【IWJブログ・TPP特別寄稿vol.1】「米国は日本の公教育への参入を求めてくるだろう」 公教育を解体に導くTPP ―教育の私事化と教育格差の拡大 ~井深雄二 奈良教育大学教授 2013.6.27

記事公開日:2013.6.27 テキスト
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 IWJは、2010年に菅政権がTPPを突然持ち出した当初から、TPPにはらむ問題を追及し続けています。「TPP参加交渉からの即時脱退を求める大学教員の会」に賛同されている大学教員の方々は、800名を超えます。しかし、「大学教員の会」の2度にわたる記者会見を、IWJが中継した以外は、日本農業新聞が報じたのみで、同会の活動および賛同者の主張について、他のメディアではほとんど取り上げられていないのが現状です。IWJは、こうした知識人の方々の声を、少しでも多くの人に伝えたいと考え、寄稿をお寄せいただけるようお願いしております。

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◆◇公教育を解体に導くTPP◆◇
―教育の私事化と教育格差の拡大―
奈良教育大学 学校教育講座 教授 井深雄二
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1.教育にとってTPPとは何か?

 TPP(環太平洋連携協定)は、経済のグローバル化の進展を与件として、新たな段階での資本の自由化を図るものである、と言ってよいであろう。

 資本の国家間の自由な移動にとっては二つの障壁ある。一つは、関税障壁であり、それは国民経済のバランスのとれた発展を目指す各国が築く経済的障壁(=経済的規制)である。

 いま一つは、非関税障壁で、それには社会的障壁と文化的障壁とがある。社会的障壁とは、公共性の強い社会保障・医療・福祉・公教育などにおいて敷かれている社会的規制である。これらの公共性の強い領域においては、国・地方公共団体がその質的保障のために社会的規制(例えば、学校設置基準)が行われると同時に多かれ少なかれ国・地方公共団体が何らかの予算措置を講じているのが普通である。

 このような国民の生存権を保障する措置は、しかし、市場万能主義の資本の立場からは不合理な規制と映じるのである。

 また、文化的障壁とは、例えば米国資本の立場から見れば日本における公用語が日本語のみであることは、日本への資本投下にとって一つの障壁なのである。

 以上の点に鑑みれば、TPPが関税障壁のみならず、非関税障壁の撤廃ないし、除去をその内容に含むことが予想される以上、日本の公教育にも大きな影響があると考えざるを得ない。

2.米国の過剰資本は、日本の公教育の市場化を望んでいる

 かつて小泉構造改革時代に置かれた「総合規制改革会議」は、日本の過剰資本の投資先として公共領域を求め、医療・福祉・労働・教育・環境・都市等が社会的規制改革の「重点六分野」に位置づけられて、その際の目標は「官製市場」の改革とされ、準市場を創出して教育分野等に競争原理が作用するようにすることを目指すものであった。

 しかし、公教育への株式会社の参入などは、「教育特区」の例外措置に限られ、かつ私学助成の対象からは外されるなど、依然として高い社会的規制が残された。

 しかし、TPPにおいてあらゆる分野の非関税的障壁の撤廃ないし除去が求められるならば、既にチャータースクールなどで活躍している米国の株式会社は、日本においても公教育への参入を求めるであろうことは想像に難くない。

 その場合には、公立学校を基本に組み立てられている日本の義務教育制度は、グローバルな(アメリカ流の)構造改革(新自由主義的改革)が求められるであろう。即ち、義務教育費国庫負担制度の廃止とバウチャー制度の導入などが検討されることにならざるを得ない。

 しかし、NCLB法(落ちこぼれ零法)の下におけるアメリカの公教育が、いかに荒廃しているかということは、知るものぞ知るというのが実相である(※1)。それを、日本に持ち込むことを可能にするのがTPPである。

 新自由主義は、市場原理を崇拝しているので、何事も良いか(消費者が好むか)悪いか(消費者が嫌う)は、やってみなければわからない(市場化テスト)と主張する。

 しかし、公教育は、一方では子どもの「学習権」を保障すべきものであって、これまで積み上げられて来た教育関係者の経験と教育学に基づいて行われるべきものである。

 他方では、市場化テストは短期的な成果を競うものであるが、公教育は「国家百年の計」と言われるように、「市場化テスト」にはなじまないものである。

3.TPPの観点から見た自由民主党の日本国憲法改正草案(2013年)

