10月7日に、ハマスの奇襲攻撃によって、ハマスとイスラエルの戦争、通称ガザ戦争が始まった。しかし、もはやあまりにも一方的なイスラエル国防軍によるハマスの殲滅作戦は、ハマス相手の戦争などではなく、実際にはパレスチナ人のガザからの永久追放をめざす民族浄化作戦であることが顕わになってきた。
11月2日、岩上安身は、長野県内で、イスラム研究者で、東京大学名誉教授である板垣雄三教授への緊急インタビューを敢行した(後半では、板垣教授に「ガザ危機を見る眼」として、単独で特別講義をしていただいた。別記事でご紹介する)。
板垣教授は、1931年生まれ、現在92歳です。東京大学名誉教授・東京経済大学名誉教授であり、国内外30超の大学で国際政治・地域研究・開発理論・イスラーム学・文明戦略論を教えてこられた。1991年には日本ジャーナリスト会議JCJ特別賞を受賞、2003年には文化功労者となられている。
さらに、日本学術会議会員(16~18期)、日本中東学会会長、日本イスラム協会理事長、アジア中東学会連合会長、中近東文化センター理事などを、歴任してこられた。
板垣教授は、1939年8歳の時に、教会(プロテスタント)の日曜学校でパレスチナの社会・文化に開眼し、大学院では中東近現代史とイスラーム思想研究に取り組み、パレスチナ問題研究歴は70年に及んでいる。
板垣教授は、1973年石油危機を前年から警告し、イラン革命(1979年)を予告、PLOアラファト議長の訪日実現(1981年)に協力、1983年東京で小田実と「〈イスラエルのレバノン侵攻〉国際民衆法廷」を組織、1985年に日本中東学会を創立、1990年代後半に「イスラームの都市性」国際共同研究、2001年には外務省の「日本・イスラームの文明間対話」招集者(7年間実施)を務めるなど、まさにパレスチナ研究・イスラム研究の第一人者である。
板垣教授の1990年代以降の主たる著作は、以下のとおりである。
・『石の叫びに耳を澄ます 中東和平の探索』(1992年、平凡社)
・『イスラーム誤認 衝突から対話へ』(2003年、岩波書店)
・『歴史の現在と地域学 現代中東への視角』(1992年、岩波書店)
・『日本人よ、覚悟はできているか! 世界の集中砲火をどうするか「これから始まる日本の湾岸戦争」』(1991年、ベストセラーズ)
冒頭、板垣教授は、「標準的にイスラエル・ハマス戦争というような形で言われている。これ非常に紛らわしいというか、間違いを起こさせそうな表現でもあると思う」と述べた。
板垣教授は、「ハマスのテロ攻撃」が最初に起きて、今「対等の国同士、政府同士の戦争」が起きているかのごとくに報じられているけれども、実態はまったく違うと指摘した。
板垣教授は、イスラエル側は「実態は征服したり、支配したり、抑圧したりしてる。そういう側が威力をひけらかしている」のであり、パレスチナ側は「征服され、支配され、抑圧されている側が一生懸命抵抗している」、「抑える側と抵抗する側という関係だ」と指摘した。
さらに、板垣教授は、「パレスチナ自治政府」なんて気楽に言うけれども、「実態は自治なんてそんなもんじゃない」と語気を強めた。
1993年に、ノルウェー外相の仲介で成立したオスロ合意では、イスラエルのイツハク・ラビン首相(※IWJ注1)とPLO(※IWJ注2)のヤーセル・アラファト議長との間で、「パレスチナ暫定自治に関する原則宣言」が調印された。しかし、「自治というものの実態は名ばかり」で、ほとんど何の強制力もなく、イスラエル人入植者がどんどん入ってきても、それを防ぐこともできないものであった。
(※IWJ注1)イツハク・ラビン首相:第6代・第11代イスラエル首相。1993年にオスロ合意に調印し、1994年にはヨルダンとの平和条約に調印した。ラビンのこの功績によりヤーセル・アラファトPLO議長、シモン・ペレス第9代・12代イスラエル首相と共に、ノーベル平和賞を受賞した。1995年にラビン氏がユダヤ人青年に暗殺されて以降、オスロ合意を履行しようとする政治家は、イスラエルではいなくなった。殺されるので。
・Yitzhak Rabin(Wikipedia)
(※IWJ注2)PLO:パレスチナ解放機構(Palestine Liberation Organization)。1964年設立、当初は旧委任統治領パレスチナの全領土にアラブ国家を樹立することを目指し、イスラエル国家の消滅を主張したが、1993年のオスロ合意でイスラエルの主権を認めた。
・Palestine Liberation Organization(Wikipedia)
板垣教授は、マスメディアでは「ガザでのハマスの実効支配」と繰り返し言うが、「17年間もイスラエルから周り中をフェンスやら壁を作られて、人や物の出入りも全部シャットアウトされる」ような、「封鎖状態のもとで何かやっているんだったら、それは中身は実効支配ではない」、これもまた情報操作だと批判した。
そもそも、ハマスには、2006年に民主的な選挙によって住民に支持されて選ばれたという実績がある。パレスチナ解放運動を率いてきたファタハ(PLOの後継)の腐敗が進み、パレスチナの人々の支持が失われた結果であった。
しかし、イスラエルとハマスの関係は一筋縄ではいかない。ハマスが登場したことによって、パレスチナ側は、ファタハとハマスに分裂し、ハマスが支持を集めることは、イスラエルにとって都合の良い側面もあるからである。
板垣教授は、そうした複雑な関係がハマスとイスラエルの間にあるとしても、「ガザの住民は(ガザを包囲する)境界線のところへ行って、そして故郷への帰還の大行進をガザの市民は(平和的に)やっていた」が、「それをまたイスラエルの側では撃ち殺す」。しかし、「パレスチナ人にとっては、ガザの境界線の向こう側に行くというのは、イスラエルの領内に侵入するのではなく、もともとの自分たちの(土地に)戻るということ」なんだと述べた。
板垣教授は、10月7日のガザの爆発は、「ハマスの奇襲」と言われるが、ハマスだけではなく、パレスチナの解放を求める、ジハード・イスラーム、アルアクサ殉教者軍団など複数の団体が団結して、「アルアクサの大洪水作戦」を行ったのであり、「政治的な立場も非常に多様な人々」が「一緒に手を組んで動いた」と言う点を見落としてはならない、「植民地主義とそれへの抵抗であるという基本的な視点」が必要だと指摘した。
国際法上の、最も基本的な人権の一つである「抵抗権」は、武力で闘って独立を勝ち取ること、武装抵抗も重要な要素として認められている。
インタビューは、日本のマスメディアが決して報じない「10月7日」のプロパガンダを暴き、パレスチナ問題の根底にある問題、ウクライナで東部のロシア系住民・ロシア語話者が、NATO・米国の支援を受けたウクライナ政府に迫害されていた問題との相似性、アラブ諸国の動きなどにも言及している。
詳しくはぜひ、IWJの会員となって、全編動画を御覧ください。
IWJは、板垣教授から、2014年に『ハフィントン・ポスト・ジャパン』に寄稿された、ペーター・コーヘン教授の論文の翻訳と解説のテキストを、板垣教授のインタビューと講義を理解するためのサブテキストとして、期間限定でIWJサイトにて公開するご許可をいただいた。この機会にぜひ、あわせてお読みください。
岩上安身による、過去の板垣教授へのインタビューも、あわせて御覧ください。