「なぜ、こんな遠いところに、沖縄への支持者がいるかと質問していましたね。私たちは、ベトナム戦争のことを覚えているからです」
バークレー市・下部組織「平和と正義の委員会」委員長であるジョージ・リップマン氏は、島ぐるみ会議訪米団メンバーの学生による疑問に対して、こう答えました。
訪米2日目、サンフランシスコ市議との会談後の午後16時、現地時間11月16日、バークレー市内市民センターにおいて開催された交流会でのことです。
昨年2015年9月15日、同市において全会一致で採択された「沖縄の人々への支援決議」に対し、「自分の住んでいる場所とは違う場所で支持されていることに驚きました。非常に勉強になることで、新たな連帯がどうすれば可能になるか考えたい」との謝辞を述べた学生メンバーに対し、ジョージ・リップマン氏は冒頭のように述べたあと、このように続けました。
「当時米国はベトナムに大きな被害を及ぼし、それは沖縄にまでも及びました。沖縄の基地、沖縄の米兵が女性に対し被害を及ぼしたのです」
連載第3回目の今日は、訪米2日目の続編として、バークレー市議会・「平和と正義の委員会」との交流の模様をお送りします。
訪米団メンバーの声を出来るだけ多く紹介しながら、沖縄への支援決議案を提出したリップマン委員長に大きな、そして初めての「政治的認識」を影響を与えたというベトナム戦争、参加者の沖縄出身日系人男性が語る基地問題についても取り上げます。
- タイトル 島ぐるみ会議訪米取材(3) 〜滞在2日目:バークレー市議会・平和と正義の委員会との交流会
- 日時 2015年11月16日(月)現地時間 16:00〜
- 場所 バークレー市内(米カリフォルニア州)
「平和と正義の委員会」委員長 ジョージ・リップマン氏より挨拶
▲クリス・ワーシントン市議(左)・ダイアン・ボーン委員(左)・ジョージ・リップマン委員長(右)
忙しい1日でした。
ホテルからサンフランシスコ市シティホールまで歩き、会談を終えてから訪米団メンバーの一部はさらに三手に分かれ、ひとつのグループはバーバラ・リーカリフォルニア州選出連邦下院議員、もうひとつのグループはダイアン・ファインシュタイン同州選出連邦上院議員の事務所に向かいました。
残ったもうひとつのグループは、午後16時、地下鉄バークレー駅より徒歩で約10分ほどの、市民センター(Martin Luther King Jr. Civic Center Building)に直行、交流会に臨みました。交流会には、島ぐるみ会議メンバーと、バークレー市議・「平和と正義の委員会」よりジョージ・リップマン委員長、ダイアン・ボーン委員、バークレー市議員のクリス・ワーシントン氏(Kriss Worthington)他現地市民ら、合計約40名が参加しました。
まず、冒頭でバークレー市下部組織「平和と正義の委員会」より、ジョージ・リップマン委員長が挨拶しました。隣のダイアン・ボーン氏を紹介しながら、リップマン委員長はバークレー市による「沖縄の人々への支援決議」に触れ、「ダイアンさんの指導があり、決議案を出すことができた。言うまでもなく、私たちは辺野古基地建設に反対してます」と述べ、人と人とのコミュニケーションやつながりが有意義なものとなると述べながら、「バークレー市と同じような沖縄への支援決議を、米国の他の都市で出せるようにしたい」と話しました。
島ぐるみ会議各メンバー~「沖縄支援決議に勇気づけられた」
▲森山憲一氏(元久志区行政委員長)氏
リップマン委員長の挨拶を受け、1人ずつコメントをした島ぐるみ会議メンバー全員が、バークレー市議会の「沖縄の人々への支援決議」に言及しました。
トップバッターの森山憲一氏(元久志区行政委員長)は、「バークレーの決議には非常に勇気づけられた」と発言し、日本政府と沖縄県において翁長知事による基地建設容認取り消しを巡る法廷闘争中にもかかわらず、建設工事が中断することなく強行されている現状に触れ、「今度はバークレーから日本政府を動かしてほしい」と述べました。
続いて、新垣博正氏(あらかきひろまさ/中城村議)が、「決議へ感謝。全米の各地議会等で決議されること望みます」と同様の決議が他都市に広がることに対する期待を語ると、
