2021年10月19日、東京都杉並区のJR阿佐ヶ谷駅前で、立憲民主党の吉田晴美候補が第一声をあげた。
れいわ新選組の山本太郎代表が、一度は野党統一候補として立候補を表明しながら直後に辞退し、一躍注目を浴びた東京8区だが、杉並区で6年間活動を続けてきた新人の吉田氏が、立憲民主党、日本共産党、社民党、れいわ新選組の4党の統一候補となった。
「このスタートラインに立たせていただいたのは、この杉並区で6年間私を支えていただいた皆さま、市民の皆さまとともに活動してきたこと、そして、野党統一のために苦しいご決断とご苦悩を乗り越えられて出馬断念をされた日本共産党の上保まさたけさん、れいわ新選組の山本太郎代表、辻村ちひろさんの思いに心からの敬意を表させてください。
それぞれの候補に託したかった皆さまの思いがあったと思います。今、この大きな波を乗り越えてこのスタートラインに立たせていただく大きな責任を感じるとともに、絶対に負けられない戦いになったと思っています」
このように、吉田候補は、野党統一候補として、東京8区から出馬する思いと責任を語った。
吉田候補の政策の訴えは非常に具体的なものだ。街宣や電話相談、生活相談、食材配布、業界へのアンケート調査など、多くの活動の中で出会った多く市民の声を紹介しながら、次のように訴えた。
「高円寺では、20代の女性にお話をうかがいました。これからアルバイトに行くというところで、ちらっと私を見たときのその目が何かほっとけないと思いました。声をかけたら、3つのアルバイトをかけもちしている、とにかく、自分で頑張らなきゃ、来月の家賃が払えない。そう話している間に、その方は涙を見せました。誰かに助けてもらえるなんて思っていなかったと。
西武新宿線井荻駅で聞いたお声。車椅子に乗って改札に入って行かれる女性の方、50代です。もうすぐ還暦になると仰っていました。これから急いで帰って80代の母の介護と90代の父の介護をする。生きていくことをあきらめたくなることがあるんだよと話してくれました。本当に介護が必要なのは、その方ではないかと思ったんです。
その方がこう言われたと仰っていました。『あなたは働けるだけマシなんだから、働いてご両親の介護をしなさい』と。こんな日本違うと思うな、共に支える。苦しい時に苦しいって言える。そしてお互いに助け合おうよって言える日本に変えたいんです」
「成長と分配、どっちが先かという議論がありました。私は明確に申し上げます。分配が先です。なぜでしょうか、今世界的なパンデミックで、未曽有の災害を私たちは経験し心身ともに疲れ傷を抱えている状態ではないでしょうか。まずはその疲れを癒すことが必要だと思うんです」
「アベノミクスから8年、あの当時から株価は倍になりました。富裕層の方の資産は倍になりましたが、私たち生活者の資産は倍になっていません。豊かな方々が潤ったそのお零れが生活者に来るというようなトリクルダウン式の景気回復ではなく、消費税5%にすることで、私たちの生活の応援を行い、私たち個人消費から景気回復を目指してゆく。
同時に必要なのが、社会保障の安心です。年金の安心、医療介護の安心、教育の平等、こういった安心ができてこそ私たちは消費をしていくのだと思います。トリクルダウンの景気回復ではなくボトムアップの景気回復を目指します」
続いて登壇した立憲民主党の枝野幸男代表は、今の政治を変えるために活動されてきた皆さんに、ご心配をおかけし、その皆さんにお詫びと御礼を申し上げるために、東京での第一声は東京8区にしたと語り、「官邸の危機管理能力」という切り口で、政権批判を行った。
枝野代表が2011年1月に官房長官に就任したとき、自民党政権から引き継ぎのあった注意事項の中に、国家の危機管理体制があったという。
総理と官房長官が国家の危機管理の司令塔になるので、総理が東京を空けるときには、官房長官が、官房長官が東京を空けるときには、総理が東京にいるようにしてください、という引継ぎだったとのこと。東日本大震災の前だったという。
19日の朝10時に、北朝鮮から、2発の弾道ミサイルが日本海に向けて発射された。
このとき、岸田文雄総理は福島で第一声を行い、松野博一官房長官は、選挙区の千葉にいた。
これを踏まえて枝野代表は、こう批判した。
「ミサイルが飛んだとき、危機管理を担うべき2人が2人とも東京にいない。いつから、長年積み重ねられてきた慣習を壊したんですか。その壊した慣習、安倍さんは無茶苦茶だからなあ、安倍さんのときからです。結局悪い慣習は引継ぎ、何も変わらない、危機管理に対する意識が足りないということを露呈したんじゃないでしょうか。
加えて申し上げると、北朝鮮からミサイルが飛んだら、安全保障の会議を招集することになっているんですよ。一刻も早く東京へ戻るべきでしょう。福島駅で、ミサイルについて記者の皆さんに答えた後、東北新幹線に乗って総理は北に向かったそうです。仙台まで行って、仙台を遊説してからのんびりと東京に向かわれたそうです。どういう危機感の意識なんでしょうか。
この危機意識の欠如が、コロナ対策の中でも、多くの皆さんの命を、暮らしを脅かしてきたんじゃないでしょうか」
まさに、安倍晋三政権から、国民などそっちのけで、自分ファースト、自民党ファースト、利権ファーストが、当たり前になってきた構造が、岸田政権にも引き継がれていることが明確になった。