「自分本位では、本当の幸せはつかめない。このままでは、必ず人類は滅亡する」 ~原発事故後の福島と私達の歩み 大内信一氏・村上真平氏講演 2013.9.28

記事公開日:2013.9.28取材地: テキスト動画
このエントリーをはてなブックマークに追加

(IWJテキストスタッフ・関根/奥松)

 「農業は、ささいな自然とのかかわり合いで喜びを感じることができる。その喜びの中に、希望の源泉を見出せる」。20年にわたって海外で有機農法を指導してきた村上真平氏は、こう語った。

 「有機農法で福島の作物を復活させよう」と熱く語るのは、福島県の二本松に残って農業に取り組む大内信一氏。「福島は、ナタネ、ヒマワリ、大豆、野菜などの栽培で必ず復活する」。

 2013年9月28日、京都市下京区のキャンパスプラザ京都で「原発事故後の福島と私達の歩み」が行われた。原発事故後も福島に留まって有機農業を続ける大内信一氏と、飯舘村で自然農法を探求しつつも、事故後に三重県伊賀市へと避難した村上真平氏とが講演を行った。

■ハイライト

 冒頭、主催者の挨拶に続き、福島県飯舘村で10年間、自然食レストラン、有機農法農園や研修施設などを運営してきた村上真平氏が登場した。村上氏は福島第一原発事故により、三重県伊賀市に移住して再出発している。

「これでは人類が滅亡する」という危機感

 村上氏は「飯舘村は、原発から30キロ圏の境界。2011年3月15日、村では通常の1000倍の放射線量を計測し、IAEAですら避難勧告を出したが、当時の枝野官房長官は危険性を否定した。にもかかわらず、数日後、政府は飯舘村を計画的避難地域に変えてしまう。飯舘村住民は、その政府のいい加減さにとても怒った」と、当時の混乱から語りはじめた。

 「自分は、30年前から反原発。原発について学んでいたので、福島第一原発の電源喪失を聞いて、身の危険を感じて、3月12日の明け方、飯舘村から山形県へ脱出した。その後の原発の爆発で、もう村に戻れないと悟った」。

 村上氏は、1982年から青年海外協力隊のメンバーとして、インド、バングラディッシュ、エチオピアなどで有機農法を広める活動をしていた。活動20年目に「このままでは人類は滅びる、という感覚が脳裏をよぎり、なんとか活路を見出そうと、飯舘村で農業を始めた」と過去を振り返った。

子育ては自然の中での「放し飼い」

 「人間の欲望にはきりがない。勝者以外を、生存競争の負け組と決めつける。その価値観から離れて、自給自足の暮らしをし、収入は皆で分かち合えることを目指して、飯舘村で農園を始めた」。村上氏は、子どもたちとの梅干し作りや、夫婦で経営していた自然食レストラン、奥さんのこだわりのマクロビオティック・スイーツなどのスライドを映し出した。

 「子育ては、自然の中での放し飼いがいい。子どもたちは自然に飽きることがなく、手間もかからず、ストレスもなく、家族一同、健康に暮らせる。飯舘村では体験学習も行ない、海外から研修生を迎え入れた。2011年からは他の家族も招き、コミュニティとして運営しようとしていた矢先の原発事故だった」。

 今後について、村上氏は「三重県に移住してから耕作放棄地を買い入れ、飯舘村での活動を再開した。自分本位では、本当の幸せはつかめないことを、もっと知らしめて行くような運動をしていきたい。なぜなら、このままでは必ず、人類は滅亡すると思うから」と締めくくり、スピーチを終えた。

二本松で有機農業を続ける決断

 次に、福島県二本松市で有機農業を続けている、大内信一氏が講演した。大内氏も、原発事故の発災当時の様子から語りはじめた。「事故直後から、避難者の炊き出しのために、ほうれん草や牛乳などを持って行ったが、すぐに汚染されて出荷できなくなってしまった」。

 大内氏の畑は、土の汚染は高くなかったといい、「ほうれん草たちが『俺たちがこの土を守ったんだ』と、畑で語りかけてきた」と笑顔で語った。「ネギの放射能汚染も調べると、土からはあまり吸収されないことがわかった。小麦も、埼玉や群馬では1キロあたり80ベクレル出ていたが、自分のところは10ベクレル以下。しかし、秋になると、米や豆類に高いセシウム値が検出された。山にたまった放射性物質が、雨などで畑に流れ込んできたからだった」。

 「去年は、200種類の作物の放射性物質の検査をした。米と大豆にわずかに検出されたが、野菜類には出なかった。南相馬では、原発事故後、有機農業に取り組む農家が増えたという。チェルノブイリで、農作物へのセシウムの移行(土壌などから作物へ取り込まれる確率)を研究した結果では、移行率の一番低いのはナス、キュウリ、トマトなどの夏野菜、次にニンジンだった。現在、ニンジンによる商品開発を試みている。ナタネとヒマワリは放射性物質を吸収する上に、油に放射性セシウムがまったく移行しないことがわかっている。それで、南相馬ではナタネ栽培を試験的に始めている」。

 「2011年秋、茨城県立農業大学から、有機農業の研修生派遣の打診があった。葛藤はあったが、『日本一安全な作物を生産できる福島』を夢に描き、受け入れることにした。また、佐藤栄佐久前知事が、有機農業推進法を置き土産にしてくれた。ナタネ、ヒマワリ、大豆、野菜で、5年~10年後には、福島は復活する」と意気込みを語った。

放射能におびえていては未来は開けない

 休憩後、使い捨て時代を考える会の相談役で、元京都精華大学教授の槌田劭氏が感想を述べた。「2人のスピーチには愚痴っぽさがなく、前向きだ。それは、優れた生き方によるものだ」と述べて、三重へ移住した村上氏の潔さ、地元に残ってがんばる大内氏の姿勢、それぞれを賞讃した。

 槌田氏は「原発事故は、エネルギー浪費文明の終焉を証明した。自分の都合と、目先のことしか考えない社会に執着した結果だ」と警鐘を鳴らした。その上で、「放射能におびえていては未来は開けない。立ち向かっていかなくてはならない。福島で生産した作物の共同購入をして、安全性を訴える活動を続けたい。重要なのは、生産者の思い、気持ちを知ることだ」と語った。

農業には希望の源泉がある

 質疑応答に移り、大内氏は「生産者として、原発がなくなることを願い、地域の人々や研究者たちと相談しながら、農業再生に取り組んでいく」と話し、放射能汚染によって山菜が食べられないことや、除染の限界と有効性などの問題点も指摘した。

 村上氏は「経済界の重鎮たちは、今回の原発事故で蒙った損失を考えず、復興と除染特需に期待して、原発推進を押し進める。戦後の日本経済は、朝鮮戦争とベトナム戦争の特需で復興した、と聞いたことがある。今になっても、そのような枠組みから抜け出せないでいる」と経済重視の流れを批判した。

 続けて、「将来、食糧危機は必ず来る。暗い未来しか思いつかないが、これからは自分だけの幸福ではなく、人類全体として喜びを見出し、分かち合う幸せを感じる世界にするべきだ。農業は、ささいな自然とのかかわり合いで、喜びを感じることができる。その喜びの中に、希望の源泉を見出せるのが農業だ」と持論を述べた。

アーカイブの全編は、下記会員ページまたは単品購入よりご覧になれます。

一般・サポート 新規会員登録単品購入 300円 (会員以外)

関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です