【ドキュメント台湾国会占拠(13)】学生らがついに立法院を退去「今日は終わりでなく始まり」 ~岩上安身による密着レポート 2014.4.19

記事公開日:2014.4.19取材地: | テキスト動画
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(現地取材・文 原佑介/現地取材協力 林、邱崇偉、廣瀬光沙/取材 岩上安身、須原拓磨/記事構成 佐々木隼也/文責 岩上安身)

 「この運動に終わりはありません。私たちは理想を抱えここに来て、責任を引き受けてここを去ります。そして台湾こそが、これからの私たちにとって重大な責任であるのです」――。

 中国とのサービス貿易協定に反対し、立法院を占拠した学生たちが、占拠から24日が経った4月10日、ついに立法院から退去した。

 立法院院長の王金平氏が6日、学生らの要求を一部受け入れ、同協定を国民が監視する「両岸協議(協定)監督条例」の法整備が整うまでサービス貿易協定の審議を行わないなどと約束。これに対し、学生らが退去に応じたもの。

 退去前夜、9日の深夜には、IWJ代表の岩上安身も台湾の首都・台北に入り、10日の退去の瞬間の密着取材にあたった。

■岩上安身による立法院外レポート(10日:退去前)

 占拠中の24日間、連日、数千〜数万人が座り込みを続けた立法院周辺では、退去に先立って学生らが道路の掃除、物資の回収作業にあたっていた。物資ステーションには、役目を終えた寝袋や敷物、布団などの回収された生活支援物資が集まっていた。

 台湾国内の一部報道では、今回の運動に参加した学生らを「暴力学生」と批判するものもあったが、立法院周辺の道路には、この日もゴミの一つも落ちていなかった。一部報道によって貼られたレッテルを跳ね返そうとするかのように、学生らはあくまで非暴力を貫き、かつ、最後まで理性的に振る舞った。多くの一般市民の支持を得た理由が、こうした学生らの行動の節々から垣間見える。

▲回収された支援物資の寝袋

▲回収された支援物資の寝袋


▲積み上がったカラフルなクッション性のパネルや回収された物資

▲積み上がったカラフルなクッション性のパネルや回収された物資

「ここからが始まり」~退去に備え議場内を修繕する学生たち

■占拠最終日の立法院議場内レポート

 退去の瞬間に立ち会うため、現地協力者の力添えを得て、IWJ取材班はこの日も議場内へと踏み入れた。学生らは、この日の18時をもって議場から完全撤収すると宣言していた。最終日の議場内には、普段より多くの学生らが集まり、忙しなく掃除を続けていた。当然だが、メディアの数も普段に比べて増している。

 立法院内で岩上安身のインタビューに答えてくれた大学院生・邱(キュウ)信瑋さんは、「議場の占拠も、本日の退去も、突然でした。王立法院長の発言に我々は応えるべきだと思い、退去を決断しました」と説明した。(動画5分位から)

――何日くらい入ってるんですか?

「12日くらいです。ただずっとここにいるわけでなく、3回に分けて入っています」

――どこの学生さん?

「屏東(ピントン)教育大学の大学院3年生です」

――どういう思いでここに突入し、どういう思いでここを去るのでしょう?

「立法院に突入するのも、退去するのも、どちらも突然でした。入った時はこんな長い時間ここを占拠するとは思わなかった。このあいだ立法院長から答えをもらって、それに対して何か応じないといけないと思って、ここを退去することになりました。だから始めから最後まで突然でした」

――退去するといって、運動が終わったということではないのですね?

