元沖縄タイムス論説委員、米軍基地問題巡る「本土の言説」批判~「抑止論も地理優位論も嘘だらけ」 2014.3.28

記事公開日:2014.3.28取材地: テキスト動画
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 「沖縄に米海兵隊を置き続ける本当の理由は、日本政府が政治的リスクを負いたくないから、ではないのか」──。

 2014年3月28日、大阪市のエル・おおさかで、元沖縄タイムス論説委員の屋良朝博(やら・ともひろ)氏を講師に招き、「関西・沖縄戦を考える会」主催の学習会「沖縄戦と新たな琉球『処分』〜名護市長選と新基地建設をめぐって〜」が行われた。

 屋良氏は、1972年に本土への復帰を果たす前の沖縄には、米軍の統治下という縛りはあったものの、主席に行政の全権を行使する力がある「自主権」があったと訴えた。

 「関税など貿易に関するさまざまな取り決めを、当時の琉球政府は自分たちで行うことができた。沖縄を統治する各種法律の制定もしかりだった。だが、本土復帰を果たしたとたん、そうした自主権はほぼ奪われ、沖縄は、霞が関の官僚に支配される日本の一部になってしまった」。

 問題は、沖縄の米軍基地問題が解消されないままで、自主権がなくなったこと。屋良氏は言う。「本土への復帰が沖縄にもたらした大きな変化は、それまでの米国だけの支配に、日本の支配が新たに加わったことにある」。

■全編動画

  • 講演 屋良朝博(やら・ともひろ)氏(フリーライター、沖縄タイムス元論説委員)
  • 日時 2014年3月28日(金)18:30~
  • 場所 エル・おおさか(大阪市中央区)
  • 主催 関西・沖縄戦を考える会

 「米軍基地問題で、市民がいくら『ノー』を叫んでも、政府は方針を変えない。沖縄の民意が踏みにじられる状況が、今なお続いている。そして、そういう状況へと市民を誘導する勢力が、沖縄には確実に存在する」。

 屋良氏はこう訴えた上で、仲井眞弘多沖縄県知事が、昨年12月27日、辺野古の埋め立てを承認したと発表した一件に言及。「沖縄の中の、中央政府におもねる勢力の言い分は『そうしないと沖縄は生きてはいけない』で、これは昔から変わっていない」とし、「その言い分に依拠する人たちは、総じて、辺野古の埋め立てが本当に必要なのか、真剣に考えようとしない」と口調を強めた。

 その後、稲嶺進氏が再選を果たした、1月の名護市長選に話題を移し、このように述べた。「選挙の結果は、(普天間基地の辺野古移設に反対した)稲嶺候補の得票率が55パーセント、対する(移設推進の)末松文信氏のそれは44パーセントだった。沖縄の新聞は、これを『大差』と伝えたが、全国紙は『差は開かなかった』という調子で報じた」。

名護市長選では「公明党」がカギに

 屋良氏は、沖縄では保守と革新の勢力が恒常的に均衡していると強調する。「本土には、沖縄では平和主義を掲げる革新派の勢力が強いという印象があるようだが、実際は、保守に分類される政治家の方が多いほどだ」とし、「名護市長選は、獲得票数では、約4000票の差でケリがついたが、ここまで差が開いたことは、過去にはそうない」と強調した。

 選挙では公明党が果たした役割が大きかったと、屋良氏は振り返る。「公明党沖縄県本部は、昨秋に基地問題プロジェクトチームを立ち上げており、『海兵隊は沖縄にいらない、普天間基地を名護市に移す必要はない』と主張し、昨年12月中旬に、仲井眞知事に辺野古を埋め立てる必要はないと提言した。しかし、知事はそれを聞き入れなかった」。名護市長選ではその反動が生じ、公明党を支えている学会の地元組織が、稲嶺氏に投票したというのである。

 さらにまた、屋良氏は、自民党沖縄県連の中にも、このまま辺野古を埋め立ててしまえば、沖縄の基地問題は未来永劫、解決しないと危ぶんでいる議員がいるとも話す。「現に、仲里利信氏は自民党県連から離れて、稲嶺氏を勝手に応援した」。

 今年11月にある沖縄県知事選では、自民党県連幹事長を務めた翁長雄志(おなが・たけし)氏(那覇市長)が出馬するかが焦点とされているが、これについて屋良氏は「長らく沖縄で、自民党の看板を背負ってきただけに、(出馬には)デリケートな政治的調整が必要になる」との見方を示し、こうも語った。「革新派には、翁長氏に対し、『公約の段階では基地問題でノーを言っても、自民党の遺伝子が入っている以上、仲井眞知事のように途中でイエスに転じるのではないか』との猜疑心がある」。

