百人百話「第五十二話」吉成洋拍さん 2012.2.3

記事公開日:2012.2.3取材地: 動画独自

特集 百人百話

「震災前より福島が好きになった」

 40歳、福島市在住。家族は妻と小学4年生の娘。みなが集まれる場所を目指したバーを経営。ライフラインが止まるなか、津浪の映像を目にし、恐怖を覚えた。被災者向けの炊き出しで、飲食業に携わる自分を再認識した。避難を勧めた娘に、避難しない友達は死ぬの?自分が吹奏楽部に入らなかったら、あのパートは誰が吹くの?と問われ、娘のコミュニティを壊せないと転校は取りやめた。福島に残ると決めたからには、福島を夢のあるあこがれの町にするよう頑張りたい。


百人百話「第四十五話」橘柳子さん 2012.2.2

記事公開日:2012.2.2取材地: 動画独自

特集 百人百話

「私は2度、棄民にされた」

 1939年満州生まれ。3.11は音と煙に足が震えた。道は陥没して大混乱。塀は崩れ、水道管は露わに。浪江に向かったが橋は通行止め。かつての引き揚げを思い出した。テレビは嘘だと思いながらボーッと見ていた。福島の電力を消費している東京の人たちとは悲しみを共有できなかった。変革は100年かかる。ドイツもイタリアも反原発宣言をしたのに、日本はなぜ? 国策で二度「棄民」とされた。最初は戦争、二度目は3.11。正確な情報を知らされないまま、捨て置かれた。


『心臓に穴のあいた我が子~放射線の影響か否か、苦悩する父~』 鈴木則雄氏が岩上安身によるインタビュー 第186回で本音を語る 2012.2.1

記事公開日:2012.2.1取材地: テキスト動画独自

 2012年2月1日(水)、「IWJ検証レポート」シリーズの第二弾となる 『心臓に穴のあいた我が子 ~放射線の影響か否か、苦悩する父~』の中で、自身の体験を語っていただいた鈴木則雄氏に、放送の翌日である2月1日、再度インタビューを行った。

 鈴木氏に最初に取材を行った日=検証レポートの撮影日である11月16日から、二ヶ月以上が過ぎた。


百人百話「第四十二話・第四十三話」木幡仁さん、木幡ますみさん 2012.2.1

記事公開日:2012.2.1取材地: 動画独自

特集 百人百話

「もう大熊町には住めない」

 郡山市出身。56歳。家族は夫の仁さんと子ども3人。事故後、情報は原発で働く友人から得ていた。もう戻れない、構内はぐちゃぐちゃ、放射線が出ていると聞かされた。原発で働く息子をもつ母親は、戦争に取られたようなものと歎いていた。会津若松の図書館でネットを閲覧し、放射線量を調べ、新聞にして周囲に伝えた。今後何十年も帰れないなら大熊町のことは思い切るべき。一時帰宅のたびに線量が高くなる現実を前に、中間貯蔵施設に賛成の要望書を国に提出した。


百人百話「第四十二話・第四十三話」木幡仁さん、木幡ますみさん 2012.2.1

記事公開日:2012.2.1取材地: 動画独自

特集 百人百話

「原子力発電所というのは、この世から抹殺すべき」

 大熊町生まれ。東北大学に進学後、実家に戻り、最近まで町会議員を勤めていた。事故後、避難所で過ごすうちに、持病の腎臓病が悪化し、妻の腎臓を移植する手術を受けた。町長は脱原発を標榜するつもりはないと言ったので、原発立地の町としてこのままで良いのか、また、無投票選挙も良くないと考え、町長選に打って出た。破れはしたが、4割の支持を得たことには意味があると思っている。術後体調は良いので、今後も必要があれば再度町長選に挑戦する気持ちもある。


