「袴田事件のような捜査機関による証拠捏造は珍しいことではない」~岩上安身によるインタビュー 第415回 ゲスト 袴田事件弁護団長・西嶋勝彦弁護士 2014.4.4

記事公開日:2014.4.4取材地: テキスト動画独自
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 1966年、静岡県清水市で一家4人を殺害したとして、元プロボクサーの袴田巖さんが逮捕された「袴田事件」。1980年の死刑判決後、袴田さんは長期拘留され続けてきたが、3月27日、静岡地裁の村山浩昭裁判長のもとで再審開始が決定。その際、『捜査機関が証拠を捏造した疑いがある』という厳しい言葉もあり、刑及び拘置は執行停止されて、袴田さんは48年ぶりに釈放された。

 この日、岩上安身がインタビューしたのは、この袴田事件の弁護団長・西嶋勝彦弁護士。今年73歳になる西嶋弁護士は、袴田事件に関わって20年近くなる。1966年の第1回公判から48年になるこの長い裁判に、第1次再審請求開始後から弁護団に加わった。インタビューでは、袴田事件における証拠捏造疑惑についてうかがうとともに、同様の権力犯罪が歴史的に行われてきた事実が明らかにされた。

■イントロ

  • 日時 2014年4月4日(金) 17:00~

証拠品の捏造疑惑

 「こがね味噌」という会社の専務の一家4人が、夜中に侵入した何者かに殺されたことから事件は始まる。当時、寮に住み込みで働いていた袴田さんにはアリバイがあったが、犯人と決めつけられ自白を強要され、死刑囚として拘置され続けることとなった。

 もともと検察が犯行時の着衣としていたのはパジャマ。ところが、付着した血液や、放火に使った油が微量で、2度3度鑑定しても出ない。そうこうするうちに捜査機関が持ち出してきたのが、「味噌工場の味噌タンクから従業員により発見された」という、血液が付着した5点の衣類だった。事件直後に味噌タンクも総ざらいする徹底した捜索では見つからず、事件から1年も経ったあとに「発見」されたのだという。

 当時は、DNA鑑定がなかったので、付着していた血液が誰の血液かは判別できなかったが、袴田さんの血液型であるB型の血痕が出たことが、有力な決め手とされた。ところが、発見された衣類の生地の色は鮮やかで血痕もはっきりしていた。事件から一年間も味噌漬けになっていたとは信じがたい「証拠」だった。

 西嶋弁護団の行った検証実験では、短時間で証拠の衣類と同じ状態になり、1年も浸けたものは真っ黒になって、生地も血痕も区別がつかなかったという。捜査機関が衣類をタンクに投げ込み、従業員に発見させ、証拠の捏造が行われたと、西嶋弁護士は断じた。

 そして、もう一つの証拠であるとされた凶器のくり小刀。検死報告書では被害者の背中に達するほどの深い傷とあるが、こちらも、日大の法医学教室でMRAを使った検証実験により、くり小刀の刃は背中に届かなかったという結果が出ている。

証拠捏造は珍しいことではない

 これまでの冤罪事件は、警察や検察は、事実誤認や思い込みなどの過失から冤罪を産んでしまった、と思われてきた。しかし、西嶋弁護士によると、この袴田事件にみられるような、捜査機関による証拠捏造は珍しいことではないという。

 「静岡県警では、昭和30~40年代にかけてかなりの事件が無罪になっているが、たとえば、秘密の暴露を装うために、警察は死体がどこに埋まっているか知っていたのに、容疑者の自白で発見したように嘘をつく。また、柱時計の針を動かして、犯行時刻に合わせ、本人に自白させていたりする。その中心になったのが、有名な静岡県警の紅林麻雄(くればやしあさお)という刑事。この人はいろんな事件に関わっている。その悪しき伝統は、警察に残っている」

権力犯罪はなくせるか

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