「日本では、労働力の補充のためにも、労働移民を認めねばならないという立場に追い込まれている」「南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった」「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」—。
安倍総理のブレーンを務めた作家・曽野綾子氏が「アパルトヘイト」を肯定し、世界中で批判の的となっている。
「人類に対する犯罪」と国連に非難されたアパルトヘイトを、この期に及んで賛美する感覚というものが信じがたい。
しかも、それを来るべき日本の未来の「国のかたち」に結びつけて論じているのだ。
居住、すなわち生活の場所を人種ごと、あるいは肌の色ごとに分けるということは、人種が違えば一緒に暮らせない、即ち、家族になれないことを意味する。これは居住の分離だけでなく、究極的には通婚の禁止をも意味する。
ナチスも真っ青の、排外主義の極みの論理である。現に、外国人と結婚して一緒に暮らしている日本人はどうしろというのか。
しかし、現代を生きる我々は、人種差別を公然と唱える曽野氏の「ヘイトスピーチ」を糾弾するとともに、これを無批判に垂れ流した産経新聞を強く批判しなければならない。
介護に従事する移民には資格や語学力、衛生上の知識は必要ない!?
▲産経新聞2月11日付に掲載された「アパルトヘイト」を肯定する問題のコラム
曽野綾子氏の問題発言は、自身が産経新聞で連載中のコラム「透明な歳月の光」の中から飛び出した。2月11日、「『適度な距離』保ち受け入れを」と題したコラムで、曽野氏は、労働力を海外から受け入れつつ、人種によって居住区を住み分けよ、と論じたのだ。
コラムでは冒頭、「イスラム国」に触れ、「多民族の心情や文化を理解するのはむずかしい」と切り出し、「一方で若い世代の人口比率が減るばかりの日本では、労働力の補充のためにも労働移民を認めねばならないという立場に追い込まれている」と展開した。
さらに曽野氏は、
特に高齢者の介護のための人手を補充する労働移民には、今より資格だの語学力だのといった分野のバリアは、取り除かなければならない。つまり高齢者の面倒を見るのに、ある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなければならないとかいうことは全くないのだ。
…と主張。まずは介護職員や高齢者の尊厳を蔑ろにした。
続けて曽野氏は、衛生上の知識がなくても「優しければそれでいいのだ」と無茶な精神論を展開し、「日本に出稼ぎに来たい、という近隣国の若い女性たちに来てもらって、介護の分野の困難を緩和することだ」と労働移民の必要性を主張した。
現実には、日本人の看護師や介護士の有資格者が低賃金の過酷な労働環境のため、資格をもっていても、看護や介護の仕事につきたくてもつけない状況にある。まず何よりも日本人の看護師や介護士の雇用条件を改善し、雇用の回復につとめることが、「保守」を自称する論客の主張すべきことではないのか。
「居住区を分ける」というアパルトヘイトの考え方に賛同する曽野氏
本題は、ここからだ。
海外から労働力を受け入れよ、と訴える曽野氏は、「同時に、移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らねばならない。条件を納得の上で日本に出稼ぎに来た人たちに、その契約を守らせることは、何ら非人道的なことではない」と提案する。
ここで曽野氏のいう「移民としての法的身分」とは何か。移民とは、自国民として迎え入れるということである。短期の外国人労働者ではない。曽野氏は「労働移民」という言葉を使いながら「出稼ぎ」という言葉も用いる。仮の滞在を認めるが、用済みとなったら帰ってもらうことを前提としているかのようだ。
だが、それは「移民」ではない。
憲法11条と97条の定める基本的人権(※)において、自国民に複数のスタンダードは存在しない。してはならない。その当然の前提を曽野氏はあっさりと踏み越えてしまい、次のように書く。
