『絶望の裁判所』(講談社現代新書)で日本の司法世界の実態を描き出した元裁判官・瀬木比呂志氏が2月27日、記者会見を行った。瀬木氏は同書を「司法という狭い世界ではなく、日本社会全体を批判する」ために書いたという。日本の社会同様に、裁判所も形式主義にとらわれており、きれいな表面と見えない裏というダブル・スタンダードが存在すると瀬木氏は主張する。
(取材:IWJ・松井信篤、記事:IWJ・ゆさこうこ)
『絶望の裁判所』(講談社現代新書)で日本の司法世界の実態を描き出した元裁判官・瀬木比呂志氏が2月27日、記者会見を行った。瀬木氏は同書を「司法という狭い世界ではなく、日本社会全体を批判する」ために書いたという。日本の社会同様に、裁判所も形式主義にとらわれており、きれいな表面と見えない裏というダブル・スタンダードが存在すると瀬木氏は主張する。
■ハイライト
現在、日本の裁判官は約3000名。エリート集団だが、人数が少ない割に非行が多いと瀬木氏は指摘する。それを生み出す裁判官の精神病理が『絶望の裁判所』のなかに書かれている。非行は、裁判官たちの個人的な問題だけから生み出されるのではなく、「収容所的な組織がもたらす悪影響」があると瀬木氏は糾弾した。「日本の裁判官は、見えないケージ、収容所のなかに閉じ込められたようなもので、旧ソ連の全体主義体制すら思い起こさせる」。
また、それは司法の世界に限られたものではない。「日本の社会は民主社会ですが、その構成員にとっては息苦しい部分がある。その原因のひとつは、社会の二重構造、二重規範にあるのではないか。法などの明確な規範の裏に、もうひとつ、見えない規範がある。人々はその見えない規範によって縛られている」と瀬木氏は指摘した。
「『絶望の裁判所』は司法という狭い世界ではなく、日本社会全体を批判するものだ。司法の世界が、法律家のエリートの閉ざされた空間であるために、問題が集中して見えやすくなっているが、この本に書いたことは、日本社会全体に言えることだ」。
瀬木氏は、日本の裁判所が「市民の支配のための装置」であると主張する。
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