「今日は終わりでなく始まりです。ここから出て、ここで学んだ、法律、憲法、民主主義について、外の人に教えようと思っているので、ここが始まりです」

▲「これが運動の終わりではなく、これからが始まりです」と語る邱信瑋さん

▲「これが運動の終わりではなく、これからが始まりです」と語る邱信瑋さん

 議場正面、「三民主義」を掲げた孫文の肖像画の両脇の出入り口の封鎖も、午後3時半過ぎ、解かれはじめた。立法院になだれ込んだ学生が、警察らの侵入を防ぐために、真っ先に封鎖したゲートであり、今回の立法院占拠をもっとも象徴的に示す封鎖だったバリケードは、普段は国会議員が使用している椅子を山積みにして作られたものだ。

▲最後にバリケードの封鎖を解く学生たち

▲最後にバリケードの封鎖を解く学生たち


▲椅子と椅子を結んだ紐を解く

▲椅子と椅子を結んだ紐を解く


▲王金平立法院長の椅子からガムテープあとを丁寧に剥がす学生

▲王金平立法院長の椅子からガムテープあとを丁寧に剥がす学生

 議場の職員など、誰か「オトナ」が出て来て片付けを行うのではない。封鎖した学生たち自ら、封鎖を解き、ロープをほどき、紐を切って、議長席の椅子をはじめ、議員席の椅子を片付けていく。撤去後、椅子を修繕していた女子学生の梁(リャン)昀婷さんは、岩上安身のインタビューに、「議場を元通りにするのは、ここを占拠した私たちの責任です」と語った。(動画40分から)

――どうしてみなさんは丁寧にイスを直したり、丁寧に片付けをしているのでしょう?

「もともとは平和の理念で抗議しているから、この議場を元に戻すのは我々の責任です。非暴力を掲げていますから。みなさん、我々を暴力的だと思わないでください」

――なるほど。非暴力的な行動を貫くことが、自分たちの責任の取り方だと?

「そうです」

――何日くらいここにいたのですか?

「立法院外に十何日かいて、中にも十何日かいました」

――何日もこの中にいて、何が大変でしたか?

「中より外の方が大変だと思います。外では暑かったり寒かったり雨が降ったりでしたが、中で一番辛かったのは、クーラーがついていないので蒸し暑く、お風呂もなかなか入れないことでした」

――今日退去する気持ちを教えてください。

「本当に複雑な心境です。今日は終わりではなく始まりです。皆とこれからも闘い続けると思います」

――この占拠はサービス貿易協定反対から始まったわけですが、それは今後も貫けると思いますか?

「これからも皆と一緒に頑張って、政府の立法と、政府のやり方を監視して、皆とこの国を守っていきます」

▲イスを修繕していた女子学生・梁昀婷さん

▲イスを修繕していた女子学生・梁昀婷さん


▲退去に備える学生たち

▲退去に備える学生たち

 17時30分、退去前の最後の集会が始まった。集会にあたって、メディアに、「人民会議意見書」が配布された。4月5日から、1000人以上の市民らが、立法院の外で開催してきた「人民議会」という討論会でまとめられた意見書である。「両岸協議監督条例」に対する人民会議の審議の結果、学生らは、以下の6つを主張した。

  1. 市民は、広く実質的で細やかな、平等に、両岸協議に参加し監督する機会が必要である。市民には、国民投票を通して、直接民主的に参加し、決定する権利がある。
  2. 情報の公開。国民の知る権利を保障するべきである。
  3. 両岸協議の内容において、我々は、国家安全保障、民主主義、自由、人権値、文化、アイデンティティ、環境、生態、分配の正義などの人権的価値を守る必要がある。これらは、経済発展よりも優先されなければならない。
  4. 両岸協議の影響評価は、必ず長期的で、確実に、客観的に行われるべきである。政府が行う影響評価以外、独立した民間機関での評価が必要であり、また、産業に対する影響評価は、必ず、弱小産業及び労働者への影響を重視しなければならない。
  5. 国会は、両岸協議に対して、実質的な審査と監督を行う権力を持っているが、関連する制度の改革が必要である。審議と監督を行う際、党の意向だけを聞き、民意を聞かない、立法員を避けるためである。
  6. 両岸協議は、物事を決める際に必ず交渉を行い、主権を守る原則に基づいて行わなければならない。台湾の主権地位を矮小化してはならない。民主的で自由な国家体制を犠牲にすることはできない。

学生リーダー陳氏「もし議会が少数に握られることがあれば、私たちはまた帰ってくる」

▲退去にあたって演説する学生リーダー・陳為廷さんと林飛帆さん(右)