ここまで書いてきたことと矛盾するようだが、外国人を理解するために、居住を共にするということは至難の業だ。もう20〜30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった。
人種ごとに居住区を分ける、「人種隔離政策(アパルトヘイト)」の提案である。わざわざアパルトヘイトの舞台となった「南アフリカ共和国」と国名まで出している。以下、コラムを一気に最後まで引用する。
南アのヨハネスブルクに一軒のマンションがあった。以前、それは白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。ところがこの共同生活は間もなく破綻した。
黒人は基本的に大家族主義だ。だから彼らはマンションに、どんどん一族を呼び寄せた。白人やアジア人なら常識として夫婦と子供2人くらいが住むはずの1区画に、20〜30人が住みだしたのである。
(中略)
間もなくそのマンションはいつでも水栓から水のでない建物になった。それと同時に白人は逃げ出し、住み続けているのは黒人だけになった。
爾来(じらい)、私は言っている。
「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」
差別と偏見のみで構成された、吐き気をもよおすほど低俗なコラムだ。
並べて整理すると、「南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい」と断言し、「人種差別の廃止以来、黒人も住むようになって以降、白人の快適な暮らしに変化があり、結果、「居住だけは別にした方がいい」と結んでいるのである。
これでは、「人種差別を廃止しなければ、白人はマンションで快適に暮らし続けることができた。アパルトヘイトは必要だった」としか読めない。
しかも、コラム前半では、日本も「労働力の補充のためにも労働移民を認めねばならない」と訴えているのだから、つまりは「日本も労働移民を受け入れ、アパルトヘイトを導入して人種ごとに居住区を管理しよう」と言っているのである。
これを書きながら、首を傾げたくなるのは、曽野氏は自身をどこにカテゴライズしているのか、という点である。ひょっとすると、この人は、自分を「白人」に分類しているのではないか、と思う。
彼女はカトリック教徒であるが、日本人であり、つまりはアジア人である。「白人」と居住区を分けられる「アジア人」という、差別的な分類を受け入れるのだろうか。もしかしたら「日本人」は「名誉白人」なのだ、などという「妄想」にどっぷりつかっているのかもしれないが、仮にそうだとしたら、何重にもおめでたく、かつ醜悪である。
自分たちはアジア人以外の何ものでもないのに、アジア人であることを否認し、黒人とアジア人に優越する「白人」の仲間であると思いなす。もちろん白人からは、そうみられていないことに気づかない。
そして、人種を超えた基本的人権の普遍性についてはその価値を認めていないので、人種差別を認めた時点で、「白人」から、下等な人種と見下された時に反論する根拠がない。最悪である。救いようがない。
(※)ちなみに自民党の改憲草案では、基本的人権を定めた97条をまるまるカットしている。
海外メディアが驚きをもって報道 〜世界中で批判の的に
曽野綾子氏の問題発言は、瞬く間に世界を駆けめぐった。
ロイター通信は2月13日付の記事で、曽野氏のアパルトヘイト肯定発言を、「日本の首相の元アドバイザーがアパルトヘイトを賞賛し、安倍を困惑させている」との見出しで報じた。
曽野氏は、2013年1月に発足した安倍総理の私的諮問機関「教育再生実行会議」のメンバーにも選ばれていることから(2013年10月末に辞任)、「安倍総理のブレーン」とも呼ばれている。
以下、ロイターの記事をIWJは独自に仮訳。その内容を紹介したい。(2月16日時点でロイター日本版は同記事の日本語記事を掲載していない)
