安保法成立、「子どもたちを戦場に送るな!」が切実な課題に ~イラク支援を続ける高遠菜穂子氏が語る「今の日本に伝えたいイラクの現実」 2015.10.17

記事公開日:2015.11.27取材地: テキスト動画
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(取材:沼沢純矢、文:IWJテキストスタッフ・花山格章)

特集 安保法制反対メッセージ

※11月27日テキストを更新しました!

 「病院では、イラク政府による『スンニ派狩り』に遭った人たちが血だらけでうめいていた。その1人が、『これがデモクラシーなのか』と口にした。かつて、米軍に蹂躙されたファルージャ市民が、今度はイラク政府軍に襲われている」──長年、ボランティアとしてイラクに通って来た高遠菜穂子氏は、自身が体験した戦地の不条理を語った。

 2015年10月17日、東京・東池袋の豊島区民センターにて、10・17集会実行委員会(10・23通達関連裁判訴訟団・元訴訟団14団体)主催による、「学校に自由と人権を!10・17集会 子どもたちを戦場に送るな!」が行なわれた。「10・23通達」とは、2003年10月23日に東京都教育委員会が、都立高校などの入学式・卒業式で国旗掲揚と国歌斉唱を行うように通達したものだ。これに反した多くの教職員が処分を受けており、教育現場でのナショナリズムの強化が問題視されている。

 冒頭で、「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会の近藤徹氏が、主催者を代表して挨拶をした。近藤氏は、安保関連法案が強行採決によって成立したことに懸念を示し、「日の丸・君が代」強制は戦争への道だと語った。「教育現場では愛国心を育てるために道徳教育を強化し、お国のために命を投げ出す子どもを作ろうとしている。『子どもたちを戦場に送るな!』という、この会のスローガンが切実なものになってきた」と眉をひそめると、今後の取り組みとして、安保法制に反対する各団体と連携して、憲法、平和、民主主義、教育の自由を守るために戦うと表明した。

 高遠氏は、「今の日本の状況を考えると、私から伝えたい事がいっぱいある。遠いイラクの話だと思わないで耳を傾けてほしい」と聴衆に語りかけ、「イラクから見る日本~暴力の連鎖の中で考える平和憲法」と題して、戦時下に生きる人々の様子をリアルに紹介していった。

 高遠氏は、イラク戦争の後、2005年に成立したシーア派による新政府が、宗派主義を唱えてスンニ派に対する拷問や殺害を始め、それに耐えられなくなったファルージャの人たちから、イラク戦争で自国を踏み荒らした米軍への「待望論」すら出てきたことを説明した。

 「反米感情がもっとも強い地域でさえ、米軍を待つような、ひどい事態が起きていた。それで、オバマ大統領が空爆を行ったのだ。こういう事実が日本では報じられない。日本は情報鎖国を克服し、テロを生み出す他国の背景を理解してほしい」と訴えた。

 また、日本の安保法案成立のニュースを知ったイラク人から、「日本はアメリカに追従しなきゃいけない国だからね」と皮肉を言われたとし、「イラク人の方が、日本の本当の姿、平和憲法が形骸化していることを知っている」と話した。

■ハイライト

  • 講演 高遠菜穂子氏(イラク支援ボランティア)「イラクから見る日本〜暴力の連鎖の中で考える平和憲法」
  • 歌のメッセージ 中川五郎氏(フォークシンガー)(※録画には含まれません)
  • 特別報告 澤藤統一郎弁護士(東京「君が代」裁判弁護団副団長)「『君が代』訴訟の新しい動きと勝利への展望」
  • タイトル 「学校に自由と人権を!10・17集会 子どもたちを戦場に送るな!」
  • 日時 2015年10月17日(土)13:30〜16:30
  • 場所 豊島区民センター(東京都豊島区・東池袋)
  • 主催 10・17集会実行委員会(10・23通達関連裁判訴訟団・元訴訟団14団体)
  • 告知 「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会

