「戦争を賛美し、他国を批判すると新聞が売れる」 〜メディアを考える市民のつどい 忍びよる戦争とマスコミを考える 2014.11.15

記事公開日:2014.12.24取材地: テキスト動画
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(IWJテキストスタッフ・関根)

※12月24日テキストを追加しました。

 「国際連盟は、満州事変のきっかけとなる柳条湖事件は謀略ではないかと疑問視、リットン調査団を派遣する。すると、1932年12月19日、日本電報通信社(電通)や新聞聯合社(共同、時事通信)などの大手マスコミは、『満州国を否定するなら、国連の声明を受け入れられない』と共同声明を出した。戦争の後押しをする以上に、国民を煽動したのだ」──。元東京大学新聞研究所教授の桂敬一氏は、戦前のマスコミの権力への迎合姿勢を明かした。

 また、この夏の朝日新聞の慰安婦報道問題について、「マスコミの朝日バッシングは常軌を逸していた。読売新聞の朝日バッシングの量は、朝日新聞の慰安婦特集のページ数を超えている」と呆れた。

 元NHKカメラマンの小山帥人(おさひと)氏は、NHKの報道姿勢に疑問を持つ退職者有志1600人が、現在のNHK会長・籾井勝人氏解任の署名を集めていると語った。そして、1931年の満州事変勃発までは、戦争や軍拡に批判的だった朝日新聞も、当時の激しいバッシングと経営危機によって編集方針を変えたと言及。「この時に、戦争を報道し、よその国を批判すると新聞が売れるという前例ができた。それは今も残っている」。

 小山氏は、「電波は公共の財産で、主権は市民だ。権力監視の責任を自覚した自由な報道が必要。市民からのメディアへの発言と発信も大切だ」と訴えた。

 2014年11月15日、神戸市中央区にある兵庫県農業会館で「NHK問題を考える会(兵庫)」の「第32回 メディアを考える市民のつどい 忍びよる戦争とマスコミを考える」が開催された。マスコミ九条の会呼びかけ人で、東京大学などでメディア論を教えてきた桂敬一氏と、元NHKカメラマンの小山帥人氏が、戦前のメディアが戦争遂行に果たした役割を振り返りながら、現在の安倍政権のメディア戦略や朝日新聞バッシングなどについて語った。

■全編動画
・1/2(1時間2分)桂氏講演
※動画変換不良のため映像と音声に若干のズレが有ります。ご了承ください。

・2/2(2時間5分)小山氏講演/桂氏×小山氏対談

  • 主催あいさつ 貫名初子氏(NHK問題を考える会(兵庫)代表、元神戸市議会議員)
  • 講演 桂敬一氏(マスコミ九条の会呼びかけ人、元東京大学新聞研究所教授) 「戦後民主主義の危機とマスコミ〜朝日新聞たたきの意図するもの」
  • 講演・映像上映 小山帥人(こやま・おさひと)氏(自由ジャーナリストクラブ世話人、元NHKカメラマン)
  • 対談 桂敬一氏×小山帥人氏「新聞・放送の戦争責任」

集団的自衛権の閣議決定が牙をむく時、マスコミは後押しする

 冒頭の開会あいさつで、96歳と自己紹介した貫名初子氏は、「NHKは安倍政権と一緒に、世論を戦争へと押し進めている」と警鐘を鳴らした。

 続いて桂敬一氏が登壇。「安倍首相は、集団的自衛権の行使はできないと否定する内閣法制局長官の首をすげかえ、閣議決定を押し通した」と口火を切った。「有事になると、この閣議決定が牙をむく」と話す桂氏は、自らの戦争体験と比較しつつ、再び戦争が忍び寄る足音が聞こえる、と危惧した。

 桂氏は、満州事変のきっかけとなる1931年9月18日の柳条湖事件について、こう話す。

 「当時の国際連盟は(日本側の)謀略ではないかと疑問視し、リットン調査団を派遣した。すると、1932年12月19日、日本電報通信社(電通)や新聞聯合社(共同、時事通信)などの大手マスコミは、『満州国を否定するなら、国連の声明を受け入れられない』と共同声明を出した。戦争の後押しをする以上に、国民を煽動したのだ」

 さらに、この夏の朝日新聞の慰安婦報道問題について、「マスコミの朝日バッシングは常軌を逸していた。読売新聞の朝日バッシングの量は、朝日新聞の慰安婦特集のページ数を超えている」と桂氏は指摘し、次のように続けた。

