3月18日夜から台湾で始まった立法院(国会)占拠と、数万人規模の抗議行動は23日、膠着状態に陥ると思われた。 午前の会見で、馬英九総統が占拠をしている学生を「違法だ」と糾弾し、抗議者らが求めている「サービス貿易協定の撤回」についても「認められない」と拒否。これに対して反発した学生らが国会占拠と抗議の「継続」を表明したことで、政権側と市民のにらみ合いはこのまま続くとみられていた。
※23日朝から午後4時までのドキュメントはこちら
しかし夜9時、事態は急変する。民衆が立法院から200メートル離れたところにある行政院(※)に突入し、占拠したのだ。事態を重くみた政権側は、直ちに警官隊を招集し、強制排除に踏み切った。
(※)外務省や国防省など、様々な省庁が入る台湾の行政機関
IWJでは20日から継続して、現地の協力者とコンタクトを取り、現場の状況を収集。岩上安身のTwitterアカウント(@iwakamiyasumi)で速報として伝え続けている。さらにこの日から、IWJ原佑介記者が台北に入り取材を開始。散発的にIWJ台湾Chで配信している。以下、その模様を原記者の現地報告を盛り込み、ドキュメントで掲載したい。
※20日〜22日の抗議の模様や、国会占拠の背景などはこちら
【原記者報告】3月23日 ~午後5時 立法院前
▲学生らによって占拠された立法院の議場
▲立法院議場2階 ここを通し、外部から物資などを受けとる
▲占拠された立法院敷地内・議場前の広場
現地の学生の協力を得て、台北市の立法院前で取材を開始。立法院の出入口は警察に封鎖されており、中にいる学生らは、外部からロープを使って食料、飲料、バッテリーなどの物資を受け取り、抗議を継続。トイレの水も寸断され、ビニール袋などを利用して用を足しているという。
▲立法院北側の道路に座り込む人々
立法院・議場敷地内はこの日も人で埋め尽くされていた。ごった返す人の波で場に混乱が生じぬよう、学生らは自主的に交通整理を行い、秩序を保っている。仮設のトイレや、ボランティアによる食料・物資配給ブースや、医師や看護師による医療ブースも設置。多くの市民の協力により、抗議の長期化を見据えた体制が構築されている。
インタビューに答えた若者たちの多くは、「台中サービス貿易協定」に反対しながらも、「協定の是非もそうだが、協定発効までのプロセスが不透明で、非民主的であることがさらに許せない」と口をそろえる。
立法院の北側、南側の道路もそれぞれ市民の座り込みによって封鎖されている。座り込み参加者には飲食物が配られ、バッテリー類の無料貸し出しまでされている。大学によっては、今回の抗議活動に参加したら単位を与える、といって参加をうながす教授もいるという。 立法院の周辺一体が占拠されており、エリアごとに性格が異なるのも特徴だ。今回の占拠騒動の発端となった立法院・議場に面している北側道路には若者の姿が多い。
▲立法院正門で演説するシニアの男性
一方南側道路は、老舗の人権団体などを中心に、集会、座り込みが続けられている。この日は、ステージでマイクを持った弁護士が、「若者たちに何かあった場合、我々300名超の弁護士が無料で彼らをサポートする」とアピールしていた。
立法院・正門前は、比較的年齢層の高い市民が集まって集会・座り込みをしている。「台湾独立」を訴え、長年運動を続けてきた保守団体などの姿もこのエリアに多い(台湾の独立派は日本の右翼ともつながりが濃い)。高齢者が多いため、参加者は赤い小さな椅子を使い、座り込んでいる。
正門入り口にかけられた旗は、今回の立法院占拠の支持を表明した野党・民進党の旗だ。今年11月に7つの地方選挙が実施されることを見据えた、民進党による売名行為ではないか、と白い目でみる若者も多いという。確かに、このエリアには若者の姿は見えない。今回の占拠が、民進党と与党・国民党の政治闘争に利用されることを嫌う声もあるという。そういう若者の感覚は日本でも同じだ。
▲「民衆を導く自由の女神」に書かれた「民主を守る 不透明な決議に反対する」の文字