▲退去にあたって演説する学生リーダー・陳為廷さんと林飛帆さん(右)

■学生リーダー二人のスピーチ

 学生リーダーの一人である陳為廷さんは、当時を振り返りながら、最後の挨拶をした。以下、陳氏のスピーチ全文を掲載する。

 「24日前、私たちは国家体制の暗闇に直面し、この場所にたどり着き、収穫をたずさえて、ここを後にします。昨夜仲間たちとともに、この場を去った十年後二十年後、運動のことを思い返すとき、どんなことを思い出すだろうかと話し合っていました。

 私たちは、まず、ここに入った一日目の夜、大門を破り、続けて起こり得る強襲に立ち向かおうとした時のことを思い出すだろうと思います。あの夜、私たちは、まさに重大な出来事に直面していることを知りました。しかし、これから何に直面しようというのか、はっきりと理解しているわけではなかった。

 あの夜すぐさま数万人の市民が押し寄せたことを憶えています。NGO団体は手元の仕事を投げ出して昂然と加わり、青島東路と濟南路での活動にあたったことを思い出します。一時は学生たちと共に攻め込んだ、中山南路の公投盟の、民主運動の先輩方のことも忘れてはいけません。議場外でのあらゆる作業の割り振りを担当しました。その後も数多くの学生と市民が押し寄せたことも、始めからこの運動が学生運動であるのみならず、事実上、始めから市民の運動だったことを示しています。

 私はここで、議場外のすべての、緑盟を含むNGOの仲間たちに、拍手を送ります。あの夜のあとには、議場の中と周辺で、また台湾各地と世界各地で、運動に注目し、参加した仲間の、その様々な作業と努力について思い出します。数多くの繁雑とした作業がありました。議場の8つの門を守る仲間、毎日24時間交代で二階のハシゴを守る仲間、私たちを守り、入り口や議場外で警備に当たった仲間、医療団と法律家団のボランティアたち。みな骨の折れる作業ですが、滅多に人の目に触れることがありませんでした。

 彼らの意見を、意思決定のプロセスまで伝えることもしばしば困難でした。仲間の中には学生もいればそうでない人もいました。一日目から現場で黙々と清掃作業、リサイクル、ゴミ処理の仕事を始めた林先生のような人もいました。

 あるいは議場外の仲間の中には、学生ではない市民がいましたが、普通の市民に比べ人前に出るのを恐れていました。彼らは警備を務めました。何度か外部の人間がナイフや危険物を持って入ろうとしたときに、協力し、運動の継続を守ったのは彼らです。

 彼らの多くにはヤクザだという人も確かにいたので、表に出るのを恐れていました。彼らがヤクザであろうと、ある晩皆で会議を開いたとき、その中の一人が皆に話したことはいつまでも忘れがたいです。彼にはヤクザというバックグラウンドがあって、また学生たちが彼を見て怖がることも知っています。けれど本当に運動に関心を持っていて、法律の条文も、サービス貿易協定の条文もすべて読んで、この運動に加わりたい、運動を見守りたいと思ったのです。

 たとえ自分が「誰にも見られない存在」だと分かっていてもです。議場内外、全台湾、全世界各地で作業に携わりながら人の目に触れることのなかった仲間たちのすべてが、この運動を支えました。運動はみなさん一人一人のものです。

 もちろん、なぜこういう人は「誰にも見られない存在」なのか、なぜ学生運動という線の外に置かれてしまうのか、ということについて反省する必要があります。これは私たちが共有すべき反省点です。もし関心を持つ意義のある問題なら、もしどの人も参加すべき運動だとするなら、それは学生だけのものではなく、黙々と作業し、黙々と運動に関わりながらも「誰にも見られない存在」であった市民と仲間たちのものであると、社会は認識すべきです。

