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百人百話「第五十三話」鈴木則雄さん 2011.11.16
特集 百人百話
「震災時に役立つ情報を提供する」
郡山でコミュニティFM放送を経営。53歳。妻と子どもの 3人家族。事故でネットはダウンしたが、放送を続けた。災害時に必要な生活情報は足で稼ぐしかないと、あちこちに出かけるうちに、パーソナリティが各所の情報とともに局に集まってきた。原発への考え方が変わったのは妻の妊娠を知ったとき。10年後の子どもの健康を願い、妻子を避難させることにした。復興の前に、安全、健康があるべき。すべての人が幸せになる道を考えたい。
百人百話「第八話」島村守彦さん 2011.9.28
特集 百人百話
「とにかく南に逃げろ! 100km以上逃げろ!」
いわき市在住。出身は兵庫県。53歳。自営業(自然エネルギー)。母親と2人暮らし。阪神淡路大震災に遭遇したのを機に、悔いのない生き方をしようと思うようになった。たまたま転勤先となった福島が気に入り、8年前にいわきで独立開業した。仕事がら東電社員には知り合いも多く、事故直後にはすぐに逃げろと連絡も受けた。故郷に戻ることも考えたが、自分を信頼し受け入れてくれたこの地で、自分のできることをしようと留まることにした。
百人百話「第五話」アンナさん 2011.8.25
特集 百人百話
「自分が夢を捨てられないんです」
福島市在住。29歳。小学生と園児、4人の子どもをもつシングルマザー。現在職業訓練中。子どもたちの将来を考えると、すぐにでも避難したほうが良いと思う。けれど知らない土地で、ひとり育てていけるのかと考えると、不安が先に立つ。避難することで県の援助が打ち切られ、学校に通えなくなれば、就職のチャンスも失う。自分の夢を捨てたくないという思いと、親としての責任が果たせていないのではという思いに、自分を責めてしまう。
福島県飯舘村 住民説明会 2011.11.4
2011年11月4日(金)、飯舘村住民に対する説明会が、飯野出張所2階会議室で行われた。
行政と国から、放射能汚染物質の仮置き場を3年を目途に移動する予定であると説明がなされた。住民側は、移動時の安全性、また、仮置き場としての安全性の担保を強く求め、政権交代が行われても3年で移動する確約を求めた。
百人百話「第四十話」タナカさん(仮名) 2011.10.24
特集 百人百話
「とても人がいちゃいけない事故が起きてる」
浪江町出身 27歳。事故後、仙台市に避難。原発関連の仕事に携わる父や叔父たちから、原発は安全、大丈夫だと聞かされて育った。地縁血縁など、原発とのしがらみもあり、人間関係も複雑なので、内心脱原発であっても、外からは分からない。長年原発に依存してきた町は、今後どうなるのか。何十年も住めないと言われても、何かしら声を上げないと、と思う。町民としてのプライドを失わず、町民だからこそできることを考えていきたい。
百人百話「第三十四話」ヨシダさん(仮名) 2011.10.23
特集 百人百話
「原発の話をすると帰るお客さんが多い」
原発関連で働く父と専業主婦の母、姉と妹の5人家族。浪江町の自宅は現在立ち入り禁止。周囲は原発推進派に入れば安泰というような環境で、安全神話をすり込まれたが、情報漏洩もあり、ずっと不信感を抱いていた。原発マネーで育ったことが後ろめたくもあった。けれどその原発のために、故郷や多くのモノを失った。事故は現実だが、何となく夢のなかの出来事のような気がする。今後は世の中の動向を見つつ、自分の心のなかも、ゆっくりと整理していきたい。
被災地での生産品の発展途上国への無料提供に関する、内閣総理大臣及び外務大臣への抗議申し入れ 2011.10.20
2011年10月20日(木)、「東北の被災地で生産された水産加工品をODA予算によって購入し開発途上国に無償提供する」という外務省の方針に対する、外務省担当者への抗議申し入れの模様。
百人百話「第三十一話」ヒロタカさん 2011.10.15
特集 百人百話
「ローンを払いながら、避難生活」
妻とは転勤先の福島で知り合い結婚。建設関係という仕事柄、あらゆる自然災害を想定し、40歳の時に 35年ローンで自宅を購入した。事故後、3歳の娘を守りたいとの思いから、他県への避難を主張したが、妻は職場復帰を急いだ。精神的に追い詰められ、離婚を切り出した矢先、第2子の妊娠が分かった。子どもの誕生は嬉しいが、放射能の胎児への影響が気になる。いまは子どもをどうやって守るかだけ。妻の仕事、家のローン、先が見えない。
百人百話「第五十六話」高橋孝子さん 2011.10.15
特集 百人百話
「自分がお母さんたちに説明できなくてはいけない」
郡山市在住。20代の娘と息子との 3人家族。あさひがおか保育園園長。事故当初は放射線に関する知識がなく、あちこちの講演会に出かけるようにした。大丈夫という人と気をつけないといけないという人とがいて、分からなくなった。結局は自分で考え、判断するしかない。線量は計測し、園外保育ではマスク着用。保護者が最も心配する「食」については、極力希望に添うようにしている。他業種の人同様、仕事に誇りがあると避難は難しい。