安倍晋三首相の元アドバイザーがアパルトヘイトを賞賛し、いかに日本が移民を拡大させることができるかのモデルになるとした。即座に金曜日に政府の報道官のトップが日本の移民政策は平等にもとづいていると強調した。
作家である曽野綾子は、安倍の非公式なブレーンとみられている。彼女は、保守派の産經新聞に、南アフリカのかつての人種分離政策が白人やアジア人やアフリカ人にとって良いものだったと書き、今週オンライン上で怒りを引き起こした。
彼女のコメントは、深刻化する労働者不足に対する安倍の努力や、日本の海外でのイメージをよくしようとする努力を無駄にしうるとアナリストは言う。
13日の菅官房長官の定例会見では、日本のメディアがこの件について全く触れないなか、ロイターが質問。菅官房長官は、「一昨年10月にはもう、(政府の委員)辞めていらっしゃる方」とし、「個人の見解について、政府のコメントをすることは控えたい」と答えた。あくまで「政府とは無関係」との立場を強調することで、国際社会からの安倍政権批判の矛先を逸らしたい意図が見て取れる。
だが一方で、これほどまでに露骨な人種差別的な移民政策について、「とんでもない話だ」とも、「不謹慎である」とも「遺憾である」とも「憲法に違反する」とも、一言も批判を加えなかったことは、はっきりと記憶に刻んでおきたい。
安倍政権は、曽野氏の語る日本版「アパルトヘイト・ヴィジョン」に、積極
的な反対や批判を表明しなかったのである。これは安倍政権の人権意識の低さを明確に表すものだろう。
ロイターは、同記事で以下のように続ける。
曽野は2013年の政府の教育パネルに参加し、安倍の自民党に長い間アドバイスを行ってきた。
政治アナリストは、東京が海外での日本のイメージをよくしようと努力している中で 彼女のコメントが 日本にダメージを与え得ると述べた。
(略)
曽野のコメントはソーシャルメディア上で即座に幅広く怒りを生み出した。東京が2020年の夏のオリンピックを開催することを考えれば特に不快だと述べる人もいる。
曽野氏の「アパルトヘイト・ヴィジョン」を決して否定も批判もせず、ただ単に政府と「無関係」であるとして、表面的に追及をかわそうとする、その菅官房長官の不自然なふるまいに、かえって世界は日本政府に対する疑心暗鬼を深めている。ロイターは曽野綾子氏と安倍政権の深いつながりを見抜き、世界中に報じている。
「現代の奴隷制」を推し進める安倍政権
さらにロイターは会見で、曽野氏がコラムで言及していた「政府の移民政策」についての見解を改めて聞いた。菅官房長官は、「日本は法の下の平等が保証されておりますので、そうしたことに基いて、これは適切に対応されるという形になるだろう」と語った。
ロイターはこの菅官房長官の見解にも着目。同記事で以下のように批判を展開している。
労働者の不足のため、政府は高いスキルを持つ外国人の数を増やそうとしており、ブルーカラーの労働者の「訓練」プログラムを拡大しようとしている。これは人権乱用だと広く批判されてきたが、当局はこれは「移民政策」の一部ではないと主張している。
安倍政権は2014年4月4日、外国人労働者の受入れ拡大を決めた。具体的には、最長3年しか日本に滞在できなかった技能実習生を、実習後に追加で2年間働けるようにするほか、いったん帰国しても最長3年間の再入国を認めるというもので、6年間まで滞在できるようになった。
政府の経済財政諮問会議・産業競争力会議の同日の合同会議で安倍総理は、「移民政策と誤解されないよう配慮しつつ外国人材の活用について検討を進めてほしい」と述べた。しかし、この日本における外国人労働者の技能実習制度には、国際社会から厳しい批判を浴び続けている。
国連やILO(国際労働機関)は、「合法的にその領域内に滞在する難民に対し、公的扶助及び公的援助に関し、自国民に与える待遇と同一の待遇を与える」「難民及び無国籍者に対し、(略)自国の社会保障法規下に自国民に与えるものと均等な待遇を与えなければならない」などと定めている。
