「ウクライナは、最近『ある部分』が切られて、国土は若干小さくなりました」──。
2014年6月7日、東京都世田谷区の北沢タウンホールで、リベラル日本研究会による、ウクライナ出身のピスクノーワ・オクサーナ氏の講演会「ウクライナのお話をしましょう」が開催された。日本の語学学校でロシア語講師をしているピスクノーワ氏は、「この半年で私たちの世界は大きく変わった。自分の気持ちもいろいろ変わってきた」と語り、日本では話題になることが少ないウクライナの地理、歴史、文化を紹介し、最近の政治情勢の混乱にも言及した。
クリミア半島はリゾート地、今年は観光客が訪れるか心配
ピスクノーワ・オクサーナ氏は、ウクライナの地理から話を始めた。「少し古いデータかもしれないが、人口は4800万くらい。日本の半分もいない。最近『ある部分』が切られて、国土は若干小さくなりましたが、ヨーロッパでは1番広い。東側には山らしい山がなく、車で走っても真っ平らで、どこまでも広い土地が広がっている」。
「それに対して、西の方はガルバディア山脈があって、スキーもできる。南には、黒海とアゾフ海の2つの海がある。今、問題になっているクリミア半島は昔から有名なリゾート地で、ウクライナ人に限らず、旧ソ連の国々から観光客が来るところだった。しかし、今年はどうなるのか、心配もある」。
ウクライナ語は禁じられた言葉だった
ウクライナ人の民族性について、ピスクノーワ氏は、まず言語について語った。「言語は、民族のアイデンティティにとって大事なもの。23年前まで、つまりソ連時代には、小・中・高校でウクライナ語を習わなくていい、という制度があった。『それぞれの共和国で、民族の言葉をゼロから習うのは大変だから』という理由だったらしく、実際、誰もが面倒くさがった」。
「23年前のソ連崩壊でウクライナは独立し、すべての公式書類はウクライナ語になり、学校ではウクライナ語を習うことになった。ただ、ジェネレーション・ギャップがあって、若い人は普通にウクライナ語ができるようになったが、50代、60代の人たちには『なぜ、ウクライナ語で公式書類を書かなければいけないのか』という反発があったようである」。
ピスクノーワ氏は「言葉としては、長い歴史の中でウクライナ語は、どちらかというと禁止される言語であった。ソ連時代だけでなく帝政ロシア時代を含めて、『しゃべってはいけない』ということがあった。詩人のタラス・シェフチェンコのように、ウクライナ語を話すだけで捕まったり、流刑になったりするような時代があった。その影響なのか、ウクライナ語は昔のまま残った、というところがある」と語った。
方言については、「ウクライナ語の中にも方言はたくさんあって、特に、西の山がある地域は、それぞれの村が孤立しているので独自の言語ができたりする。また、時代によって、ポーランドに入ったり、ルーマニアに入ったりすることもあったので、その影響もある」と説明した。
色と模様に意味があるウクライナのお守り
報道だけでは分からない・知らされてないウクライナの歴史と現実。あまりに僕らは無知なのだ。