「君が代裁判」の勝利は「粘り強く戦い続けた成果」

 第二部は、東京「君が代」裁判弁護団副団長の澤藤統一郎弁護士が登壇し、これまでの関連裁判の経過を振り返った。澤藤弁護士は、IWJ代表の岩上安身、梓澤和幸弁護士とともに、自民党改憲草案と日本国憲法を比較しながら逐条で読み解く鼎談を重ねてきた、憲法通の弁護士である(鼎談をまとめた書籍『前夜』の増補改訂版が近日発売予定)。

 10・23通達関連訴訟の流れについて、澤藤氏は、「2006年9月、予防訴訟第1審判決は全面勝訴。これでいけると思ったが、翌年、ピアノ伴奏強制拒否事件の最高裁判決で、ひっくり返された。これが受難の始まり。その後の下級審はすべて、最高裁の判例に従った」と語る。

 しかし、2011年の3月、第1次「君が代裁判」控訴審判決では、原告全員について、都教委の裁量権乱用ということで処分を取り消した。 その後、2013年の12月からは原告側が勝ち続けている。澤藤氏は、「粘り強く戦い続けた成果だ」と笑顔を見せた。その上で、「日本の民主主義を確立し、さらに日本の教育を、日本の未来や平和を、民主主義や立憲主義を守りたい」と力説した。

「イラク戦争は、大量破壊兵器を持っていないことを証明できなかったイラクが悪い」と言い続ける安倍総理~なぜこの点だけ「対米従属」ではないのか?

▲高遠菜穂子氏は講演中、安倍総理の「嘘」を指摘した

 イラク戦争について高遠氏は、大義がおかしいと言う。当時、イラクを攻撃するために、アメリカとイギリスは盛んに「イラクに大量破壊兵器がある」と言い立てた。そして2年後、多くのイラク市民が殺された後で、ブッシュ米大統領は「イラクに関する大量破壊兵器の情報は誤っていた」と発言。続いて、イギリスのブレア首相も間違いを認めた。

 では、イラク戦争を支持した日本はどうか、と高遠氏。「今回の安保法案に関する国会の審議の中でも、イラク戦争が話題に上っていたが、安倍首相をはじめ、日本政府は今に至るまで『イラクが悪かった』というスタンスを貫き通している。先日も安倍首相が、『大量破壊兵器を持っていないことを(イラクが)証明できなかったのが悪い』と発言した。不思議なことに、ここだけはアメリカに追随しないのだ」。

 当時、国連の査察団がイラクに調査に入り、2002~2003年まで700回、500ヵ所を調べて、イラクにその能力はないと報告している。その際、イラクは査察を喜んだわけではないが、妨害もしなかった。しかし、安倍首相は「イラクが調査を拒否していた」などと虚偽の発言くり返しており、高遠氏は、「イラク戦争に関する常識が、日本と日本の外では食い違っている。安保法案の審議の前に、イラク戦争の検証をしてほしい」と訴えた。

イラク政府の『スンニ派狩り』は、抵抗するものを『対テロ』名目で殺害

 イラクでは、2013年にやっと本格的な復興が始まった、と高遠氏は言う。「私は、イラク戦争でもっとも激しい米軍の攻撃を受けたファルージャの総合病院に長期滞在し、赤ちゃんの死亡率の現地調査や、心臓疾患の子どもたちへの支援を行っていた」。いろいろなことが軌道に乗り始めたのもつかの間、2013年12月末、ファルージャとラマディで戦闘状態になり、無差別攻撃にさらされた多くの人々が避難民となった。

 当時、スンニ派の市民は、毎週金曜日に各地で100万人規模のデモを行っていたという。高遠氏は、自分の遭遇した事件について、「その日は朝から銃声が聞こえていた。私は病院で知り合いの医者から『何かあったみたいだ』と言われ、ERに入ったら多くの人が血だらけ。すごいうめき声が聞こえた。この人たちはデモに参加していた人で、その中の1人が、『これがデモクラシーなのか』と私に言った」と振り返る。

