タグ: 東日本大震災
百人百話「第四十話」タナカさん(仮名) 2011.10.24

特集 百人百話
「とても人がいちゃいけない事故が起きてる」
浪江町出身 27歳。事故後、仙台市に避難。原発関連の仕事に携わる父や叔父たちから、原発は安全、大丈夫だと聞かされて育った。地縁血縁など、原発とのしがらみもあり、人間関係も複雑なので、内心脱原発であっても、外からは分からない。長年原発に依存してきた町は、今後どうなるのか。何十年も住めないと言われても、何かしら声を上げないと、と思う。町民としてのプライドを失わず、町民だからこそできることを考えていきたい。
百人百話「第三十四話」ヨシダさん(仮名) 2011.10.23

特集 百人百話
「原発の話をすると帰るお客さんが多い」
原発関連で働く父と専業主婦の母、姉と妹の5人家族。浪江町の自宅は現在立ち入り禁止。周囲は原発推進派に入れば安泰というような環境で、安全神話をすり込まれたが、情報漏洩もあり、ずっと不信感を抱いていた。原発マネーで育ったことが後ろめたくもあった。けれどその原発のために、故郷や多くのモノを失った。事故は現実だが、何となく夢のなかの出来事のような気がする。今後は世の中の動向を見つつ、自分の心のなかも、ゆっくりと整理していきたい。
百人百話「第三十一話」ヒロタカさん 2011.10.15

特集 百人百話
「ローンを払いながら、避難生活」
妻とは転勤先の福島で知り合い結婚。建設関係という仕事柄、あらゆる自然災害を想定し、40歳の時に 35年ローンで自宅を購入した。事故後、3歳の娘を守りたいとの思いから、他県への避難を主張したが、妻は職場復帰を急いだ。精神的に追い詰められ、離婚を切り出した矢先、第2子の妊娠が分かった。子どもの誕生は嬉しいが、放射能の胎児への影響が気になる。いまは子どもをどうやって守るかだけ。妻の仕事、家のローン、先が見えない。
百人百話「第五十六話」高橋孝子さん 2011.10.15

特集 百人百話
「自分がお母さんたちに説明できなくてはいけない」
郡山市在住。20代の娘と息子との 3人家族。あさひがおか保育園園長。事故当初は放射線に関する知識がなく、あちこちの講演会に出かけるようにした。大丈夫という人と気をつけないといけないという人とがいて、分からなくなった。結局は自分で考え、判断するしかない。線量は計測し、園外保育ではマスク着用。保護者が最も心配する「食」については、極力希望に添うようにしている。他業種の人同様、仕事に誇りがあると避難は難しい。
第2回地震・津波の解析結果の評価に関する意見聴取会 2011.10.5

2011年10月5日(水)に行われた、第2回地震・津波の解析結果の評価に関する意見聴取会の模様。
百人百話「第十七話」吉田幸洋さん 2011.9.28

特集 百人百話
「三代にわたらないと、復興は成しえないんじゃなかろうか」
いわき市在住。62歳。娘4人はすでに独立し、現在は妻と2人暮らし。長年携わってきた水産業は、震災により打撃を受け、再開のめどが立たない。自然に恵まれたこの美しい風土を早く元に戻したいが、果たしてそれはいつのことになるのか。互助の精神が深く根ざした故郷への愛着は強い。子や孫の安全や健康を考えれば、避難させたほうが良いと思いつつも、彼らの若い力が地元の復興に活かされることを期待してしまう。
百人百話「第六話」紋波幸太郎さん 2011.9.27

特集 百人百話
「妻の出産、情報に翻弄されて・・・・・」
いわき市在住。30歳。飲食店経営。妻と2011年7月生まれの子との3人家族。事故当時、妻は妊娠6ヶ月だった。流産の後、やっと授かった子を無事出産するにはどうすれば良いのか。悩み続けた。一度は他県に避難したが、生活の基盤があるいわきで出産・育児をしたいという妻の希望で自宅に戻った。生まれた子どもの将来を思うと不安は尽きないが、補償もなくすべてが自己責任で片付けられるなか、動けずにいる。いまは、生きていくうえでの安心がほしい。
百人百話「第四話」トシユキさん 2011.9.27