しかし、日本では国内での永住権を持つ外国人に対して、「外国人は生活保護法の対象ではなく、受給権もない」とする判断を最高裁が示している。一戸あたりの平均年収が2500万円を超え、「奇跡の村」と評された長野県川上村が、実は外国人研修制度を悪用して、最低賃金より低い給料で外国人を働かせ、「出身国ごとに、決まった色の帽子をかぶらせる」「深夜2時から夕方6時まで働かせる」「『指を切り落とすぞ』などの脅迫」「日常的な暴行」「女性への性的暴行」など、「現代の奴隷制」とも言える環境で外国人を働かせていたとして昨年11月に日弁連が調査報告を発表。国内外で大きな批判を浴びたことは記憶に新しい(※)。
外国人実習生の受け皿となっていた「川上村農林業振興事業協同組合」は、2014年9月に東京入国管理局から受け入れ中止の処分が下り、11月には解散した。日弁連の調査と関係があるかは不明。
米国政府も2013年6月19日に、「2013年人身売買報告書(抜粋・日本に関する報告)」のなかで、外国人(主にアジア諸国)は日本において「強制労働の被害者になることがある」と指摘し、「日本政府は、政府が運営する技能実習制度における強制労働の存在について、実務と政策のいずれを通じても対処しなかった」と断じている。
しかし、移民政策そのものは、実は米国の意向でもある。米ネオコンの「ジャパンハンドラー」の一人、リチャード・アーミテージ氏らが2012年夏に発表した、日本への指示書「第3次アーミテージレポート」には、「自由貿易と移民に対する開放性と女性の職場進出が増大すれば、日本の国内総生産(GDP)は著しく成長するだろう」と書かれている。
つまり、安倍政権は「移民政策とは違う」と強調するように、本来、外国人の人権確保や雇用環境などの法整備を丁寧に規定する必要のある移民政策ではなく、外国人を都合の良い低賃金労働力として使える外国人実習制度の拡大でごまかしているのだ。曽野氏がコラムで述べた「移民としての身分を厳重に守らせる制度」(=「現代の奴隷制」)を、事実上、推し進めているのが、安倍政権なのである。
このロイターの記事は南アフリカのメディア、「IOLニュース」や「ニュース24」でもそのまま転載され、拡散された。NYタイムスも、ロイター通信の記事をそのまま掲載した。安倍政権のブレーンがアパルトヘイトを賛美し、安倍政権が「現代の奴隷制」を進めていることを、世界中の海外メディアが批判的に報じている。
WSJ紙の取材に「何の間違いもない」と開き直る曽野氏と産経新聞
こうした騒ぎを起こした曽野綾子氏と産経新聞は、国際社会から多くの批判を浴びていることに、どうリアクションしたか。
ウォール・ストリート・ジャーナルは2月13日付の記事で、「作家が移民と隔離について発言し、騒動を引き起こす」と題し、やはり曽野氏のことを「安倍総理のアドバイザー」と紹介。曽野氏と産経新聞への直接取材の内容を報じた。以下、その記事内容をIWJが独自仮訳したものを紹介する。(こちらも2月16日現在、日本語記事は掲載されていない)
曽野氏は、ウォール・ストリート・ジャーナルに対して金曜日に、このコラムについては話さないと述べた。「記事に間違いがあれば修正します。私はひとりの人間であり、間違いもあります。ですが、この文章には何の間違いもありません」と言った。
産経の広報である村雲克典は、声明の中で、産経は個人的見解として曽野氏のコラムを掲載したと述べた。「われわれは、コラムにはさまざまな見解があって当然と考えている」と述べた。
曽野氏は2013年にも、女性は、出産後は仕事を辞めるべきと発言し、騒動を起こした。
この最新のコラムでの曽野氏の外国人介護者の記述は品位を落とすものであると考える読者もいる。曽野氏は、政府に介護者を増やすための移民ルールを緩和するよう求め、そのような労働者に必要とされる資格は「優しさ」だけであると述べた。「日本語スキルや衛生学の知識を持っている必要はありません」と述べ「どの国でも、孫が祖母の面倒を見るという家族の力があります」と書いた。
曽野氏は、そのような労働者が日本に来るとしたら彼らはそれぞれの地域で住むべきと書いた。「人間は仕事や研究からスポーツに至るまであらゆることを一緒にやれますが、住む地域は分離されていた方がよい」と彼女は書いた。