マーチン・トンデル氏放射能災害対応特別講演とシンポジウム in FUKUSHIMA 2012.1.31

記事公開日:2012.1.31取材地: 動画

 2012年1月31日(火)に行われた、マーチン・トンデル氏放射能災害対応特別講演とシンポジウム in FUKUSHIMAの模様。


百人百話「第五十四話」安竜昌弘さん 2012.1.30

記事公開日:2012.1.30取材地: 動画独自

特集 百人百話

「綺麗ごとじゃなくて、本音を伝えていきたい」

 いわき市で妻と両親と暮らす。3人の娘は東京在住。月2回の「日々の新聞」を発行。地域紙は本来、地元の丹念な取材により地域の本質を伝えるものだと思う。人の心にズカズカ入っていく以上、自分を晒すしかない。事故後、涙もろくなった。被災者に寄り添うとは、そういうことだと実感した。行政が結論を先送りすることで、蛇の生殺し状態になっている。福島の人たちはもう、覚悟も決断もできている。新しい人生に向かって歩き出したい。


安全・安心フォーラム ~除染の推進に向けて~ 2012.1.29

記事公開日:2012.1.29取材地: 動画

 2012年1月29日(日)、郡山市で行われた、「安全・安心フォーラム ~除染の推進に向けて~」の模様。

 実際の除染の状況や、食の安全確保の実際、チェルノブイリ原発事故との比較などについて、詳しく説明がされた。


鎌仲ひとみ氏講演『原発と子どもの未来を考える』 2012.1.29

記事公開日:2012.1.29取材地: 動画

 2012年1月29日(日)、 「第34回郡山・田村 母と女性教職員の会」開会集会として開かれた、鎌仲ひとみ氏講演『原発と子どもの未来を考える』の模様。

 集会では福島の子ども達も登壇し、震災当日の状況と現在の心境について語った。子ども達の中には、「僕が作った野菜は大人だけが食べた。私は福島産以外のものを食べた。見た目は何も変わらないのに…。」とコメントをする子の姿もあった。


食品に関するリスクコミュニケーション~食品中の放射性物質対策に関する説明会~ 2012.1.24

記事公開日:2012.1.24取材地: 動画

 2012年1月24日(火)、福島県のコラッセふくしまで行われた、「食品に関するリスクコミュニケーション~食品中の放射性物質対策に関する説明会~」の模様。


百人百話「第五十話」佐久間理江さん 2012.1.22

記事公開日:2012.1.22取材地: 動画独自

「『避難』を選ばなかったわが家」

 福島市渡利在住 34歳、子ども 3人。養護学校教師。会津に単身赴任中の夫とは福島大学で同窓、ともに理科を専攻。3号機の爆発を見たときは、この先どうなるのかと不安だったが、政府の「直ちに健康に影響はない」を前提に、避難するリスクより留まる方が良いと判断。アトピー治療の経験から、自己免疫力が重要だと思っている。恐怖や不安を抱かず、まずは安全な食べ物を子どもたちに与え、健康を人任せにしないことが大切だと考えている。


百人百話「第五十七話」須藤久孝さん 2012.1.21

記事公開日:2012.1.21取材地: 動画独自

特集 百人百話

「『福島産』と名がついたものは全部敬遠される」

 会津若松市在住。65歳。子ども3人は独立し、いまは母と妻との3人暮らし。米専門の農家。会津は四方を山に囲まれたすり鉢型の盆地で、会津米は福島を代表する米。農家は売ってくれる農協に任せるという姿勢に傾きがちだが、努力せず自主性を失っていけばダメになる。事故直後、行政も農協も作ってはいけないとは言わず、ただ大変だ、だけ。結果、汚染されたものが出回ってしまった。線量は農作物すべてを計るべき。行政や農協に頼りすぎのありかたはマイナスだ。


百人百話「第五十一話」タエバさん(仮名) 2012.1.21

記事公開日:2012.1.21取材地: 動画独自

特集 百人百話

「今の福島県立医大病院にはついていけない」

 医師。事故当時は、福島県立医大病院で働いていた。地震で散乱した器具を片付ける一方、入院患者を落ち着かせるよう努めた。津波によるけが人も搬送されてきた。傷の処置など病院内はまるで戦場のようだった、職員は不休状態で治療、対応にあたった。「ただちに健康に影響はない」という枝野発言の影響を最も受けたのは身体弱者。事故以降、適切な処置を施さなかった市長、知事の責任、何より正確な情報をもたらさなかったことが最大の誤りだと思う。


