2014年、大飯原発3・4号機の運転差し止めという画期的判決を下したのが、当時、福井地裁裁判長だった樋口英明氏である。樋口氏は翌15年、高浜原発3・4号機の再稼働差止の仮処分決定も行った。樋口氏は定年退官後、原発の危険性と停止を訴える講演活動を続けている。
この樋口氏の主張とともに、原発に代わる自然エネルギーとして、ソーラーシェアリングに取り組む福島県二本松市の農家の活動をあわせて描いた映画『原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち』が、小原浩靖監督により製作され、各地で自主上映が行われている。ソーラーシェアリングとは、営農型太陽光発電システムとも呼ばれ、農地の上に太陽光パネルを設置して、農業と発電を両立させる仕組みである。
2023年3月15日、映画の上映会と樋口氏の講演会が、東京都千代田区の参議院議員会館で行われ、IWJが講演会を生中継した。主催は戦争をさせない1000人委員会と、超党派の議員連盟の立憲フォーラムで、多数の国会議員も参加した。
講演で樋口氏は、「原発の問題はシンプルで、知ってほしいことは2つしかない」と述べた。
1つ目は「原発は人が管理し続けないと暴走する」こと。火力発電所は、燃料や酸素を止めるなどして火を消せばよいが、原発は、「人が管理して水と電気を送り続けなければ」壊滅的事態に陥るという点である。
2つ目は、「人が管理しそこなった時の被害は途轍もない」こと。福島の原発事故では、「2号機の奇跡」「4号機の奇跡」と呼ばれる設備の欠陥や事故が逆に、放射性物質の大量放出を防ぐ結果となったが、それでも15万人が避難を余儀なくされた。もし「奇跡」が起こらなければ、250キロ圏の4000万人が避難を強いられ、「東日本の壊滅」に至ったとされる。
とはいえ、「途轍もない被害を及ぼす」からには、新幹線や飛行機のように「それなりに安全に作っているはずだ」、また「大事故は(小規模な事故より)発生確率が低いはずだ」、という「先入観」が、その時、人には働くと樋口氏は指摘する。
しかし、原発の場合はそうではない、というのだ。
「700ガル(※)、650ガル、せいぜい1000ガルというのは、よくある地震。700ガルだったら、わずか20年間で30回ぐらいあった」「そのよくある地震で、原発が危なくなる」と樋口氏は指摘した。
※「ガル」は地震の加速度の単位で、原発の耐震設計基準(基準地震動)に用いられる。
「よくある地震で、原発が危なくなる」とは、日本の原発の耐震設計基準が、実際に起きている多くの地震の強さよりも低いという、驚くべき事実を指す。日本のハウスメーカーの耐震基準よりも、はるかに低いのである。
原発事故が、極めて甚大な被害をもたらすにも関わらず、日本の原発の耐震性は極めて低い、だから運転は許されないとする、通称「樋口理論」が、映画では詳しく説明されている。
また樋口氏は、電力会社の「原発は岩盤の上に建っている」から「安全だ」という反論を、実際は「半分の原発は普通の地面に建って」おり、「岩盤の上と普通の地面の揺れが大きく変わった例は一例もない」と否定した。
そのほかにも数々の論点から、樋口氏は原発推進の動きを批判した。
たとえば、南海トラフ地震直撃が危惧される伊方原発の耐震基準が、「絶対家は壊れない」程度のわずか181ガルの揺れで設定され、しかもこれを通した原子力規制委の審査はわずか18秒に過ぎなかったこと。
福島の原発事故の損害賠償訴訟で、最高裁が国の賠償を認めないという判決を出した後、東京地裁が13兆円の賠償を東電旧経営陣に認めるという正反対の判決を出した矛盾。
さらに、岸田総理が突然言い出した原発の稼働期間延長で、老朽原発を動かす本質的危険性。原発は安上がりだというコスト論の反人間性と論理矛盾。原発はCO2削減に資するという論の欺瞞性等々。
そして最後に樋口氏は「原発問題は国防問題だ」と指摘した。
ウクライナ紛争で、原発が武力攻撃に圧倒的に弱いことが明らかになったことを挙げ、河合弘之弁護士の「原発は自国に向けられた核兵器だ」という言葉が本質を突いていると評価。そして「日本は海岸沿いに50数基の原発を並べた時点で、国を守ることはできなくなった」と断じたのだ。
客席との質疑応答では、「原発に事故が起こればプラスでないことは明らかなのに、なぜ推進派は推進するのか?」「地裁での原発に否定的な判決が、上級審ではひっくり返されるのはなぜか?」等の大きな疑問が投げかけられた。
講演内容について、詳しくは本編映像を御覧いただきたい。
なお、IWJでは、岩上安身によるインタビューをはじめ、樋口英明氏の記事を数多く報じている。あわせて御覧いただきたい。