宮城恵美子氏(那覇市議)も、「大変勇気づけられました。かつて、沖縄は誇り高い独自の文化を持つ琉球王国でしたが、今は(日本の)本土のみならず米国からも苦しめられている状態です」と発言。
1996年の初訪米にも高里鈴代氏とともに参加し、長年のロビーイング活動に熱心な一人である宮城氏は、「顔と顔を合わせた協力関係が大切」、と草の根の交流の重要性を説きながら、支援決議への謝辞を述べました。
安富信武氏 ~「新基地をつくることは、新たにその地域の人を被害を及ぼすということ」
▲安富信武氏(金武町議員)
支援決議への謝辞に留まらず、島ぐるみ会議メンバーは様々な角度から沖縄の現状を訴えます。
キャンプ・ハンセンが町内面積の60%を占める金武(きん)町から参加した安富信武氏(金武町議員)は、「近頃はオスプレイの騒音が日夜ひどい。辺野古に新基地が建設されたら何倍もの騒音被害が予測されます。新しい基地をつくるということは、新たにその地域の人に被害を及ぼすということを意味するのです」と、基地建設による周辺住民への具体的被害の様子を説明しました。
さらに、安富氏は沖縄県民の80%が辺野古新基地建設に反対しているにも関わらず、その民意が無視され、建設工事が強行されている現状に言及しながら、こう結びます。
「今まで沖縄が、基地に関して主体的になれたことはありません。(建設に関しての)意見を求められたことすらない。日米政府が勝手に決めて、押し付けてきただけです。しかし、自分たちで決めること――それが、当然の民主主義です。選挙結果で示してきたように、沖縄の気持ちは(新基地は)、もういらないということです」
沖縄県民の自己決定権が否定されている現状については、他の島ぐるみ会議メンバーも言及しました。新田宜明氏(県議員)は、バークレー市における支援決議に感謝の意を示しながら、「私たちも沖縄の地で沖縄の自己決定権、人権蹂躙の情況を打破するために議会で精一杯努力する」と述べました。
渡久地修氏(県議員)も、「まさに、辺野古基地建設問題は沖縄の問題ではなく、押し付けている日本と、米国の問題なのだと訴えていかなければならない。既に沖縄は、70年間苦しんできました。新基地が置かれれば、さらに200年苦しめというのだろうか。容認できない問題です」と力強く話しました。
こうした島ぐるみ会議メンバーの話を、参加したクリス・ワーシントン市議は、通訳を介しながら時折相槌を打ち、真剣な面持ちで聞いていました。
好感触だった上下院議員補佐官との会談~バーバラ・リー下院議員/ダイアン・ファインシュタイン上院議員
▲「バーバラ・リー下院議員を沖縄に招待したい」と話す奥平一夫氏(宮古島/県議員)
別チームに分かれて行動していた島ぐるみ会議メンバーの報告によれば、バーバラ・リー連邦下院議員とダイアン・ファインシュタイン連邦上院議員の、2人の議員事務所では、好感触が得られたようです。
今回、島ぐるみ会議メンバーが会談をしたバーバラ・リー連邦下院議員の補佐官と、ダイアン・ファインシュタイン連邦上院議員の補佐官、共に民主党の女性議員です。
アフリカ系のバーバラ・リー下院議員は、2001年9月14日、米国連邦議会がイラクへの報復戦争決議を採択したとき、420対1でただ1人反対票を投じた議員です。ユダヤ系のダイアン・ファインシュタイン上院議員は、2000年、第二次世界大戦中の日本軍支配地における人体実験や慰安婦問題など、残虐行為に関する記録情報を公表する法案(いわゆるファインシュタイン法)を成立させたことで知られており、両議員ともに、マイノリティ問題や戦時の暴力に対して、熱心に取り組む女性議員として知られています。
バーバラ・リー下院議員事務所を訪ねた後で、交流会に合流した奥平一夫氏(宮古島/県議)は、議員補佐官との会談の様子に触れ、「議員補佐官に対し、米国も当事者であると強く指摘しました」と述べ、反対派の県民が身体を貼って工事車両が基地内に入ることを阻止している中、県警や警視庁の屈強な機動隊が排除を強権的に進めている現状を説明したといいます。
「建設工事は、米国政府が(基地内に入るための)入構許可証を発行しているから可能となる。この許可証を発行しないようにと、裁判闘争の間は工事を止めていただきたいのだと、リー議員の補佐官にお話ししました」