「希望の牧場」プロジェクト経過報告記者会見 2011.10.9
2011年10月9日、自由報道協会主催、「希望の牧場」プロジェクト経過報告記者会見が行われた。福島第一原発から20km圏内にある浪江町「エム牧場」農場長の吉沢正巳氏は、住人なき町に残された動物たちを殺処分から守るため、自らも被爆しながら餌をやり続け、声を挙げ続けている。
飯舘村の「今」と「これから」~村民にとっての復興とは~ 今中哲二助教ほか 2011.10.4
2011年10月4日(火)、福島市の福島県文化センター小ホールにて、緊急集会「飯舘村の『今』と『これから』~村民にとっての復興とは~」が開かれ、有識者による報告とディスカッションが行われた。
百人百話「第十七話」吉田幸洋さん 2011.9.28
特集 百人百話
「三代にわたらないと、復興は成しえないんじゃなかろうか」
いわき市在住。62歳。娘4人はすでに独立し、現在は妻と2人暮らし。長年携わってきた水産業は、震災により打撃を受け、再開のめどが立たない。自然に恵まれたこの美しい風土を早く元に戻したいが、果たしてそれはいつのことになるのか。互助の精神が深く根ざした故郷への愛着は強い。子や孫の安全や健康を考えれば、避難させたほうが良いと思いつつも、彼らの若い力が地元の復興に活かされることを期待してしまう。
百人百話「第四話」トシユキさん 2011.9.27
特集 百人百話
「父ちゃん、なんで福島なの? 俺、結婚できるかな」
いわき市在住。50歳。自営業。両親、妻、高校生と小学生の子ども2人の6人家族。埼玉県に一時避難したが、家族がこれまでいわきで築いてきた人間関係や地域コミュニティ、長男としての役割を考え、いわきに留まることを決めた。線量や食べ物に気をつけながら日々暮らしている。「結婚できるの?子どもは産めるの?」という子どもたちの言葉が忘れられない。なぜ、電気のために苦労しなければいけないのか。原発はもうご免だ。
鉢呂経済産業大臣 辞任会見 2011.9.10
2011年9月10日(土)、鉢呂経済産業大臣による辞任会見が行われた。
鉢呂大臣は「私の一連の発言で、国民の皆様そして、とりわけ福島県民の皆様に多大の不審の念を抱かせた。大変心からお詫びを申したい」と辞任を表明。「死の町」発言に関しては「(福島の現状を)見た率直な意見だった。しかし言うべき言葉ではなかった」と謝罪。「放射能をつけるぞ」発言に関しては「防護服をすり寄せたという事はなかったと思うが、どう言ったのかは記憶がさだかではない」と説明した。
百人百話「第七話」鹿目久美さん 2011.8.25
特集 百人百話
「福島と神奈川、娘と往き来する中で」
安達郡大玉村在住。主婦。会社員の夫と5歳の娘の3人家族。神奈川県生まれ。結婚を機に福島県へ。事故後、発熱や皮膚疾患といった娘の体調が心配で、実家のある相模原市に避難したが、4月の入園で自宅に戻った。地元行政は放射能対策に積極的だが、健康への影響を考え、再度実家に母子避難した。避難をめぐって被害者同士が傷つけ合うのは腑に落ちない。責められるべきは国や東電のはず。人には健康的に暮らす権利があると思う。
第12回エネシフジャパン勉強会〜被災地に再生可能エネルギーを届ける・再生可能エネルギー促進法案審議状況について 2011.8.18
※動画のご視聴は会員限定となります。
2011年8月18日、衆議院第1議員会館多目的ホールにて、エネシフジャパン主催の勉強会が開かれた。
ゲストは福山哲郎氏(内閣官房副長官)、小島敏郎氏(青山学院大学国際政治経済学部教授)。勉強会は毎週月曜日、17時から19時に定期的に行われている。菅総理退陣を受け、『被災地に再生可能エネルギーを届ける・再生可能エネルギー促進法案審議状況について』をテーマに、参加者と広く討論した。
参加者らからは、「自分たちが立ち上がるべき」「電力会社の構造などの統治システムに問題があるのでは」などの意見が上がった。
百人百話「第一話」佐藤早苗さん 2011.8.17
特集 百人百話
「何でこんなに避難することが難しくなっているのか」
福島市飯坂町在住。40代。主婦。公務員の夫と、大学生・高校生の子ども2人の4人家族。できれば子どもたちだけでも実家のある岩手に避難させたい。けれど国や県の情報を信頼する夫とは危機感に差があり、避難させられずにいる。このまま福島で復興に向かおうという気持ちと、チェルノブイリの事実を受け止め、現実を見なくてはという思いとのはざまで悩む。除染に希望をつなぎつつ、地元の幼い子どもたちの無事な成長を願っている。
「国会は一体何をやっているのですか!」大手メディアに無視された児玉龍彦氏「国会での熱弁」~岩上安身の緊急インタビュー 第150回 で見せた25秒間の沈黙の意味とは 2011.8.6
「私は満身の怒りを表明します」――。2011年7月27日、国会の衆議院厚生労働委員会での参考人答弁で、福島第一原発事故後の国の対応を厳しく批判した児玉龍彦氏(東大アイソトープ総合センター長)の姿は、当時、多くの共感を呼んだ。
インターネット上の言論空間は、しばらくの間、この児玉氏の質疑でもちきりとなり、ユーチューブ(動画投稿サイト)では、その動画が次々にコピーされ拡散。再生件数は高止まりした。