 他にもまだ多くの忘れがたい時がありました。3月23日の夜、多くの仲間が、行政院の暗闇の中で、剥き出しの警棒と盾、放水車、鎮圧部隊に立ち向かい、前代未聞の、生まれ育った中で見ることのなかった、体験したことのなかった、剥き出しの国家暴力に立ち向かったことを、忘れることはできません。

 あの夜の怒りと恐れを憶えています。あの夜を過ぎた後の、互いへの疑いと信頼を憶えています。また同時に、3月23日行政院での行動は、すべての人びとにとっての偉大なる戦いであり、この戦いが、人びとがどれほど怒りを抱いているか、国家がどれほど専制的であるか、はっきりと人びとに、世界に、知らしめたことを、永遠に憶えています。これは私たちが憶えている行政院での行動のすべてです。行政院での行動の後、より多くの怒れる人びとが街に出たことを思い出します。

 3月30日、黒い人波が街に押し寄せ、政権を沈め、全台湾、全世界各地数10か所の都市で行動を起こした人びとの団結と、意思を、政権に見せつけたこと、私たちは忘れません。最後に、3.30大規模デモのあと、夜にはどしゃぶりの雨が降り注ぎ、数日降り続き、議場外の仲間を押し流しましたが、私たちの信念は流されなかったことも、もちろん忘れはしません。

 仲間たちは、小屋の下で雨をしのぎ、しょんぼりと椅子を運びながら、傘をさしながら、道に座って運動に参加し続けました。大雨に左右されることは決してありませんでした。大雨のあと、50万人の仲間は故郷に帰り、彼らの生活に戻り、運動が街だけにとどまらず、生活の中から進んでいくものだと、地方から展開するものだと知りました。

 だからこそ、多くの中南部の学生で組織された民主黒潮聯盟が国民党に対してプレッシャーをかけ続けていました。50万人の集団行動のあと、民主審議チームが議場の外で、私たちが関心を寄せる「サービス貿易協定」、「両岸監督条例」の実質的な審議を行っていました。私たちの武器は民主を深めることだと、それが運動の中で深まり続けている成果であると、与党に見せてやらねばなりません。

 以上に挙げたのは、私たちが深く記憶していることです。私たちは永遠に憶えています。

 運動はこの経験を共にしたすべての皆さんのものです。私たちはまだ成功していませんが、失敗もしていません。運動にはまだ多くの問題があります。それには皆さんが疑問を抱いている意思決定のシステムに関する問題、緑のミリタリージャケットのヒロイズムという問題(※緑のジャケットを着ている姿がよく見られたリーダー・林飛帆が、過剰にヒーロー化されているという点を指摘した問題)があります。

 あらゆる問題、この後に続く批判と検討はすべて受け止めます。皆さんの質疑をはっきりと理解します。運動の中でさまざまな試みもしましたが、明らかに十分ではありませんでした。今後の運動において、これらの問題がよりよい答えを導き、いまだ果たされていない要求についても、あとに続く組織運動の中で、どうにか達成していけるよう望んでいます。

 最後に、議場の中と外の学生たちに言いたいことがあります。いつか、私たちが対抗される大人になった時、この人生の中にとても重要な24日間があったことを忘れてはいけません。この24日間とそれに続く日々は、盛大なる戦いであり、政権のみならず財団に対する戦いでもあります。同時にこの体制の中に生きる私たちにとって、いかにして人としてのベースラインを守り抜くかという厳しい試練でもあります。これは私たちが経験したことのすべてであり、議場を出た後も、運動はまだ続いていきます。

 もし政権が悔い改めないなら、もし議会が少数の権力者や財団に握られることがあるなら、私たちはまた帰ってきます。しかもここだけに限りません。すべての仲間たちが、続く道のりの上で、互いの傷や収穫をたずさえながら、24日間のうちに結集させた良識と、引き受けた責任をたずさえながら、すべての仲間たちが、勝利するその日、運動の最終地点で、肩を並べて抱きしめ合えることを願っています。ありがとうございました」

