2023年6月9日(金)午後6時より、東京都八王子市の船森公園にて、第425回目の原発反対八王子行動が実施された。
参加者は、東京都北多摩郡砂川町(現・立川市)付近にあった在日米軍立川飛行場の拡張/阻止を巡る「砂川闘争」について次のように語った。
「今では私有地になっているが、1957年に米軍基地の滑走路拡張に反対する『砂川闘争』が始まったところに入って、集会に参加してきた。
(場所は)三多摩平和運動センターというところ。1955年の闘争の始まりを思い出そうということで、200名近くの方が集まった。
6月3日のオスプレイによる立川自衛隊の基地への飛来に反対することもあり、集会を行ってきた。
当時は北多摩郡品川町。町議会全体も、アメリカ軍基地の滑走路拡張は絶対受け入れられないと反対闘争を行った。
東京地裁で『日米安保条約は憲法に反している、抵抗するのは当たり前である。政府の強権発動はおかしい』との(1959.3.30、当時の伊達秋雄裁判長による)伊達判決が出されたのに、その後米軍や日本国上層部が、高裁をポーンと飛び越えて最高裁へ跳躍上告し、最高裁がこの判決を破棄して東京地裁ヘ差し戻された。日本の裁判史でも最もおかしな『跳躍判決』。
10年ほど前に、その圧力はアメリカ軍から上がったことがはっきりとわかった(※)。
結局自衛隊の土地に関しては、安保条約に記載があるからしょうがないということになったが、その砂川闘争は流血まで起きてしまった。この抵抗運動は、市議会も揃って行い、最終的には拡張工事も諦めた。
市民(当時は町民)の方々が、自分たちの『戦争を許さない』という気持ちと同時に、自分たちの生活は自分たちで築くんだという強い思いの中で、そのような闘争が行われたのだと思いながら、集会でお話を聞いてきた。
オスプレイも飛来しているので、横田とも同じように連携した形で、私たちの生活の中で『これはおかしいぞ』と言っていくことは、大きな意味のあることだと改めて実感した」
- 砂川闘争(Wikipedia)
- 「この地で父は闘った」 今も続く娘たちの砂川闘争(2023.5.3、毎日新聞)
- 砂川闘争の現場を歩く――土地はなぜ返還されたのか(2017.2.2、ジャーナリスト・高瀬毅氏/Yahoo!ニュース)
- (※):地裁判決の翌日、マッカーサー米駐日大使は藤山愛一郎外相と会って、最高裁に跳躍上告するアイデアを提供。100の論点:2. 砂川事件とは何だったのでしょうか。(日本平和学会:水島朝穂 早稲田大学法学学術院教授)
- アイキャッチ:砂川事件の伊達判決が最高裁で覆される(1959年放送、NHKニュースアーカイブス)より