米海兵隊「岐阜・山梨→沖縄」の謎

 「沖縄に配備されている米軍の兵力の6割は『海兵隊』で、これは地上戦の部隊。中国海軍の戦艦や潜水艦と戦えるわけがない」──。話題が基地問題に及ぶと、屋良氏は、こう力説した。保守系勢力がことあるごとに口にする、日本が沖縄に米軍基地を置くことの意義を「抑止力」に見い出す議論は、事実を反映していない、というのである。

 屋良氏は「沖縄の米海兵隊は、もとは、岐阜と山梨に駐留していた」とも指摘した。1953年に朝鮮戦争が休戦になっても、米カリフォルニア州から移って来た海兵隊が、日本に残ったのである。その場所が岐阜と山梨で、1956年には、岐阜と山梨から沖縄へと移ることになるのだが、屋良氏は「その理由が解明されていない」と訴えた。

 「当時は沖縄を含め、日本各地に米軍基地があり、合計で約30万人の米兵が駐留していた」と続けた屋良氏は、国内で基地問題が重要性を帯びたのは朝鮮戦争の休戦後、と指摘。「米ソ冷戦構造の誕生を受け、米軍はアジア地域の基地拡張を急務とした」と説明した。そして、「しかし、本土の住民は、これに強く抵抗した」と言葉を重ね、こう強調した。

 「東京の立川基地の拡張計画に対し、地元住民が反対行動を起こした砂川闘争などが象徴的事例で、ことごとく住民側が勝っている。そうした国内の圧力を受け、岐阜と山梨に駐留する米海兵隊が沖縄へと締め出された公算が大きい。米国側の軍事合理性に基づく移設だったとは考えられない」。

オスプレイ「24機」の輸送量など知れている

 屋良氏は「在沖の海兵隊は、米国から移って来て、ずっと沖縄に駐留しているわけではない」と訴える。「同盟国であるフィリピンやタイ、さらにはオーストラリアを巡回しているのだ。彼らには、日本の防衛よりも、もっと大きな役割がある」とし、この点からも、在沖米軍基地に、抑止力効果を見い出すわけにはいかない力を込めた。

 「本土のメディアや有識者は、海兵隊がまるでシーサー(沖縄にある獣像の魔除け)のように、沖縄に鎮座しているかのような話し方をするが、海兵隊はアジア全域を守備範囲にし、同盟国の軍隊と共同訓練をしつつ、パートナー関係を維持する『軍事外交』の使命を担っている」。

 また、屋良氏は、在沖米軍基地の「地理的優位性」の議論にもかぶりを振り、まずは「2003年に起こった湾岸戦争では米国は、クウェートに侵入したイラク兵を追い返すために、陸海空で計50万人の兵士を投入した。そのうち海兵隊は9万3000人で、その大半を、本国から中東に空輸で運んでいる」と、米国の十分な軍事展開力を紹介した。

 そして、米軍の新型輸送機、オスプレイが配備されたことで、在沖米軍基地の輸送力がぐんと向上したとする議論に対し、「現時点で配備されている24機のオスプレイでは、フルに使っても1回につき600人にも満たない兵士しか運べない」と反論を展開した。

海兵隊配備先を「沖縄」に固執する本当の理由

 実際の有事では、長崎県の佐世保から航空母艦がやってきて、沖縄の海兵隊やオスプレイを運ぶことになる、と屋良氏。「政府が言うように、朝鮮半島や台湾海峡をにらんで、沖縄に米軍基地を置くのなら、地理的優位性がもっと高まる佐世保、佐賀、福岡に、なぜ、基地を移さないのか」。こう述べると、元防衛大臣の森本敏氏(拓殖大特任教授)が、2012年12月の会見で行った発言を、次のように紹介した。

 「多分、記者から、沖縄に米海兵隊を置く理由を問われたのだろう。森本氏は『日本の西半分で、MAGTF(米海兵隊空陸任務部隊)が完全に機能する状態であれば、沖縄に配備しなくてもいい』としている」。

 また、会見で森本氏は、こうも述べたという。「政治的に許容できる地域が、沖縄しかない。つまり、軍事的には配備先は『沖縄』でなくても構わないが、政治的には、沖縄が最適の地域である、という結論に達するのだ」。

 屋良氏は、これら森本氏の発言を基に、日本政府の本音を、このように推察してみせた。「沖縄の米軍基地は、沖縄の人たちが許容したわけではないが、すでに存在する以上、移設しようとしても、移設先住民の反発に遭う。政府は『そんな政治的リスクを負うわけにはいかない』ということだろう」。

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