先進諸国では格差が再び拡大していることを科学的に示し、ベストセラーとなっている『21世紀の資本』(2014年12月、みすず書房)その著者であるパリ経済大学教授のトマ・ピケティ氏が来日し、1月29日、東京都内でシンポジウムに出席した。
世界中で売れている『21世紀の資本』は700ページ超のボリュームだが、ピケティ氏の主張は明快だ。「経済が成熟し、低成長期に入っている先進国では、放っておけば所得や資産が一部の富裕層に集中し、19世紀のような格差社会がよみがえってしてしまう。それを防ぐには、政府による富裕層への、所得のみならず純資産に対する累進課税の強化・導入が大事」というものだ。
ピケティ氏は、この日の講演で、「金持ちの家に生まれないと有名大学に進みにくい」といった、日本にも見られる不平等さを指摘。貧困の連鎖を断ち切る有効な手立ては税制の中にある、と改めて強調した。
また、「所得税の累進カーブをフラットに近づけると、米国の企業経営者らに顕著な報酬の釣り上げが横行し、それがまた格差を広げる」というピケティ氏は、累進課税には人々の金銭欲をコントロールする一面があることを示唆した。
後半の討議で、ピケティ氏は日本について言及している。
西村康稔内閣府副大臣がアベノミクスの成果をアピールしたのに対し、「日本の格差は米国ほど大きなものではないが、増大傾向にあるのも事実」と発言。消費増税という安倍政権の税制改革の方向性や、日銀の金融緩和に依存した経済政策にも懸念を示した。
『21世紀の資本』が世界で支持を集めていることは、アベノミクスに反対する野党にとって、またとないプラス材料であり、民主党議員らがピケティ氏の理論を楯に、安倍政権が進めようとする歳出抑制に反対することは容易に想像できる。それを見越したように、西村副大臣はGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の運用利回り改善への助言を、ピケティ氏に求めた。
しかし、株式運用比率を従来の12%から25%へと大幅に引き上げる年金積立金の新たな運用方針(2014年10月発表)について、ピケティ氏から「ハイリスクの投資は馴染まない」と釘を刺される結果となった。
クズネッツ理論を一蹴したピケティ氏
「定員約700人のところに7000人超の応募があった。今日、会場に集まったみなさんは、激戦を勝ち抜いたことになる」。冒頭、主催者を代表してあいさつに立った渡辺雅隆氏(朝日新聞社社長)は、こう声を弾ませた。
渡辺氏は、非正規雇用の増加などを背景とする所得格差の拡大が、従来にも増して深刻な社会問題になりつつある今の日本にとって、先進諸国の格差問題を膨大なデータに基づいて検証した『21世紀の資本』の邦訳版の出版はタイムリーだと強調した。
盛大な拍手を浴びつつ、いつものノーネクタイ姿で演壇に立ったピケティ氏は、まず、共同研究者らと各国の所得・相続税の統計を基に、3世紀にも及ぶ20ヵ国以上のデータを収集するのに苦労したことを明かし、次のように語った。
「19世紀には、リカードやマルクスが分配論を扱ったが、当時は(所得税が存在しなかったため納税記録がなく)データが不足していた。そして、20世紀に入ると所得分配は、経済学の中で主要なテーマではなくなっていった。象徴的なのがクズネッツ曲線だ」
クズネッツ曲線とは、1971年にノーベル経済学賞に輝いた米経済学者のサイモン・クズネッツ(故人)が、1950年代に発表した「経済発展は初期段階で所得格差が拡大するも、その後は縮小に転じる」という説を表すもの。
だが、ピケティ氏は「今や、その楽観的理論を信じる者(経済学者)はいないと思う」と一蹴。「なぜなら、この数十年間の推移を見ると(=この数十年間のデータをクズネッツと同様のやり方で解析してみると)、先進諸国では明らかに『社会の不平等』が広がっているからだ」と述べた。
格差の要因は「グローバル化」以外にも
所得格差に関する議論では、「グローバリゼーション犯人説」が説得的である。アジアなどの低廉な労働力が市場経済に組み込まれてしまったから、先進国側の労賃に下方圧力がかかった、という見方だが、ピケティ氏は、格差拡大の要因は「グローバリゼーションに限らない」と口調を強め、次のように説明した。
「日本のように人口が減少期に入っており、経済が低成長期を迎えている国では、(稼いだ金の多くが消費に向かわず)資産として積み上げられ、一部の富裕層に集中しがちで、それが格差を拡大させている」
ピケティ氏は「格差大国」の異名をとる米国のあり方について、「上位10%の富裕層の総所得に占める割合に目をやると、クズネッツが言うように、(1920年代にはあれだけ高かったものが)1950年代は低下し、1980年代になると再び上昇しており、直近では50%超と、1920年代よりも大きくなっている。これは、ほんの一握りの人たちが莫大な所得を得ていることを物語っている」と話した。
「今の米国では、経済成長の妙味の大半が富裕層に向かっている」とピケティ氏は指摘する。米国がこのような事態に陥ってしまったことを、「グローバル化の結果」と解釈する向きが非常に多いとした上で、「欧米と日本を精査した場合、(先の上位10%シェアで近年の格差拡大のピッチを見た場合、米がトップ、次いで日本、EUが3番目と)格差の広がり方には差があり、それは政策や制度の違いが反映されているからだ」と訴えた。
「r>g」のピケティ理論とは
ピケティ氏は、格差拡大のグローバリゼーション以外の要因に、その国の教育システムや労働市場のあり方、さらには財政制度の中身を挙げつつ、米国の場合は企業経営者の報酬が、年間で1000万ドルといった尋常ではない水準にまで釣り上げられていることが大きいと指摘する。
「彼らに対し、そこまで高額のギャラを支払うことが、米国全体での雇用創出につながるのだろうか」と表明したピケティ氏は、米国の経営者の報酬が急騰した背景には、所得をめぐる課税累進度の緩和に乗じた「欲の肥大」があるに違いない、と分析した。
そして、資産については、その富裕層への集中度合いが、所得のそれを優に上回ると力説。所得の場合と同様、上位10%のシェアで見ると、「欧州では90%近く、米国では80%超だった。その後、格差は縮小傾向をたどるが、この数十年間は再度拡大傾向にある。ただ、直近でも1世紀前ほどではなく、欧州が60%台半ば、米国が70%超だ」と言う。
では、日本はどうか。ピケティ氏は「50~55%で、欧州と似た推移。世襲社会が復活している感がある」とし、日本のような高度経済成長の再来が見込めない国では、資産への依存度が高まる、と力を込めた。