「この文章には何の間違いもありません」と曽野氏は答え、産経新聞も「さまざまな見解があって当然」と開き直っている。
産経は、言論の自由や多様性を認めているかのようではあるが、産経の、社としての方針の範囲内での自由や多様性である。その意味で、産経は言論機関として、曽野氏の「日本版アパルトヘイト・ヴィジョン」が公立の政策として是認されうる、紙面に掲載するに価する、読者に紹介するにふさわしい言論であると考えていることは間違いない。
アパルトヘイト導入をすすめる論文を掲載した産経は、その内容についてあずかり知らないと、とぼけることはできない。掲載した編集責任は間違いなく存在する。
一切の謝罪なく…アパルトヘイトを理解せず苦しい言い訳に終始
産経新聞には相当の抗議が寄せられたようだ。14日、釈明の記事をWebで発表。しかし、その内容は、弁明とも呼べない虚しいものだった。
「曽野氏コラムで南ア駐日大使が本紙に抗議」と題する2月14日付の産経新聞の記事で、同紙は南アフリカのモハウ・ペコ駐日大使からの抗議文が送付されたことを紹介。同紙によれば、ペコ大使は「アパルトヘイト(人種隔離)を許容し、美化した。行き過ぎた、恥ずべき提案」と指摘し、「(アパルトヘイト)政策は人道に対する犯罪。21世紀において正当化されるべきではなく、世界中のどの国でも、肌の色やほかの分類基準によって他者を差別してはならない」と訴えているという。
これに対し、同記事で曽野氏は、「私は文章の中でアパルトヘイト政策を日本で行うよう提唱してなどいません。生活習慣の違う人間が一緒に住むことは難しい、という個人の経験を書いているだけです」などと苦しい弁明。産経新聞の小林毅産経新聞執行役員東京編集局長も、「当該記事は曽野綾子氏の常設コラムで、曽野氏ご本人の意見として掲載しました。コラムについてさまざまなご意見があるのは当然のことと考えております。産経新聞は、一貫してアパルトヘイトはもとより、人種差別などあらゆる差別は許されるものではないとの考えです」と釈明している。
呆れるのは、曽野氏も産経新聞も、書いた文章の内容を否認しながら、ひたすら弁明しつつ、文章の撤回も、こうした文章を載せた過ちも認めず、一切の謝罪を拒んでいることである。
特定非営利活動法人「アフリカ日本協議会」は、2月13日に曽野氏と産経新聞に対し、当該コラムの撤回と、南アフリカの人々への謝罪を求める抗議文を送付した。抗議文のなかで同団体は、曽野氏の産経新聞の見苦しい否認と詭弁を見越し、このように喝破している。
「アパルトヘイトは現地の言葉で「隔離」を意味し、人種ごとに居住区を分けることがすべてのアパルトヘイト政策の根幹にありました。また、アパルトヘイトは、特権をもつ一部の集団が、権利を剥奪された他の集団を、必要なぶんだけ労働力として利用しつつ、居住区は別に指定して自分たちの生活空間から排除するという、労働力管理システムでもありました。移民労働者の導入にからめて「居住区を分ける」ことを提案する曽野氏の主張は、アパルトヘイトの労働力管理システムと同じです。
そして同団体は「このような考え方は国際社会の一員としても恥ずべきものです」と怒りを込めて批判している。これが国際社会の常識であり、一般通念である。国際社会は怒りをもって、この「アパルトヘイト」を否定してきたのだ。
曽野氏と産経新聞は、公然と人種差別政策の導入を唱え、批判を受けると事実を認めずにひたすらごまかしに走り、まともな議論にも応じない。こうした言論人と言論機関の名にふさわしくない姿勢によって、国際社会における日本の評判を著しく下げている、その責任を、果たして自覚しているのだろうか。
アフリカ日本協議会による抗議文では、「このような内容のコラムが掲載されるに至った経緯、および人権や人種差別問題に関する見解を明らかにすることを求めます」との要請も書かれている。曽野氏や産経新聞は、この要請に誠実に応じ、明らかにすべきである。
近代最悪の人種隔離政策「アパルトヘイト」とは