小出裕章氏 講演会 ~かんがえよう、わたしたちと子どものあした。~ 2012.1.21

記事公開日:2012.1.21取材地: 動画

 2012年1月21日(土)、福島市子どもの夢を育む施設 「こむこむ」わいわいホールにて開かれた、小出裕章氏 講演会 ~かんがえよう、わたしたちと子どものあした。~の模様。


脱原発ドラムデモ in 南相馬 2012.1.14

記事公開日:2012.1.14取材地: 動画

 2012年1月14日(土)、被災地である南相馬より反原発デモが行われた。南相馬市文化センターを出発し、JR原ノ町駅までのルートを往復。デモ後には懇親会も開かれた。

主催は、核-原子力事故救援NGO HCR(Heart Care Rescue)、共催はフクシマの命と未来を放射能から守る会。


百人百話「第五十八話」西片嘉奈子さん 2012.1.12

記事公開日:2012.1.12取材地: 動画独自

特集 百人百話

「一番の被害者は子どもたち」

 福島市出身。34歳、2人の子をもつシングルマザー。いまは米沢市に移住。子どもも成長するにつれ、子どもなりのコミュニティを作っていく。親の思いで一方的に移住を進めるわけにはいかないが、将来病気になる可能性を示した上で、選択させる必要があると思う。手続きの際、福島に生活の実態がないなら児童福祉手当は打ち切る、市営住宅も退去するように、あなたは好きで出て行くのでしょ、と市の担当者に言われた。けれどいつか戻るかもしれないと思うと、住民票を移す決断もできない。ただ何事も、人のせいにはせず、自分で決断することが必要だと思う。


岩上安身によるインタビュー 第181回 ゲスト 『ぬまゆさん』こと沼内恵美子さん 2012.1.10

記事公開日:2012.1.10取材地: 動画独自

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 2012年1月7日(土)、岩上安身は、「ぬまゆさん」こと福島県南相馬市在住の沼内恵美子さんへインタビューを行った。

 沼内さんは日々の体調悪化について自身のblogに掲載されている方だ。


百人百話「第三十六話」渡辺杏里さん 2012.1.8

記事公開日:2012.1.8取材地: 動画独自

特集 百人百話

「死ぬんじゃないかなという恐怖」

 郡山市在住 30歳。仕事は情報誌の広告営業。実家のある本宮市は、冠婚葬祭など横の繋がりを大切にする土地柄。事故当時は海から離れていたので、津波の映像は他人事のように感じたが、水素爆発を見て心配になった。家族も友人も福島に留まっているので、ひとり離れるのは裏切り行為のような気もする。結婚したいとも、子どもがほしいとも、今は思わないので、放射能のことは気にせず、このまま福島で仕事を続けていこうと思っている。


百人百話「第三十五話」裏澤利夫さん 2012.1.7

記事公開日:2012.1.7取材地: 動画独自

特集 百人百話

「痛みを感じなければ、すべて他人ごと」

 78歳。福島市渡利地区に、妻、次男夫婦、孫2人と暮らす。ベットタウンだった渡利地区は、ドイツのテレビ局が取材に来るほどの高濃度放射線地区になってしまった。健康を考えれば避難すべきだが、働き盛りの息子世代にとっては、即失業につながり、事は簡単ではない。今回の原発事故を第3の敗戦と言う人がいるが、その通りだと思う。国は国民を守らない。責任を誰もとろうとしない不条理の世の中に苛立ちを覚える。福島も沖縄も日本の中の植民地だと感じる。


百人百話「第四十六話」大橋さらさん 2012.1.6

記事公開日:2012.1.6取材地: 動画独自

特集 百人百話

「『活動家』は自分の大切なものを守りたい人」

 二本松市在住。40歳。夫と中学・高校の娘2人。家族仲は良く、いつもこたつを囲んでの団らん。避難中も寄り添っていた。迷い悩んだ末に屋内退避を選んだが、自分の危機感は甘いものだったと思う。講演会で内部被曝の深刻さを初めて知り、衝撃を受けた。事故前と変わらない生活を送る娘たちを見るにつけ、悲しくて仕方なかった。いまは一日も早く、子どもたちも納得のいく形で移住させたい。そして、不安を抱えているお母さんたちの力になりたいと思っている。