南千住警察署の裏庭で後ろ手に縛られた朝鮮人が次々撃ち殺された――数多の証言から辿る関東大震災・朝鮮人虐殺の『真実』~岩上安身による『ほうせんか』理事・西崎雅夫氏インタビュー 2016.11.17

記事公開日:2016.11.27取材地: テキスト動画独自
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(取材:岩上安身、文:平山茂樹、記事構成:岩上安身)

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 「10人くらいずつ朝鮮人をしばって並べ、軍隊が機関銃でうち殺した」「蜂の巣のようにつつかれた屍体を見た」「石油をぶっかけて二日二晩も続け様に焼きました」――。

 これらの凄惨極まる証言は、2016年9月に刊行された西崎雅夫著『関東大震災 朝鮮人虐殺の記録~東京地区別1100の証言』に収録されたもののうちの、ほんの一部である。

 1923年9月1日の関東大震災発生に際し、「朝鮮人が井戸に毒を入れている」などといったデマが流布され、一部の日本人が暴徒化。軍、警察、自警団によって、多くの朝鮮人が都内のいたるところで虐殺された。本書は、その虐殺に関する1100もの目撃証言を1冊の本としてまとめたものである。

 著者である「一般社団法人ほうせんか理事」の西崎雅夫氏は、大学在学中からこの問題の調査と資料収集に取り組み、「語り部」として当時の様子を伝える講演活動を行ってきた。2009年9月には、実際に虐殺の現場となった墨田区八広に「関東大震災時韓国・朝鮮人殉難者追悼之碑」を建て、2015年まで隣の敷地に住んで碑の管理・清掃を行っていた。

▲関東大震災時韓国・朝鮮人殉難者追悼之碑

▲関東大震災時韓国・朝鮮人殉難者追悼之碑

 2016年11月17日、岩上安身は西崎氏に単独インタビューを敢行。東京の各地で繰り広げられた朝鮮人虐殺の目撃証言をひとつひとつ取り上げながら、軍と警察による関与の実態などについて詳しく話を聞いた。

■イントロ

  • 日時 2016年11月17日(木) 15:30~
  • 場所 IWJ事務所(東京都港区)

「左右前後からヤリで突かれ」・・・1923年9月、東京の路上はまさに「戦場」だった

 港区六本木、中央区月島、千代田区神田、世田谷区千歳烏山、台東区浅草、北区赤羽、江東区大島、墨田区両国――。関東大震災の直後から、朝鮮人の虐殺は東京のいたるところで起きていた。1923年9月、東京の路上は、さながら「戦場」と化していたのである。

 この日、西崎氏が紹介した目撃証言の数々は、どれも具体性をともなったものばかりだった。それは、たとえば以下のようなものである。

 「私は恐る恐る板塀の穴からのぞき見をしました。何人かの朝鮮人が目かくしをされて立たされ次々と銃で打ち殺されたのを見ました。大きなわめき声を今でも憶えております」(原田勝見、荒川区の南千住警察署)

 「責任者のことばが終らねェうちに、鳶口が3つ4つ男の頭の上にふり落ちる。次の瞬間には、長い竹ヤリが、腹をブスツとつらぬく。男は、ものすごい顔で苦しみもだえながら、なんとか逃れようとしていたが、左右前後からヤリで突かれ、あげくは川の中へドブンと放り込まれてしまいましたよ」(飯田長之助、江戸川区の浦安橋)

 「腹をさかれ、6~7ケ月になろうかと思われる胎児が、はらわたの中にころがっていた。が、その女の陰部に、ぐさり竹槍がさしてあるのに気づいたとき、ぼくは愕然として、わきへとびのいた」(田辺貞之助、江東区大島)

 あまりに残忍で、誰もが目と耳をふさぎたくなる証言ばかりである。しかし、日本政府は現在にいたるまで、こうした虐殺の事実について調査も謝罪も行っていない。

 西崎氏のもとには、韓国に住む遺族から、「私のおじいさんの遺骨を探してください」といった声が寄せられるという。しかし政府による公的な記録が残っていないために、現在も探しようがないというのが現状だ。

