内戦下のシリアで2015年6月に反政府武装勢力に拘束され、約3年4カ月ぶりに解放されたジャーナリストの安田純平氏が、2018年11月2日(金)、東京・日本記者クラブで帰国後初の記者会見を行った。
安田氏は会見の冒頭、「私の解放に向けてご尽力いただいた皆さん、ご心配いただいた皆さんにおわびしますとともに、深く感謝申し上げたいと思います。私自身の行動によって、日本政府が当事者になってしまった点について、大変申し訳ないと思っています」と述べ、頭を下げた。
その後、「何があったか、可能な限り明らかにすることが私の責任だと思っています」と語り、記者会見が始まった。
会見に先立ち、拘束から解放までの経緯が記された書面が、報道陣に配られた。書面は以下の通りである。
安田氏はイスラム国(IS)の戦闘員や家族構成などが記された資料を入手したことから、「ISには予算があり、国家のような組織と分かったので、さらに取材したいと考えた」と、シリアのイドリブ県で反政府武装組織の取材をするため、トルコ側の国境から徒歩でシリア入りを目指したと説明した。
さらに安田氏は、武装勢力に拘束された経緯を次のように語った。
「現地に入る方法を色々探っていたのですが、現地の組織にいくつか当たる中で、日本人の知人に紹介された、シリア難民の小学校を運営している人々と知り合いました。そこのシリア難民の紹介で、シリア人のガイドに知り合いました。
彼は、イスラム国に殺害された後藤健二さんのガイドを以前していた人です。後藤さんがイスラム国に拘束されて、ビデオが公開された時に、世界中で「I AM KENJI」と紙を掲げて、彼の解放を訴える運動が広まりましたが、彼も顔を出してその運動をやっていました。
トルコのアンタキヤに住んでいた彼が、顔を出してそういう行動をすることは一定のリスクがあるわけでして、彼はそういった行動をしていたということで、私は彼を信用しました」
安田氏は2015年6月22日にこのガイドから出発の準備ができたという連絡を受け、トルコを出発。このガイドは「自分は仕事があるので、現地で司令官をしている兄があなたを受け入れる」と説明したという。
国境の山岳地帯で深夜、ガイドに「ここで待っていろ」と言われ、待っていたところ、ガイドが去ったのとは別の方角から2人組が現れ、案内された。聞いていた話と違うと思ったが、そういうものだろうと思い、ついていくと、シリアに入ったところで拘束されたという。
安田氏は「私の行動によって多くの人に迷惑をかけたので、私への批判は当然だと思う。自己責任については、紛争地に行く以上、自分が相応の準備をし、自分の身に何かが起きたら自分で引き受けるべきなので自業自得だと思う」と述べたが、「地球上で紛争起きている場所に入って取材するジャーナリストの存在は、決定的に必要だと思う」と語った。
IWJによる安田純平氏関連取材コンテンツは、下部よりアクセスしてご覧いただけます。
安田氏は11月9日(金)の15時から、日本外国特派員協会(FCCJ)でも記者会見を行う予定だ。