 「書店では、売れるからと嫌韓本、嫌中本のコーナーが増えたが、実際は売れていない。今では、消費者に嫌われて逆効果だ。マスコミはますます信用を失っている」

武力行使で既成事実を作り、憲法改正へ

 桂氏は、安倍首相が行ってきたことを振り返る。「第1次安倍政権で、すでに戦後レジームの脱却を打ち出し、教育基本法を改悪した。第2次安倍政権では、靖国参拝、特定秘密保護法制定、集団的自衛権の行使容認の閣議決定をした」。

 さらに、2014年10月、2プラス2(日米安全保障協議委員会)の日米防衛協力指針(ガイドライン)改定では、(周辺事態を削除し)地球全域を網羅する協力体制を合議したことを挙げて、「戦争ができる国」の形を整えていく安倍政権に危機感を表明した。

 現在の国際情勢にふれた桂氏は、2014年9月、イラクでのイスラム国(IS)との戦いのため、アメリカが、フランス、オランダ、イギリスなどと有志連合を作ったことについて、「アメリカのジャパン・ハンドラーたちは、日本を戦争に引き込みたい。安倍首相も改憲より先に戦争をして、それに矛盾する憲法を改正する意図がある。マスコミも、それに同調している」と分析した。

産経、読売、日経は「安倍首相べったり」

 桂氏は、「産経新聞、読売新聞、日経新聞は、安倍首相べったりだ。NHKは、政府自民党のみを報道する。護憲派マスコミも、朝日新聞の慰安婦報道問題から失速気味。しかし、戦争では何ひとつ解決できないというのが、今の国際的な見解だ」と述べ、権力寄りのメディアを批判した。

 安倍首相の支持率は落ちているので、消費増税の先延ばしで巻き返しを図かるつもりだろうと、桂氏。「しかし、この総選挙で再び圧勝したら、どうするかわからない。戦争できる国作りを許さないと声を上げ、市民運動も、もっと横に連携する必要がある」と語気を強めた。

NHKは「政府監督容易なる組織」として始まった

 休憩後、自由ジャーナリストクラブ世話人で、元NHKカメラマンの小山帥人氏が登壇。「最近は、安倍首相の動向がNHKニュースのトップを飾ることが増えた。その報道姿勢に疑問を持つNHK退職者有志1600人が、NHK会長解任の署名を集めている」と前置きした上で、NHK設立の経緯についてスライド上映をしながら解説した。

 NHKの発足は、以下のようなものだ。1924年11月、東京放送局(初代総裁・後藤新平)が設立。「政府監督容易なる組織にすべき。普遍公正にすべき」とされ、1925年、政府の監督下で開業、放送を開始する。翌年、逓信省官僚が、東京、名古屋、大阪各局のトップに就任、3局を統一する。さらに、1928年(11月6日)昭和天皇即位の礼を報道するため、仙台から九州までの通信網を突貫工事で完成させ、全国に中継放送を開始した。

 1931年、満州事変が勃発する。小山氏は「当初は軍拡に批判的だった朝日新聞は、激しいバッシングを受けて方針を変える。この時に、戦争を報道し、よその国を批判すると新聞が売れるという前例ができた。それは今も残っている」と語る。

 戦後になると、進駐軍がNHKの設備と人員をそのまま引き継いだ。「組織として戦争加担の反省もないまま、再び動き始めたのが大きな間違いだ」と、小山氏は指摘する。

つぶれかけた読売新聞を戦争賛美で立て直した正力松太郎

 その後、市民メディアが活発化しているアメリカや、韓国の市民運動を紹介。必要な改革案(官による電波管理の仕組み、NHK会長の公選制、NHK経営委員の選出法、受信料の一部を市民メディアに、ジャーナリズム教育の必要性)などを列挙した上で、小山氏は「電波は公共の財産で、主権は市民だ。メディアは権力監視の責任を自覚し、自由な報道を。市民からのメディアへの発言と発信も大切だ」と述べて、講演を終えた。

 続いて、桂氏と小山氏の対談に移った。「1931年から1932年がメディアの転機だった」と小山氏が口火を切ると、桂氏も同意し、1918年、大阪朝日新聞が言論弾圧を受けた白虹(はっこう)事件や、満州事変以後の大手新聞の戦争賛美への変節ぶりを話した。

 「後藤新平は、1923年の虎ノ門事件(皇太子襲撃事件)の責任を問われて警視庁警務部長を失職した正力松太郎に、つぶれそうだった読売新聞を買い取らせる。そして、読売新聞は戦争賛美で経営を持ち直す。朝日新聞も、反戦から戦争支持へ報道姿勢を変えると、とたんに売れ始めた」

言論テロでメディアは声を上げにくくなった

 朝鮮戦争の際、日本でもあったレッドパージが話題になると、小山氏は「NHKでは119人がパージ(追放)された。民放に移った職員もいて、のちに名古屋CBS、四国放送などで社長になった者もいた」と話した。

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