このように、台中サービス貿易協定に反対するという目的は同じでも、エリアごとに性格は異なる。今回の立法院占拠を発端にした抗議行動には、様々な年代や団体が、それぞれの思惑で参加しており、抗議行動全体を一括りにして語ることには少々無理がありそうだ。
また、若者たちの間にも、分裂が生じかねない要因がある。「立法院議場内」を占拠したのは、主に「黒色島国青年陣線」という若者を中心とした団体だ。一方、「立法院議場外」を整理し、取り仕切っているのは「公民1985行動連盟」という、どちらも若者を中心にした民間団体ではあるが、両団体間は不仲である、という噂があるため、わざわざそれを払拭するための共同の声明を出したという。逆にいえば、こうした事実が、両団体には確かに何かしらの主張の差が存在することを裏付けているのかもしれない。
さらに、占拠から1〜2日が経ち、現場の様子に微妙な変化が生じたという。
当初は手弁当ながら声を掛け合い、道を譲り合うことで自主的に協調性を保ってきた若者たちだったが、徐々に現場を監督、管理し、交通整理するスタッフたちが存在感を発揮しはじめたのだという。主に「公民1985行動連盟」のことだろう。「管理が厳しすぎる」、「警察よりも警察的だ」などといった不満があがっているのだという。まるで日本における反原連(首都圏反原発連合)に対する一部の反原発派の不満を聞いているようだが、確かにこうした管理を窮屈に感じる人間は一定数いる。
ある台湾のネット投票では、7割近くが今回の占拠を肯定しているという。一方台湾のテレビは、今回の騒動を批判的に報じているところも多い。年齢層が高まるにつれネットを見ないため、ネットでの世論と現実的な世論の間には大きな差がありそうだ。実際、「占拠は民主的ではない」、「去年すでに協定の審議が進んでいたのに、なぜ今さら急に」、「ただ単に政府に抗議したいだけではないか」といった批判的な声は少なからず存在する。
こうした数々の不安定要素が存在することからも、「立法院占拠が長期化すればするほど若者たちにとっては不利で、運動は分裂し、失敗に終わる、このままではジリ貧で、新たな希望でもなければ運動は衰退していく一方ではないか」という懸念の声もある。(原佑介)
3月23日夜9時過ぎ ~抗議者らが行政院突入
▲行政院への突入の模様を配信した市民によるyoutube映像(現在突入の模様が録画で視聴できる)
夜8時(日本時間9時)過ぎ、抗議者らの一部が行政院(総理大臣官邸や内閣官房にあたる組織)に突入。行政院長(首相)執務室などに侵入した。占拠したのは立法院を占拠する学生グループとは別の集団で、学生よりも大人の姿が目立った(※)。立法院を占拠するグループは即座に声明を発表。「我々は行政院占拠は指示していないが、理念は同じである。警察は暴力的な排除はしないで欲しい」と訴えた。
(※)日本のメディア報道では、「学生らが行政院も占拠」という記述が目立つが、実際には学生よりも、社会人や、いわゆる「独立派」の保守系団体の姿が目立ったという
馬政権側の対応は早かった。「強制排除はしない」という方針を出している立法院とは打って変わって、行政院に対しては即座に強制排除に踏み切ったのだ。背景には、行政院内の国防省や外務省(的な機能)が占拠されることによる国家機能麻痺への懸念の他に、馬総統に近い江行政院長が現地時間23時の会見で「このような展開は心が痛い。今すぐ内政部に警察の派遣を求め、法的処置を取る」と、強硬な姿勢を見せたことにもある。
立法院占拠については、馬総統と政治的に対立する王立法院長が「馬総統は学生らの声に耳を傾けるべきだ」、と一定の理解を示していることが、ギリギリの防波堤となっている。しかし行政院占拠に対しては、そこを司る行政院長が「法的措置」を宣言したために、馬総統側も、強制排除に踏み切ることが可能となった。
現地時間午後12時(日本時間深夜1時)、馬総統は緊急記者会見を開き、行政院を占拠する抗議者の強制排除を支持した。
