げなければいけない」と、国民の役割を説いた。

 また、国民の義務と権利について、次のように話した。「私たちは『憲法を守らなければいけない、それが義務』と思ってしまうが、憲法が示しているのは、国民に納税と勤労と教育をしてほしいということだ。しかし、今の世の中は、勤労や納税ができない人を『義務を果たしてない』とバッシングする傾向がある。働けない時、お金がない時でも生きていけるように他の人たちが支えましょう、というのが憲法であるのに、今は義務の話ばかり。他人の義務をあげつらう人たちは、憲法がなければ、自分の権利が侵害された時に、誰も守ってくれないことがわかっていない」。

 そして、「朝起きた時、『今日も憲法があってよかった!』と思う人は、誰もいない。空気みたいなもん。この空気のように大事なものに、国民一人ひとりが、もっと真摯に向き合わないといけない。今の日本は、そういう危機的状況である」と懸念を表明した。

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