東京藝術大学大学院准教授の毛利嘉孝(もうり・よしたか)氏が、ジャーナリストの烏賀陽弘道(うがや・ひろみち)氏、東京大学教授の安冨歩氏、そして、音楽家の片岡祐介氏を迎え、7月25日(金)に東京藝術大学で特別研究会を行った。
(IWJ・松井信篤)
東京藝術大学大学院准教授の毛利嘉孝(もうり・よしたか)氏が、ジャーナリストの烏賀陽弘道(うがや・ひろみち)氏、東京大学教授の安冨歩氏、そして、音楽家の片岡祐介氏を迎え、7月25日(金)に東京藝術大学で特別研究会を行った。
■ハイライト
京都大学経済学部の同窓生であり、互いの活動に注目をしてきたという、毛利氏、烏賀陽氏、安冨氏は「暴力の音楽と音楽の暴力」をテーマに話をスタートさせた。
マハトマ・ガンジー、マイケル・ジャクソン、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、マルコム・X、フランツ・ファノンについて語り合われた。
安冨氏は「抑圧されているという露骨な人種差別が存在する場面においてのみ、人間の魂を踏みつける・踏みつけられる関係が明瞭に見える」と述べた。烏賀陽氏は、1990年から2000年代にかけてアファマティブ・アクション(民族や人種による差別への是正措置)により、アメリカでブラック・ミドルクラス(中流階級の黒人)が多く出現したことで、これまで踏みつけられる側だった黒人が権力側へシフトする動きがあったと解説。
それにより露骨な人種差別から暴力が微分化(構造化)されたものとなったことで、抑圧が見えなくなったと、安冨氏は言う。加えて、日本も同様の状況であり、この状況下で「暴力論」のような思想を展開するのは難しい。暴力や抑圧は微分化されながら現在も存在している事から、抑圧に対して思考したガンジーやフランツ・ファノンの思想は未だ重要な役割を果たすとの見解を述べた。
続けて、「権力側が日々小さな抑圧の事象を人々に受け入れさせて、それが積分されると人間の魂は全く作動しなくなるというのが微分化された暴力だ」と安冨氏は説明する。烏賀陽氏が、クラブ・カルチャーを「私たちの日常の文化と対立するもの」とする、クラブ規制強化への動きに言及すると、安冨氏は「微分化された暴力で埋め尽くされた世界の中で流行するのは、微分化された暴力を正当化するものでしかない」と解説した。
烏賀陽氏は、福島第一原発事故以降の音楽シーンに失望したと語る。有名・無名を問わず音楽家が社会問題に関わろうとしないことがその理由だ。一方、毛利氏は意思を表明する音楽家もいるが、メディアが取り上げない事が問題だという。
片岡氏は「自分の表現をしていない音楽家は沢山いる」と指摘する。彼らにとって音楽は習うものであり、習っていると「言うことを聞く体質」が出来てしまうという。烏賀陽氏は「高度なトレーニングを積んだ音楽家というのは表現手段を持っている風に見えるけど、微分化された服従根性を叩きこまれているのか」と感想を述べた。(IWJ・松井信篤)
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トークも広範囲で盛りだくさん。最後の片岡さんの机たたきパーカッション最高!
微分化→構造化に。微細な身体や音・声の積重ねも、無意識下で人を支配する実感あり。