学生リーダー林氏「この運動に終わりはない」

 続いて、もう一人の学生リーダー・林飛帆さんがスピーチ。以下、全文掲載する。

 「守り抜いてきた24日間の最後に、私は、最も簡単な方法を使い、みなさんに、私たちの未来に対する次の一歩を説明します。

 国会から退出すること、議会から退出すること。それは、本当に難しい決断であり、大きな勇気が必要な決定でもあります。議場から出たあとに、我々が直面する皆からの期待や、責任と圧力は、ここを占拠しつつけることより少なくないということを、私たちは分かっています。

 国会を退出すること、議会を離れることは、私たちの諦めを意味するものではありません。私たちが後退したという意味ではありません。私たち、この世代の民主運動は、3月18日あの瞬間から始まったのではありません。

 私たちの行動は、台湾の百年来の反抗の歴史、自由と民主主義を追求する歴史の延長です。私たちが継続したものは、今までの全ての反抗運動の命です。議会を退出し、国会を離れる事は、決して諦めや後退ではありません。今から言う、三つは、私たちがおこなっていかなければならない、とても大切な仕事です。

  1. 私たちは、必ず両岸協議監督条例の法制化を引き続き監督しなければならない。
  2. 私たちは、両岸貿易協議の審議に引き続き注目する。
  3. 私たちは、市民憲政会議の推進をあきらめない。

 今回の運動の中には、この三つの戦線がありました。この運動は、一つの議題から、憲政レベルの高さまで、拡大しました。これは、私たちの歴史的任務です。私たちが国会を離れたあと、これらは私たちが必ず引き続き行わなければならないことです。

 次は、台湾全国あちこちと、連携組織をとります。50万人は、顔の無い大衆ではありません。深く地に根を張り、草の根の様に連携していきましょう。私たちは、この50万人ひとり一人の顔と知り合い、お互いに理解し知り合うことを願っています。

 この運動に終わりはありません。この運動は終わっていません。私たちは理想を抱えここに来て、責任を引き受けてここを去ります。そして台湾こそが,これからの私たちにとって重大な責任であるのです。

 この国は、政府から国会まで、市民が属している必要があり、また市民が主導していかなければならないはずです。国会を離れた後、私たちは、攻撃を守備に替え、深く根を張り、社会を動かしていきます。私たちの理想を堅持する方法は、私たちの手に入れたこれらの成果と承諾を、もしある日、もう一度政党に引破られたなら、この運動の結末を、私はここで予告します。

 それは、もう一度、更に全面的に、更に拡大した抗争です。国会占拠は、行動の前書きに過ぎません。次の章では、私たちは、社会に展開し、守備を攻撃に替え、私たちは必ずまた戻ってきます。私たちは、必ず勝ちます。みなさん、ありがとうございました」

退去開始~押し寄せるメディアのフラッシュと市民の拍手

 18時過ぎ、林氏のスピーチが終わり、会場の学生たちは、メディアに向けて深々と頭を下げ、退場を始めた。

▲メディアに向けて深々とお辞儀する学生たち

▲メディアに向けて深々とお辞儀する学生たち


▲多くのメディアに囲まれて退去するリーダー陳為廷氏

▲多くのメディアに囲まれて退去するリーダー陳為廷氏


▲同じく議場をあとにするリーダー林飛帆氏(撮影:岩上安身)

▲同じく議場をあとにするリーダー林飛帆氏(撮影:岩上安身)

■議場から退場する学生リーダーたち

 メディアは学生リーダーの陳氏、林氏の二人を撮ろうと、二人の周りに殺到。現場は一時、騒然とした。IWJはカメラレンズとマイクを破損。多くのメディアに囲まれたせいで、二人が立法院内から外の道路に出るまで、30分以上も費やすこととなった。立法院横の道路には約2万人の市民が集まり、立法院を後にした学生たちを大きな拍手で暖かく迎えた。

 占拠が終わり、立法院の議場は開放されたが、学生たちに達成感などはない様子だ。台湾の歴史上例のない「立法院占拠」が、政権にどのような影響を与えたのか。今後、サービス貿易協定がどうなるか、不透明な審議は改善されるのか、これまで以上に注視が必要だ。ドキュメント次回へ続く。

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