【IWJ号外】スコット・リッター氏によるキッシンジャー追悼文「ヘンリー・キッシンジャー 世界を救った戦争犯罪人」!「キッシンジャーがいなければ、核戦争が起こっていた可能性は非常に高い」! 2023.12.2

記事公開日:2023.12.2 テキスト
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(文・IWJ編集部)

 IWJ代表の岩上安身です。

 元米国務長官であり、米外交の最長老でもあったヘンリー・キッシンジャー氏が、11月29日に100歳で死去しました。

 キッシンジャー氏が「現役」の政治家であったのは、およそ半世紀前に遡ります。

 しかし、キッシンジャー氏は、5月に100歳を迎えた後も、7月には中国を訪問し、習近平国家主席、王毅共産党政治局員、李尚福国防相らと会談するなど、精力的に動き回っていました。バイデン政権のブリンケン国務長官らが完全に行き詰まらせてしまった米中関係をほぐす役割を果たそうとした、とされています。

 中国側も、1972年の米中国交正常化へのキッシンジャー氏の功績を鑑みて、キッシンジャー氏を手厚くもてなしました。

 ロシアのプーチン大統領も、キッシンジャー氏の死去に際して、「1970年代の米ソ間の激しい対立にもかかわらず、世界がより安全な場所になったのは、米国の政治家(※キッシンジャー)のおかげだ」と、最上級のリスペクトを込めて追悼の辞を述べています。

 中国外交部によると、「習近平国家主席は、自らの名で、ヘンリー・キッシンジャー博士の死に対し深い哀悼の意を表し、そのご家族に心からの哀悼の意」を表しました。

習首席「ヘンリー・キッシンジャー博士は世界的に有名な戦略家であり、中国人民の旧友であり良き友人である。

 半世紀前、彼は卓越した戦略的ビジョンで中米関係正常化に歴史的な貢献を果たし、それは両国に利益をもたらしただけでなく、世界を変えた。

 彼は中米関係の発展を促進し、両国民の友好関係を強化することを生涯の目標と考えていた。キッシンジャーの名前は、中米関係と永遠に結びつくことになるだろう。キッシンジャー博士は、中国国民の記憶に残り、懐かしまれるだろう。

 中国は米国と協力して中米両国民の友好事業を継承し、中米関係の健全で安定した発展を促進し、両国人民に利益をもたらし、世界の平和と発展に相応の貢献をしたいと考えている」。

 クレムリンのウェブサイトには、プーチン大統領による、心のこもった追悼のメッセージが掲げられています。

 「傑出した外交官、賢明で先見性のある政治家であり、何十年もの間、世界中で尊敬に値する人物の一人が亡くなった。ヘンリー・キッシンジャーの名は、当時の国際的緊張を和らげ、世界の安全保障の強化に貢献した重要な米ソ協定を達成する上で極めて重要な役割を果たした、米国の現実主義的外交政策と密接に結びついている。

 私は、この深遠で並外れた人物と、直接会って話をする機会を何度も得ました。彼との温かい思い出はこれからも大切にしたいと思います」。

 最上級の評価であり、しかもキッシンジャー氏の存在は「米国の現実主義的外交政策」と密接に結びついている、というくだりは、米国社会と、ユダヤ人社会の両方に向けて、福音派のような、過激なイデアリズム(理念主義)から距離をおき、「現実主義的」リアリストであれと、呼びかけているように思われます。

 30日付『スプートニク』は、「キッシンジャー氏は冷戦後、10回を超すモスクワ訪問を行い、その都度プーチン氏と会談してきた」、プーチン氏は、大統領になる以前から、キッシンジャー氏と交流があった、と報じています。

 キッシンジャー氏のように、リアリストの立場に立ち、洋の東西と話し合いのできる外交官が、今の世界にどれほどいるのかと考えると、心細い感じがします。

 米国外交史上の巨人であるキッシンジャー氏の死に際して、さまざまな評価が出ています。

 キッシンジャー氏の業績を高く評価する声がある一方、「偽善者」であり、「戦争犯罪者」だと批判する声もあります。例えば、『ローリング・ストーン』誌は、11月29日、「アメリカの支配層に愛された戦犯ヘンリー・キッシンジャー、ついに死去」と題する記事を出し、「ニクソンの外交政策立案者の悪名は、史上最悪の大量殺人者の悪名と永遠に並んでいる。彼を称える国には、さらなる恥辱が加わる」と書き添え、「悪名高い戦犯」と記しました。