台湾のテレビ中継では、馬総統が会見で江行政院長の「強制排除決定」の支持を発表する前から、警察が半ば暴力的に行政院を占拠する市民を排除する様子が、繰り返し流された。しかし、テレビで流れる圧倒的多数の警官隊が市民を次々に制圧していく様子とは裏腹に、行政院敷地付近で取材を続ける原記者の現地報告では、行政院内はいたって平穏な空気が流れていた。
原記者がいたのは、下に掲載した行政院地図の正門2付近。強制排除は地図の北側から始まり、散発的、部分的に抗議者との小競り合いを繰り返しながら、徐々に行われ、原記者のいるエリアで強制排除が行われるまでには大分時間差があったと考えられる。
【原記者報告】午後9時過ぎ~ 行政院
▲占拠された行政院 23日夜8時(日本時間9時)過ぎ
23日夜8時(日本時間9時)過ぎ、新たな運動は新たな展開を見せた。市民らは立法院を占拠するだけに留まらず、「行政院」まで占拠したのだ。待機していた現場近くの喫茶店から行政院前へ急行した。
行政院はすべての行政をつかさどる場所であり、立法院と違って、警察権力の指揮権も備えている。また、議員同士が殴り合ったり、靴が飛び交うような立法院とは違い、行政院が一日でも停滞すれば台湾国内の行政は停滞し、その被害は計り知れないという。
▲正門を塞ぐバリケード
行政院を占拠する市民はすぐに数千規模に膨れ上がった。立法院と同じように、中に大量の物資が運び込まれる。IWJが到着した頃には、立法院の本棟はすでに多くの警察が塞いでおり、内部に入ることは不可能な状態となっていた。警察との衝突で負傷したとみられる市民の介抱を目的とした医療班のみが出入りできるかたちとなった。
▲警察の侵入を防ごうと座り込む市民たち
▲占拠された行政院の別館「貴賓室 VIP ROOM」で休む市民
バリケードが張られてはいたが、正門からは、比較的自由に敷地内と外部を出入りすることができた。各門で市民らによる演説が始まる。「警察帰れ」などといった声が上がり、呼応して拍手や歓声が起こった。
▲行政院貴賓室でバリケードを築く市民たち
▲バリケードで封鎖された出入口
▲行政院敷地内広場
同じ敷地内で、行政院の横に位置する別館「貴賓室 VIP ROOM」という建物も占拠された。その名の通り、VIPルームである。市民に占拠されたVIPルームは気品のかけらもなくなった。椅子やソファはバリケードとして使用され、空いたスペースやテーブルの上では市民が休憩していた。
現地時間午後12時(日本時間深夜1時)を過ぎる頃、「強制排除が始まり、行政院からは血まみれの市民が運びだされた」、「催涙弾が用意されているようだ」、「警察が後門から突入した」などの情報がSNSなどで寄せられたが、中心部は警察が突入する気配はなく、市民らは最後まで笑顔でリラックスした表情さえ浮かべ、余裕を持っていた。正門は封鎖されておらず、敷地内と外も出入り自由だった。
しかし、現地時間午前3時頃、ついに敷地内で座り込む市民への強制排除が始まった。(原佑介) ドキュメント23日深夜へ続く。【ドキュメント台湾国会占拠(6)】「流血」の強制排除から一夜明け 〜高まる馬政権への反感、立法院は占拠続く 2014.3.25
IWJでは、IWJ台湾Chから、今も台湾全土で行われている抗議行動の模様を、現地市民の協力を得て報道し続けています。「持久戦」の様相を呈してきたこの事件。3月23日からは、原記者が現地に入り、生々しい抗議の模様や現地市民の声を体当たりで取材し、配信しています。この問題は、中国を米国に置き換え、ECFAをTPPに置き換えたら、非常によく似た構図となっています。IWJは苦しい財政状況ですが、可能な限り伝え続けたいと考えています。取材が持続できるよう、どうか緊急のご寄付、カンパのほど、そして会員登録をよろしくお願い致します。
行政院は日本でいえば、総理大臣官邸や内閣官房にあたる組織です。
また、行政院本部の敷地内にある機能もほぼ同様だと思います。
外交部や国防部は別の場所にありますよ。
日本と違い、総統府もあるんで、そちらと分担している機能もありますが。