「福島では、放射能の危険性が、『気にするか、しないか』の精神論にすり替えられている」──。
2014年3月1日、東京都豊島区の豊島公会堂で、福島原発告訴団の主催による「3.1被害者証言集会」が行われた。福島第一原発事故の被害を受けた10人の市民が、それぞれの体験に基づいた「証言」を行った。
郡山の農家の苦悩、川内村の仮設住宅の現状、福島県内での放射能汚染ゴミ焼却問題、いわきの放射能市民測定室の活動報告、特定避難勧奨地点に指定された伊達市での住民分断、除染作業員の告発など、切実な「証言」は多岐にわたり、ゲストの広瀬隆氏は「今からでも、福島の人たちを全員避難させたい」と訴えた。
こんな思いを、ほかの地方の人に味わってほしくない
福島原発告訴団の団長である武藤類子氏は、会の冒頭に、「福島県での告訴は『全員不起訴』という結果に終わった。今は、東京で検察審査会が開かれ、11人の東京都民が審査をしている。たくさんの被害者がいるのに、加害者がいないのはおかしいことだ。事故を終わりにしてはいけない。真実を明らかにし、2度と事故が起こらないよう、被害を語り続けなければならない」と述べた。
郡山市で米を生産している農家の男性は、「努力してお米を作っても、『子どものことを考えるとね……』とお客さんに言われれば、生産者としては、それ以上のことは言えなくなる。首都圏で販売しても、福島県から来たとわかると買ってもらえない。国の基準値は、500ベクレル/キログラムから100ベクレル/キログラムになり、福島県でも全量検査を行っているが、安全かどうかというのは、食べる人が決めることで、数値を押し付けることはできない。数値を出して、まな板の鯉のような、つらい気持ちを味わっている。こんな思いを、ほかの地方の人に味わってほしくない」と苦しい胸の内を語り、「東電の社員、国会議員、霞ヶ関の役人、この人たち全員に、福島の農産物をすべて食ってもらいたい!」と訴えた。
広瀬隆氏が見た、福島の過酷な現状
「福島の人を前にして、言いたくないが、言わなければならないことがある」。こう前置きして、広瀬氏は、昨年の7月に『DAYS JAPAN』誌の広河隆一氏らと共に、福島で放射能測定車を走らせた結果について報告した。
「福島第一原発から30キロ圏内は、無人地帯のゴーストタウンになっている。『人が戻らない広野町、除染の楢葉町、時間が止まった富岡町』と呼ばれているが、除染で出た廃棄物の袋が山のように積まれている。これらの袋の耐用年数は3年だと言われているが、今はもう、事故から3年経っている」。
「検問所では女性職員も働いているが、毎時14マイクロシーベルトという値が計測された。原発から3キロの場所にある双葉北小学校には、当時、津波でたくさんの人が避難していた。原発が爆発し、さらに避難をした際に、渋滞がひどく、多くの人が被曝した。そこでは、現在も毎時8マイクロシーベルトもあり、事故直後には、おそらく100倍近い値だっただろう」と述べた。
さらに、広瀬氏は「放射能汚染水と、地下水は繋がっている」と話し、「今からでも、福島の人たちを、福島県から避難させたい。どんなことをしても、追い出したいくらいの気持ちでいる」と語った。
「被曝者手帳がほしい」避難者の切実な声