 今後、さらにキッシンジャー氏の業績をめぐる議論は白熱しそうですが、IWJは、元国連大量破壊兵器査察官であるスコット・リッター氏による追悼文に注目しました。これまでIWJでもご紹介してきたように、リッター氏は、ウクライナ紛争でも、ガザにおけるイスラエルの民族浄化作戦についても、優れた分析を提供しています。

 リッター氏は、自身の『サブスタック』アカウント、『スコット・リッター・エクストラ』で、「ヘンリー・キッシンジャー 世界を救った戦争犯罪人」と題して、キッシンジャー氏との個人的なエピソードを中心に、キッシンジャー氏が核戦争による世界の消滅から人類を救うことに貢献した、と論じています。同時に彼を「戦争犯罪人」と断罪することも忘れていません。巨星には明と暗、両面がある、ということなのでしょう。

 以下に全文仮訳をご紹介します。どうぞ御覧ください。

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 「米国の外交政策史上において、最も影響力のある実践者の一人として多くの人に認められているヘンリー・キッシンジャーが100歳で死去した。

 キッシンジャー元国家安全保障顧問兼国務長官については、これから数日間、多くのことが書かれるだろう。この人物とその生涯をどう評価するかは、他の人々の判断に委ねたい。私は、キッシンジャー国務長官との短い交流の時間に焦点を当て、それが私の人生と仕事にどのような影響を与えたかを考えてみたい。

 私が、ヘンリー・キッシンジャー(※の名前)に初めて接したのは、ハワイに住んでいた子どもの頃だった。

 父は米空軍のキャリア将校で、1970年代初頭には、太平洋空軍司令部に配属され、さまざまな兵站関連の仕事に従事した。その中には、南ベトナムの防衛責任を米軍から南ベトナム軍に移そうとするニクソン政権の「ベトナム化」計画の一環として、南ベトナム空軍への米軍装備の移転を促進する支援も含まれていた。そのために、父は何度か南ベトナムに赴いた。

 父が経験したことの中で、際立ったことが2つある。

 ひとつは、米軍高官の嘘に対する、父の嫌悪感である。米軍高官らは、南ベトナムに48時間たらずしか滞在していないにもかかわらず、そのほとんどの時間をバーやナイトクラブで過ごし、進展があったという輝かしい(※嘘の)報告書を発表するのであった。

 父は1965年から66年にかけて、第10航空コマンド飛行隊「スコシ・タイガース」の一員としてベトナムに派遣され、F-5戦闘機をベトナムに持ち込み、戦闘プラットフォームとしてテストし、F-5戦闘機を南ベトナム空軍に移行を担当した。彼は、そのような複雑さに慣れていない(※南ベトナム軍の)軍事文化に、近代兵器システムを引き渡すことの現実と難しさを少なからず知っていた。

 米空軍は、南ベトナムでF-5を、空対空と空対地の両面で使用することができたが、南ベトナム人は、F-5の機体固有の能力を正しく使用する方法をまったく理解していなかった。それは、父が初めて南ベトナムを離れた1966年当時もそうだったし、父が『ベトナム化』の実務に携わった1973年から74年にかけてもそうだった。

 しかし、ワシントンDC、とりわけ国家安全保障顧問であったヘンリー・キッシンジャーから送られてくる、物事を指示する数多くの電報について話すときの父の怒りを、私は覚えている。「キッシンジャーが送る」と電報には書かれていた。「ヘンリー・キッシンジャーって、何様なんだ?」と父はよく言っていた。「それで、いったいなぜ、こいつのいうことを我々は聞くんだ? 奴は我々の指揮系統にはいないのに」。

 その後、1975年2月から4月にかけて、サイゴンに進攻してきた北ベトナム軍の前に南ベトナム軍が崩壊すると、キッシンジャーが唱えた「ベトナム化」計画の絶対的な失敗が明白になった。

 その夏、私の家族は、サイゴン陥落の際に命からがら逃げてきた南ベトナム難民の家族を受け入れた。私たちは良いホスト・ファミリーだったが、父は、彼らを裏切った組織の一員であったことを恥じて、その家族の目をほとんど見ることができなかった。

 長年にわたって、私はヘンリー・キッシンジャーと彼の仕事について多くの本を読んだ。大学4年生のとき、私はシーモア・ハーシュの『権力の代償(The Price of Power)』をむさぼるように読んだ。この本は、ニクソン政権による国家安全保障と外交政策の立案と実施にまつわる暗い現実を、破滅的なまでに暴露したものだった。

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