原発から出た使用済み核燃料を「再処理」してプルトニウムを抽出し、それを再び原発で燃料として使用する「核燃料サイクル」。日本政府がエネルギー政策の柱として掲げるこの「核燃料サイクル」は、1988年に締結された日米原子力協定(包括協定)によって可能となったものだ。 この日米原子力協定が、2018年に期限を迎える。高速増殖炉「もんじゅ」の運転停止などにより、実現のメドがたっていない「核燃料サイクル」は、今後どうなるのか。そして、核兵器に転用可能とも言われるプルトニウムを、日本はどのように扱えばいいのか。1988年当時、外務省科学審議官として、日米原子力協定の交渉の実務を担った遠藤哲也氏に、岩上安身が聞いた。
- 日時 2014年2月12日(水)
- 場所 IWJ事務所(東京都港区)
NPTの真の目的
米国、ロシア、イギリス、フランス、中国の5カ国以外の核兵器保有を禁じたNPT(核拡散防止条約)を日本が批准したのは1976年6月のこと。遠藤氏によれば、当初日本側は、「潜在的な核武装のオプションが失われる可能性がある」という理由で、加盟を躊躇していたのだという。
しかし、NPTとは、元来、核の世界的な拡散を防ぐと同時に、とりわけ敗戦国である日本とドイツの核武装を防ぐことに、その主要な狙いがあったのだという。そのため、日米安保とのかねあいから、日本はNPTに加盟する以外の選択肢を持ちようがなかった。
当時、IAEA(国際原子力機関)の本部があるウィーンに駐在していた遠藤氏は、原子力をめぐる各国の交渉の舞台裏を、次のように語った。
「NPTの目的とは、英米仏ソ中の5カ国で核保有を独占し、日本とドイツに核を持たせないというもの。駐在していたウィーンで実際に見聞きしたことだが、米ソは核に関してはトップが密につながっていて、二国で独占的に管理しようとしていた」。
日本は核兵器を持つのか