会談に参加していた比嘉京子氏(県議員)に後日取材したところ、補佐官は、「同情はしていますが、補佐官の立場としては、自分の個人的な意見を言うことができません。しかし、気持ちはしっかりと聞き入れました。バーバラはおそらくこの問題に関心があると思いますので、必ず彼女に伝えます」とコメントしたそうです。
奥平氏は、今後リー議員を沖縄に招待したいと考えていると報告しながら、「バーバラ・リー議員の補佐官の理解ある態度も、バークレー市議会の支援決議の影響があるのではないかと考えています」と述べました。
また、ファインシュタイン議員との会談に参加してから遅れて交流会に参加した呉屋守将氏(金秀グループ会長/訪米団団長)は、遅刻したことにお詫びをした後、「ファインシュタイン議員との会談に行きましたが、1時間の約束を15分ほど延長し、真剣に聞いていただきました」と報告、「大変勇気づける決議をしていただいた。民主主義の発信地バークレー市でこれからもっと大きな運動につなげていける」とコメントしました。
前出の比嘉氏によれば、ファインシュタイン議員補佐官も、熱心にメモを取りながら話を聞いていたとのことです。
バークレー市の原点~「私たちはベトナム戦争を覚えている」
▲「ベトナム戦争時に初めて政治的認識を持った」と話すジョージ・リップマン委員長
島ぐるみ会議メンバーの謝辞や報告を受け、リップマン委員長は、冒頭の学生によるコメントに対し、「なぜこんな遠いところに支持者がいるのかと話していましたね。なぜなら、私たちはベトナム戦争のことを覚えているからです。あの時、アメリカはベトナムに大きな被害を及ぼし、それは沖縄にまでも及びました。沖縄の基地で、駐留米兵が女性に対し被害を与えたのです」と、1960年代、ベトナム戦争が自らの政治信条に与えた影響について語りました。
「米国の民主主義は人権を支援するような本物ではないのだと、あの時から、大人として、そういった政治的認識を持つようになったのだと思います」
リップマン委員長は、「米国という、沖縄から遠いところからの支援、と学生の方はおっしゃいましたが、基地問題は、日本、韓国、そして沖縄の問題に留まりません。決断は日本政府だけがするものではないのですから、米国政府にも責任があるのだと、そうした質問に対して私は答えています」と述べました。
また、ベトナム戦争時より活動を開始したという女性市民が発言し、「私たちのグループは、軍事帝国主義、その根底にある人種差別に反対しています。他の市議会の支援決議を求めているのであれば、モンタナ州のヘレナとカリフォルニア州のアメラダの新興の市民ネットワークに働きかけてはどうでしょうか」とコメントしました。
ヘレナとアメラダという町は、バークレーに似て市民活動が盛んな町なのだそうです。
注目したいのは、こうした60年代のベトナム戦争をめぐる反戦運動こそが、現在世界でも最も進歩的でリベラルと称されるバークレー市における市民運動のスタート地点だということです。
「その時、米国は沖縄を離さないと肌身で感じた」~沖縄出身日系二世の沖縄戦
▲沖縄戦に通訳として参加した、沖縄出身日系二世、フランク東氏。
交流会には、沖縄出身日系二世としてアメリカ陸軍情報部(MIS=Military Intelligence Service)に所属し、1945年の沖縄戦に参加したフランク・東氏も参加していました。
97歳、米国生まれの東氏は、沖縄県名護市出身の両親や兄弟とともに沖縄に帰国しますが、2015年4月15日に放映されたNHKのドキュメンタリー番組によれば、後に仕事のために単身米国に戻り、自身は米国、両親と兄弟が沖縄在住の状態で第二次世界大戦が勃発します。MISの日系人部隊に所属した東氏は、サイパン玉砕のニュースを聞き、沖縄の人々の犠牲を懸念し、沖縄系の日系人部隊をつくるよう上官に呼びかけたといいます。
昭和20年の6月下旬、山中に隠れていた東氏の弟が聞いたのは、沖縄県民に投降を呼びかける兄、フランク東氏の声だったといいます。当時について、東氏は、「あの頃はただ、自分の親兄弟をなんとかして助けたい一心だった」と語りました。
東氏は、辺野古新基地建設について、「米国はペリー提督の沖縄訪問以来、昔から沖縄が欲しくて仕方がなかった、それは歴史が証明していることです。私は米兵として、占領下の沖縄で3年間務めました。その時、米国は沖縄を離さないと肌身で感じました」と当時の体験を交えながら語りました。