保安院会見 2012.2.2
2012年2月2日(木)、保安院会見の模様。
特集 百人百話
1939年満州生まれ。3.11は音と煙に足が震えた。道は陥没して大混乱。塀は崩れ、水道管は露わに。浪江に向かったが橋は通行止め。かつての引き揚げを思い出した。テレビは嘘だと思いながらボーッと見ていた。福島の電力を消費している東京の人たちとは悲しみを共有できなかった。変革は100年かかる。ドイツもイタリアも反原発宣言をしたのに、日本はなぜ? 国策で二度「棄民」とされた。最初は戦争、二度目は3.11。正確な情報を知らされないまま、捨て置かれた。
2012年02月02日(木)、東京電力本店で、記者会見が行われた。
新規水漏れ2箇所見つけ、合計29箇所から漏洩した。凍結対策はかなり進んでるが放射性物質含んでない水処理施設はまだ実施できておらず、今後、保温材の取付等を行う予定。ケガ人が発生、瓦礫撤去準備工事を行なっていた20代男性作業員が指を挟み、中指挫創を診断、骨折はしていないことを発表した
2012年2月2日(木)、大阪市内で、立命館大学国際関係学部の大島堅一教授(国家戦略室需給検証委員会、大阪府市エネルギー戦略会議委員)が、『ドイツ反原発運動小史』著者で、環境歴史学者のヨアヒム・ラートカウ氏へインタビューを行った。通訳は、関西学院大学の朴勝俊(パク・スンジュン)教授が務めた。
2012年2月2日(木)、東京電力本店で、記者会見が行われた。
2号機ガス管理システムに希ガスモニタを追加し、キセノンの測定により臨界していない判断とするよう、監視用ソフトの変更作業中であることを発表した。水漏れの報告は入っていないため、新たな凍結水漏れはなかったと述べた。
※映像記録なし
2012年2月1日(水)、「IWJ検証レポート」シリーズの第二弾となる 『心臓に穴のあいた我が子 ~放射線の影響か否か、苦悩する父~』の中で、自身の体験を語っていただいた鈴木則雄氏に、放送の翌日である2月1日、再度インタビューを行った。
鈴木氏に最初に取材を行った日=検証レポートの撮影日である11月16日から、二ヶ月以上が過ぎた。
特集 百人百話
郡山市出身。56歳。家族は夫の仁さんと子ども3人。事故後、情報は原発で働く友人から得ていた。もう戻れない、構内はぐちゃぐちゃ、放射線が出ていると聞かされた。原発で働く息子をもつ母親は、戦争に取られたようなものと歎いていた。会津若松の図書館でネットを閲覧し、放射線量を調べ、新聞にして周囲に伝えた。今後何十年も帰れないなら大熊町のことは思い切るべき。一時帰宅のたびに線量が高くなる現実を前に、中間貯蔵施設に賛成の要望書を国に提出した。
特集 百人百話
大熊町生まれ。東北大学に進学後、実家に戻り、最近まで町会議員を勤めていた。事故後、避難所で過ごすうちに、持病の腎臓病が悪化し、妻の腎臓を移植する手術を受けた。町長は脱原発を標榜するつもりはないと言ったので、原発立地の町としてこのままで良いのか、また、無投票選挙も良くないと考え、町長選に打って出た。破れはしたが、4割の支持を得たことには意味があると思っている。術後体調は良いので、今後も必要があれば再度町長選に挑戦する気持ちもある。
2012年2月1日(水)、松井一郎・大阪府知事の定例会見が大阪府庁記者会見室で行われた。瓦礫受入れの健康リスク等に関してIWJ中継市民が質問、知事は「受入れには賛成」との立場から、指針の見直し等はしない意向を示した。
2012年2月1日(水)、東京電力本店で、記者会見が行われた。
広野火力発電所で協力企業作業員60代男性が意識不明となりドクターヘリでいわき病院へ搬送、福島原発勤務経験は不明。水漏洩の関して原因、対策などについて質問があがった。また、発電所現場公開は進める方向で動いていると回答した。
2012年2月1日(水)、東京電力本社で、記者会見が行われた。
新たに漏洩が発生し、28日が4件 29日14件 30日4件 31日3件 今日を含め26件発生している。質問するが必要な回答が得られず、記者より今日から松本さん午前中来られなくなって メール以上の説明殆どできないということ。ブリーフィングでもちゃんと説明する前提だったはず。こんな状態なら松本さんを戻すことも検討してくれないかという要望が出る状況。
2012年1月31日に配信された、IWJ検証レポート 『心臓に穴のあいた我が子』 ~放射線の影響か否か、苦悩する父〜」。
2012年1月31日、 経済産業省別館3階346 第4特別会議室にて、原子力保安院による「東日本大震災の影響によるERSSに係る伝送停止について」の会見が行われた。
2012年1月31日(火)、東京電力本店で、記者会見が行われた。
水の漏洩に関してまとめた資料を配布した。
福島第二原子力発電所について、プラントの冷温停止維持に係わる設備等の復旧計画を公表し、原子炉に入っている燃料を使用済み燃料プールに順次移動、4号機を代表号機として燃料取り出したあと炉内構造物を点検する計画を示した。