 このほど公表された自由民主党の日本国憲法改正草案(2013年)をTPPの観点から見ると、看過し得ない問題点が現れてくる。

 現行の日本国憲法における教育条項は、以下のとおりである。

 第26条
 1 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
 2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

 これに対して改憲草案では、同条に下記のような1項を増設しようとしいる。

第26条(教育に関する権利及び義務等)1.2.略
 3 国は、教育が国の未来を切り拓く上で欠くことのできないものであることに鑑み、教育環境の整備に努めなければならない。

 この改正案の意味について、自民党「日本国憲法改正草案 Q&A」では、次のように解説されている。

 (Q17)教育環境の整備について規定を置いたのは、なぜですか?

 (答)憲法改正草案では、26条3項に国の教育環境の整備義務に関する規定を新設し、「国は、教育が国の未来を切り拓く上で欠くことのできないものであることに鑑み、教育環境の整備に努めなければならない」と規定しました。この規定は、国民が充実した教育を受けられることを権利と考え、そのことを国の義務として規定したものです。具体的には、教育関係の施設整備や私学助成などについて、国が積極的な施策を講ずることを考えています。

 従来、国民の教育を受ける権利に対応する国の義務は「教育条件整備義務」であると解されてきた。そして、それは準憲法的性格を持つと言われてきた旧教育基本法第10条2項で明示されてきたところである。ところが、2006年の教育基本法改正で、この教育行政の「教育条件整備義務」の明示規定が削除されてしまった。そして、今回の改憲草案で示されたのが国の「教育環境整備義務」の規定である。

 何故、「教育条件整備」ではなく「教育環境整備」なのか。それは、新自由主義的に解釈された「教育環境」とは「競争的教育環境」を意味することになるからである。「国の未来を切り拓く」教育とは、「エリート教育」重視の公教育である。1990年代半ば以降進められてきた「教育改革」は、「エリート教育」を公教育に組み込むことが一つの重点であった(いわゆる「ゆとり教育(※2)」、中高一貫校の選択的導入、入試制度の改革etc.)。

 そして、国・公・私立学校間の競争的環境(=イコールフッテング)を作ることが、いわゆる公教育における「規制改革」である。旧教育基本法は、「人格の完成」を目的する「教育の機会均等」を実現するために「教育諸条件の整備」を教育行政に義務づける趣旨であったことが、改めて想起される。

4.TPPの観点から見た「教育再生実行会議」の提言

  -第三次提言を裏から読む-

 閣議決定に基づいて政府の下に設置された「教育再生実行会議」は、去る2013年5月28日に第三次提言「これからの大学教育等の在り方について」を安部首相に提出した。このことについて、産経新聞は次のように報道した。

 「政府の教育再生実行会議(座長・鎌田薫早稲田大総長)は28日午前、小学校で英語 を正式教科とすることや、外国語教育に熱心な高校を『スーパー・グローバル・ハイス クール』(仮称)に指定して支援を強化することなどを柱とした第3次提言を安倍晋三首相に提出した。

 官邸で提言を受け取った首相は『大学力は日本の力の源であり、日本の未来だ。われわれの進めている成長戦略の柱が大学力だ』と強調した。

 提言は小学校における英語の教科化に加え、少人数での英語指導体制の整備、英語を母国語とする教員や指導員の配置拡大などを盛り込んだ」

 提言の若干の事例を挙げれば、以下のようである。

 ○ 日本国内において世界水準の教育を享受したり、日本人研究者が海外の優秀な研究者との国際共同研究を質・量ともに充実したりできるよう、国は、海外のトップクラスの大学の教育ユニット(教育プログラム、教員等)の丸ごと誘致による日本の大学との学科・学部・大学院の共同設置や、ジョイント・ディグリーの提供など現行制度を超えた取組が可能となるような制度面・財政面の環境整備を行う。

 ○ 大学は、優秀な外国人教員の増員や教員の流動性の向上のため、年俸制を始め教員の能力等に応じた新しい給与システムの導入を図る。また、日本人教員の語学力、特に英語による教育力を向上させ、英語による授業比率を上げる。外国人教員の生活環境の整備・支援(英語による医療、子どもの教育、配偶者の就労支援等)、大学事務局の国際化などトータル・サポートのための体制を整備する。