 「遺族は、今でも遺骨を探し続けています。その意味で、事件はまだ終わっていません」――。西崎氏はインタビューの最後にこのように語り、これからも「語り部」としての役割を担い続けていきたいとその思いを語った。

▲インタビューの様子――11月17日、IWJ事務所

▲インタビューの様子――11月17日、IWJ事務所

 IWJでは、この関東大震災に乗じた朝鮮人虐殺の問題について、『九月、東京の路上で』の著者である加藤直樹氏とロケを行った「IWJ検証レポート」をはじめ、講演会やシンポジウムの模様を多数取材している。

 IWJの「サポート会員」にご登録いただければ、これらすべてのアーカイブの視聴が可能である。ぜひ、西崎氏へのインタビューとあわせ、下記のアーカイブもご視聴いただきたい。

 しかし、そもそもなぜ、日本人は朝鮮人に対する虐殺を行ったのか。

 大地震のたびごとに日本人はパニックに陥り、狂気の虐殺を行なってきたのか、といえばそんなことはまったくない。阪神淡路大震災の際も、東日本大震災の際も、関東大震災直後のような暴力の爆発は起こらなかった。

 この違いはなぜ生まれたのか。政治的背景に目を向けなければ、その謎は解けない。

 関東大震災が起きた1923年は、1910年の日韓併合から13年、1919年の三・一独立運動から4年後にあたる。こうした背景から西崎氏は、「当時の日本人は、いつか朝鮮人に仕返しをされるのではないかと恐れていたのでは」と分析する。

 併合されてなお、独立を求める朝鮮人の抵抗は根強かった。関東大震災が起きた直後、朝鮮人が暴動を起こすのではないか、という猜疑心に日本の官憲がとらわれたのは、自分たちの侵略行為が朝鮮人の恨みを買っているという自覚の裏返しだった。

 明治維新以後、1875年の江華島事件から日清・日露戦争を通じ、日本は朝鮮半島への影響力を強め、ついには植民地として併呑してしまった。その過程で、多くの朝鮮人が日本軍により弾圧され、虐殺された。こうした史実を踏まえてはじめて、関東大震災直後に虐殺が起きた理由が明らかになる。

 日本の軍と警察と在郷軍人会などで構成された自警団らは、朝鮮半島で行なってきた「侵略戦争」を日本国内で反復し、再現したのである。

 こうした明治期の日本軍によって行われた朝鮮人虐殺の歴史的事実について、岩上安身はこれまでに、奈良女子大学名誉教授の中塚明氏、そして北海道大学名誉教授の井上勝生氏にそれぞれ単独インタビューを行っている。これらの動画アーカイブも、「サポート会員」にご登録いただければ視聴が可能である。ぜひ、あわせてご覧いただきたい。

 ところで明治と言えば、「天は人の下に人を造らず」のフレーズで有名な、「改革の偉人」福沢諭吉を思い出す方も多いのではないだろうか?

 だが「天は人の下に人を作らず」の先には、ほんとうはどんな言葉が続いているのかを知らない方も、また多いのではないだろうか?

 福沢諭吉は、実際にはどのような思想を説き、それは明治以降の日本人の意識と行動に、どのような結果を招いたのだろうか?彼の思想をひもとくことで、明治から現在にいたるまで、通奏低音のように潜在する「差別意識」、そして「国に都合のいい国民の造り方」の源流が透けて見えてくるのではないだろうか?

 きたる12月4日、岩上安身も実行委員として名を連ねる「日本の『近代』と『戦後民主主義』-戦後つくられた『福沢諭吉神話」を徹底検証-』と題した研究報告会が開かれる。その開催に先駆けて11月25日、記者会見が行われた。

 IWJではこの動画を現在特別配信中である。また12月4日の講演者のお一人、杉田聡帯広畜産大学教授へは、岩上安身もインタビューを行っている。この機会にあわせてぜひご覧いただきたい。

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