特集 百人百話
「父ちゃん、なんで福島なの? 俺、結婚できるかな」
いわき市在住。50歳。自営業。両親、妻、高校生と小学生の子ども2人の6人家族。埼玉県に一時避難したが、家族がこれまでいわきで築いてきた人間関係や地域コミュニティ、長男としての役割を考え、いわきに留まることを決めた。線量や食べ物に気をつけながら日々暮らしている。「結婚できるの?子どもは産めるの?」という子どもたちの言葉が忘れられない。なぜ、電気のために苦労しなければいけないのか。原発はもうご免だ。
百人百話「第七話」鹿目久美さん 2011.8.25

特集 百人百話
「福島と神奈川、娘と往き来する中で」
安達郡大玉村在住。主婦。会社員の夫と5歳の娘の3人家族。神奈川県生まれ。結婚を機に福島県へ。事故後、発熱や皮膚疾患といった娘の体調が心配で、実家のある相模原市に避難したが、4月の入園で自宅に戻った。地元行政は放射能対策に積極的だが、健康への影響を考え、再度実家に母子避難した。避難をめぐって被害者同士が傷つけ合うのは腑に落ちない。責められるべきは国や東電のはず。人には健康的に暮らす権利があると思う。
百人百話「第一話」佐藤早苗さん 2011.8.17

特集 百人百話
「何でこんなに避難することが難しくなっているのか」
福島市飯坂町在住。40代。主婦。公務員の夫と、大学生・高校生の子ども2人の4人家族。できれば子どもたちだけでも実家のある岩手に避難させたい。けれど国や県の情報を信頼する夫とは危機感に差があり、避難させられずにいる。このまま福島で復興に向かおうという気持ちと、チェルノブイリの事実を受け止め、現実を見なくてはという思いとのはざまで悩む。除染に希望をつなぎつつ、地元の幼い子どもたちの無事な成長を願っている。
百人百話「第二話」長野寛さん 2011.8.18

特集 百人百話
「失ってわかった、豊かな土地・福島」
大阪・東京での17年間のサラリーマン生活の後、自然農をめざして3年前に福島に移住。妻と娘の3人家族。震災後、北海道から鹿児島まで、農業のできる安全な移住先を探して回った。地形や日当たりや降雨量から見て、いかに福島が豊かな生命力に恵まれた土地だったかを実感し、悔しかった。原発は、人間の生活だけでなく自然をも破壊する。事故は二度と起こしてはいけない。責任をとることなく、再稼働を進める人たちに怒りを覚える。
【FPAJ】小野寺五典衆議院議員(自民党宮城県連会長)記者会見 2011.7.20

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2011年7月20日(水)、自由報道協会にて、小野寺五典衆議院議員(自民党宮城県連会長)記者会見が行われた。
川内・辻議員主催 東日本大震災勉強会〜講師 元日本原子力学会会長・原子力委員会委員長代理 田中俊一氏 2011.6.2

2011年6月2日、民主党の川内博史議員と辻恵議員が、東日本大震災に関わる問題について、元日本原子力学会会長・原子力委員会委員長代理 田中俊一氏を講師に招き、勉強会を開催した。
田中氏は、除染の方法と試験結果を説明し、放射性物質を含んだ土壌の処分場を各自治体に設けてほしいと述べた。
また、放射能・放射線に関する課題として、食品から放射性物質が検出された場合、食品ごとの評価・対応をきめ細かく行うべきことなどを挙げた。最後に、緊急提言の趣旨を生かした原発事故収束への体制作りが必要だと述べた。
第10回東日本大震災勉強会 (講師:後藤政志氏) 2011.5.20

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2011年5月20日(金)に行われた、第10回東日本大震災勉強会が開催され、講師に元原子炉格納容器設計者の後藤政志氏が招かれた。
民主党有志議員による「第9回東日本大震災を考える会」(講師:広瀬隆氏) 2011.5.10

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2011年5月10日(火)、民主党有志議員による「第9回東日本大震災を考える会」 を開催、講師に広瀬隆氏が登壇した。
岩上安身によるインタビュー 第114回 ゲスト 南相馬市・桜井市長 2011.4.19

2011年4月19日 現地の記者、小林富久壽氏、チェルノブイリ救援・中部のメンバーが、南相馬桜井市長、秘書課星氏にインタビューを行った。桜井市長は、南相馬の被害が甚大なことに対して、国からの義捐金は少額であるとし、自治体職員は部署によって業務が複雑化し職員に負担がかかっている。後方支援、マスコミの在り方に疑問を呈した。

