 ○ 国は、小学校の英語学習の抜本的拡充(実施学年の早期化、指導時間増、教科化、専任教員配置等)や中学校における英語による英語授業の実施、初等中等教育を通じた系統的な英語教育について、学習指導要領の改訂も視野に入れ、諸外国の英語教育の事例も参考にしながら検討する。国、地方公共団体は、少人数での英語指導体制の整備、JETプログラムの拡充等によるネイティブ・スピーカーの配置拡大、イングリッシュキャンプなどの英語に触れる機会の充実を図る。

 これらの提言は、日本の大学の国際水準をトップレベルに引き上げることを目標とし、英語教育の抜本的な拡充をそのための最も重要な手段としている、とひとまずはいうことができる。

 しかし、TPPを念頭において裏から見れば、公教育の労働市場を外国(とりわけアメリカ)に開放し、公教育に外資を引き入れ(海外のトップクラスの大学の教育ユニット[教育プログラム、教員等]の丸ごと誘致)、英語を準公用語化して非関税障壁としての文化的障壁を除去しようとしているかのようである。

 これまで、いかほどの国民が国内生活において英語(英会話)を必要としたであろうか。英語の時間を増やせば、これに代わる授業時間を削減しなければならない。その比較考量をした上での提言とはとても思えないのである。

おわりに

 アベノミクスの三本の矢(①大胆な金融緩和、②機動的な財政出動、③規制改革重点の成長戦略)は、デフレ対策としては①届くことのない、②かすめはしても、③基本的に的はずれの矢であると言われている(二宮厚美)。

言うまでもなく、TPP は成長戦略の一環に位置づけられているが、それは小泉改革時代以上の「構造改革」を国際公約するものに他ならない。公財政支出教育費の増大なくして、競争的環境の創出のみで、教育の質的向上が実現するかのような幻想を振りまく教育の構造改革(新自由主義的教育改革)は、教育の公共性を解体して私事化を促進し、これまで以上に教育格差を拡大することが懸念される。

 

IWJ編集部注

(※1)
米国では、市長任命のCEO型教育長中心の改革が実施されており、これは大都市に多く見られ、市場原理、新自由主義的発想や大企業の意向が多く反映されているという(2011年 鴇田憲司
『教育行政研究』第1号「教育改革における分権化と集権化についての一考察」 )。

さらに、NCLBは、個々の子どものおかれている環境や需要には対応しておらず、多元文化主義を支持しないし、公正な社会のために必要とされるキーとなる教育的、経済的および文化的資源の再配分への献身を欠いているため、その不公正を縮小し、除去する役割を果たしていない(2011年 甲斐進一
『椙山女学園大学研究論集』第42号「NCLBの評価の研究」(pdf))。

また、低所得層の学力格差の問題は深刻であり、障害のある児童・生徒や、英語を母語としない生徒も同一の基準で評価されるという問題や、NCLB施行前から学力レベルが低かった学校は、学力が向上していても、基準に満たないとして「要改善」と指定されるために、教員のモラルが下がり教員の離職率が上がるという現象が見られる(2009年 吉良直『教育総合研究』第2号「どの子も置き去りにしない(NCLB)法に関する研究」pdf)。

実際、米国における学力は低い。2009年のOECDによる調査によれば、15歳児童を対象に学力(学習到達度)に関してテストを実施したところ、読解力は日本が8位であるのに対して米国は17位、数学的リテラシーは日本が9位であるのに対し米国は31位、科学的リテラシーは日本が5位であるのに対し米国は23位と、各分野で先進国の中でも最低ランクの結果が出ている(参照ページ )。

(※2)
 第7代文化庁長官、教育課程審議会会長を歴任し、ゆとり教育を推し進めるための答申をまとめた作家・三浦朱門氏は、ジャーナリスト・斎藤貴男氏の取材に、次のように答えている。

 「できんものはできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺をあげることにばかり注いできた労力を、できるものを限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。(中略)国際比較をすれば、アメリカやヨーロッパの点数は低いけれど、すごいリーダーも出てくる。日本もそういう先進国型になっていかなければいけません。それが“ゆとり教育”の本当の目的。エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどく言っただけの話だ」(2004年 斎藤貴男『機会不平等』文藝春秋、40~41頁)。

 つまり、「ゆとり教育」の目的は、「エリート教育」であったことが、ここからうかがわれる。

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