「政府は原発事故をなかったことにしたい」「大本営発表とまったく変わらない」――。
発災から5年が経ち、すっかり人々の記憶から薄れてしまったようにみえる福島第一原発事故。2016年9月8日、「『チェルノブイリ』の教訓は本当に活かされたのか?」と題する講演会が開かれ、毎日新聞特別報道グループの日野行介(ひの こうすけ)氏と、チェルノブイリ法に詳しいロシア研究者の尾松亮(おまつ りょう)氏が、講演と対談を行った。いまだに解決されない原発事故被災者の健康被害や、復興施策の問題点などを語り合った。
「日本の行政は、実態を踏まえて政策をつくることはしない。まず、結論があって、それに見合う根拠を探し出す。福島の原発事故の際は、チェルノブイリ原発事故の知見から、自分たち(政府)に都合のいいところだけをピックアップして喧伝した。大本営発表とまったく変わらない」──。3.11以降、原発事故による被曝問題を追ってきた毎日新聞記者の日野氏は、こう断じた。
チェルノブイリ法の研究者として、日本の「原発事故子ども・被災者支援法」の法整備に関わった尾松氏は、「この法律はまったく形骸化されてしまった」と嘆く。そして、忸怩たる思いを滲ませながら、「チェルノブイリ原発事故から25年が経っていたにもかかわらず、福島第一原発事故にその教訓を活かせなかったのは、なぜなのか」と問いかけ、その原因を探っていった。
日野氏は、「教訓を活かせなかった背景には、官僚の宿痾(しゅくあ=長年続く完治しない病)がある」とし、取材から知り得た彼らの手法を赤裸々に語った。
「原発事故が自然災害と違うのは、災害範囲が広いこと、マイナスの影響を与える期間が長いこと、加害者がいることだ。しかし、この三点とも不透明で確定できないのが、原発事故の特徴でもある。だから、政府は(事故処理が)長くかかることを、なるべく知られたくない。原発事故をなかったことにしたいのだ」
福島の原発事故に対して政府がやってきたのは、「(瑕疵を)見えなくする」「(支援は)やったことにする」「(施策を)押しつける」ことであり、日野氏はこれを「棄民政策だ」と糾弾した。
さらに、それを裏付けるのが、年20ミリシーベルト(以下、mSv)と8000ベクレル/キロ(以下、Bq/kg)という基準にあると指摘し、以下のように述べた。
「20mSvは緊急時の基準。(当時の)民主党の野田佳彦元首相が原発事故の収束宣言(2012年12月16日)をしたことで、それ以降は緊急時でなくなっているにもかかわらず、20mSvの基準は据え置かれている。さらにひどいことは、被曝状況をまったく定義していない点だ。なぜなら、それを定義すると、被害が福島県だけでは収まりきらないからだ」
環境省は、事故後、8000Bq/kgまでの放射性物質を含む焼却灰を一般ごみの灰と同じ処分場に埋め立ててよいことにし、がれき広域処理の基準とした。しかし、原子炉等規制法では100Bq/kgを越えれば放射性物質としての管理が必要だ。さらに環境省は、放射性セシウム濃度が1キロ当たり8000ベクレル以下であれば、公共事業の盛り土などに限定して再利用する基本方針を正式決定までしている。
なぜ、国はそんなことをするのか──。
「この基準以下については、国は補償する必要がなくなり、住宅支援も打ち切り、(被害を)なかったことにできる」と日野氏は指摘し、「政府の言う『帰還政策』とは、避難を打ち切って、形ある収束に見せかけるための『棄民政策』なのだ」と喝破した。
最後に日野氏は、チェルノブイリ原発事故の秘密調査をやった政府側の中心人物は、経産省の菅原郁郎(すがわら いくろう)氏だと暴露。「彼は、民主党政権時は細野豪志氏(当時の環境大臣)に寄り添い、自民党政権になると甘利明氏(元内閣府特命担当大臣)に重用され、事務次官まで登りつめた。日本の官僚機構の宿痾(しゅくあ)だ」とし、「これらが意味するのは、民主主義そのものが破壊されていることであり、ゆえに、これからも原発事故は起こり得る」と警鐘を鳴らした。