 「2003年にも、米軍に銃を乱射されたデモ参加者から、同じことを言われた。その人は『アメリカはデモクラシーをよこすと言ったが、これなのか』と怒鳴った。10年経って、奇しくも同じ病院で同じことを、ファルージャ市民に言われた。ただ、ひとつ違うことは、銃を乱射したのが2003年は米軍、2013年はイラク政府軍だったということ」

 この時の死者は7名、負傷者は65名。その3ヵ月後には20名以上が死亡している。「殺されても殺されても、人々は次の週に再びデモを行い、丸腰で歩いた。そんな毎週金曜のデモが1年以上続いていた」と高遠氏。そして、2013年12月28日。イラク政府軍が、スンニ派市民の街に『対テロ』と称して空爆を開始。国内避難民と難民とが、この2013年年末から2014年正月にかけて急増し、新たに国内避難民になった人たちは320万人になった。

マリキ政権による、権力の座から閉めだされたスンニ派への残忍な弾圧──拷問されて殺され、路上に放置された山積みの遺体

 高遠氏は、イラクの混乱の要因のひとつとして、ISの勢力拡大も挙げた。2005年のイラク新政府樹立の後、特定の宗派や部族を狙った集団殺害が多発する。イラク内務省による『スンニ派狩り』が激しさを増し、2005年から2007年にかけてイラク難民が急激に増えている。

 「 2005年5月、バクダット市内のスンニ派のお坊さんの家に、新しく内務省が結成したイラク警察官がパトカーで乗り付けた。そのお坊さんは手錠をかけられて連行され、 3日後にバクダット市内の路上で遺体になって発見された。遺体には逮捕された時の手錠がそのままで、身体に医療縫合の跡があり、背中と頭頂部に電気ドリルで穴が開けられていた。拷問殺害である」。この事件をきっかけに、バクダット市内では連日のように70体から100体の、同じような遺体が路上に山積みになったと、高遠氏は話す。

 「全員が手錠をかけられ、医療縫合され、中には眼球を抜かれていたり、ドリルで開けた穴に劇薬を流し込まれた痕跡があったり。スンニ派市民の間には、恐怖が走った。『対テロ』という名の下に国際社会を安心させて、政権を握ったシーア派は強い宗派主義を唱え、スンニ派を誰でもいいから殺す、という状況がずっと続いてきたのだ」

シリアとイラクで有志国連合が空爆すれば、アジアやヨーロッパで報復が起きる時代へ

 ところが、これを海外メディアは伝えない、と高遠氏は指摘する。「このような状況なので、部族が自警団を結成してデモ参加者を守っていた。しかし、2013年12月28日は空爆も含めて、治安部隊の攻撃が大規模だったため自警団も規模を拡大。部族の革命軍として、たくさんの人が総力を上げて闘い、ファルージャの街中がすっからかんになった。そこに小規模だったが、ISと名乗る人たちがISの旗を立てた。これを海外メディアが『ファルージャがISに占拠された』と報じたのだ」。

 革命軍は、「海外メディア、ふざけるな」と怒りの声明を出したという。「今、イラクで一番重要な問題は、ISがファルージャを占拠したことではなく、イラク政府が自国民を殺していること。なぜ、そんな大問題を報道しないのか」と高遠氏は憤る。その上で、今の対テロ戦争はボーダーレスで、シリアとイラクで有志国連合が空爆すると、隣国だけでなく、数千キロ離れたアジアやヨーロッパでも報復が起きると語り、「どこにいても安全とは言えない。それが対テロ戦争。私たちは、そういうところに生きている」と力説した。

「イラク人を助ける」と言いながらイラク人を殺す

 そして、ISについて高遠氏は、「2003年以降、地元の抵抗勢力は、米軍の乱射などで家族を殺された遺族が中心だ。ここに諸外国からアルカイダ系の人たちが入ってきたが、彼らは『米軍を倒そう』と言っているのに、イラク市民ばかり殺す。これを見て地元の抵抗勢力は、アルカイダと完全に敵対した」と話す。このアルカイダがISの原型だという。

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