「集団的自衛権の『非常に限定した形』は、まやかし」 〜集団的自衛権の危険性を語る 八木和也弁護士 2014.5.31

記事公開日:2014.5.31取材地: テキスト動画
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(IWJテキストスタッフ 花山/奥松)

 「これが最終の防波堤だということを、私たちはしっかり認識しなければいけない」──。

 2014年5月31日(土)、神戸市の東灘区民センターで「九条の会.ひがしなだ」による、緊急憲法学習講演会「為政者が勝手に憲法解釈を変えて良いのでしょうか? 〜戦争する国造りの企みを阻止するために〜」が行われた。明日の自由を守る若手弁護士の会兵庫支部長の八木和也弁護士を講師に、安倍政権が進める解釈改憲の問題について論じた。

 八木氏は「集団的自衛権は『戦争は違法』とする国連憲章からの抜け道である」と述べ、これまで日本政府がどのように憲法を解釈して平和を維持してきたかについて説明した。そして、今ある危機は「安倍総理による『必要最小限度』という考え方による解釈改憲」と話し、一内閣に日本を転換させてはならないと訴えた。

■全編動画

  • 講師 八木和也氏(弁護士、明日の自由を守る若手弁護士の会兵庫支部長)

集団的自衛権は合法的に戦争するための「抜け道」

 八木和也氏は集団的自衛権の概念を、次のように述べた。「ある国が襲われた時に、その同盟国が、襲われた国を守るために武力を行使すること。どうして、こういう概念が生まれたか。それには理由がある。第2次世界大戦後、戦争は国際法上、初めて明確に違法になった。第2次世界大戦では5355万人が死んだ。このままいけば、確実に人類破滅というところに至って、『戦争を止めるための装置が必要だ』という考え方が生まれ、第2次世界大戦の連合国が中心になって国際連合を作り、はっきりと、世界的に『戦争は違法』だとする憲章を作った。ただし、51条に集団的自衛権という概念が登場する」。

 なぜ、集団的自衛権が盛り込まれたのかについて、八木氏は「国際連合ができた時、ソ連が早くも共産圏を拡大する動きを始める。安全保障理事会という意思決定機関において、5大国(常任理事国)は拒否権を持っているが、ソ連が拒否権を行使して国際連合が機能しないのでは、とアメリカが心配した。そこで、南北アメリカ大陸に攻撃があった場合、アメリカ合衆国に攻撃があったとみなして、反撃できる権利を保持しておきたい。こうしてアメリカ大陸の国々が考えて、集団的自衛権を盛り込んだ」と説明した。

 「戦争を違法化して、自国が攻撃された場合についてのみ反撃できる形であれば、アメリカは、自分の同盟国が攻撃された時に反撃できない。これでは困ると考えて、集団的自衛権を盛り込んだ。つまり、合法的に戦争するための『抜け道』として編み出された概念である」。

政府解釈は「必要最小限度」でも集団的自衛権を否定

 日本における集団的自衛権の解釈について、「『我が国に対する急迫不正の侵害ではなくて他国が武力攻撃を受ける。こういう場合についてはこれは自衛権の行使とは言えないので集団的自衛権を認めない』という解釈を、1972年に最初に政府が示した。1981年にも、これと基本的に変わらない見解を示している」と八木氏は言う。

 「2004年、安倍晋三氏が内閣法制局に『必要最小限度に入るのであれば、集団的、個別的問わず、自衛権の行使は認められていると考えられるのではないか』と質問した。内閣法制局の秋山収氏は『そうではない。集団的自衛権は、そもそも我が国を攻撃するという場面でなく、他の国が攻撃されるという場面での問題だから、必要最小限度かどうか、程度の話ではなく、9条との関係で行使できない』と説明した」。

 「この時から、今の政府が採用しようとしている『必要最小限度論』は明確に否定されている。結局、今に至るまで政府の解釈は、集団的自衛権を認めないということで、冷戦以降の湾岸地域での戦争にも『参加しない』という判断をしてきた。憲法9条があり、集団的自衛権の行使が認められなかったから、戦争に巻き込まれなかったのだ」。

「必要最小限度」を再度持ち出す安倍総理

 安倍総理が取り得る解釈改憲の手法に関して、「どういう方法で乗り越えようとしているのか、まだ流動的である。彼は、考え方をどんどん変えてくる。最初は、砂川事件の最高裁判決を持ち出してきたが、これは人気がないとみて、次に安保法制懇を使って法的な根拠を見つけようと企んだ。しかし、どうやら安保法制懇にも乗らないのが安倍総理の考え方だ」と述べた。

 八木氏は、安保法制懇の報告書が出た日(5月15日)、安倍総理が記者会見で語った、「我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるとき、限定的に集団的自衛権を行使することは許されるとの考え方。生命、自由、幸福追求に対する国民の権利を政府は最大限尊重しなければならない。憲法前文、そして憲法13条の趣旨を踏まえれば、自国の平和と安全を維持し、その存立をまっとうするために必要な自衛の措置をとることは禁じられていない」という考え方について、このように指摘した。

 「これはまさに、1972年の集団的自衛権に関する政府見解が使っているくだり。安倍総理は、元々2004年の時に質問していた『必要最小限度』であれば、つまり国民の生命、安全を守るためならば、個別であっても集団であっても自衛権は容認されている、として乗り越えようとしている」。

今のラインを超えてしまえば、歯止めはなくなる

 集団的自衛権を容認した場合に起こり得ることとして、八木氏は「憲法9条で集団的自衛権は容認できないとされてきたから、アメリカからの要請も、ずっと突っぱねることができた。行使を認めることは、9条の歯止めをなくすこと。必要最小限度だと言ったところで、そんな話は通るはずがない。戦場に(アメリカと)一緒に行かなければならないし、それが日本の安全に影響を及ぼすかどうかという線引きを、実際の戦場で判断するのは不可能。『日本が襲われた時以外には、武力を行使しない』というラインを超えてしまったら、次のラインは設定しようがない」と警告した。

 安倍総理の会見での説明に関しては、「今、いきなり地球の裏まで行くと言ったら、国民から支持を得られないし、公明党からの理解も得られないとわかったので、『非常に限定した形』で認めると言っている。そんなことはまったくのまやかしで、一部でも認めてしまえば、後はイラク戦争のような戦争に巻き込まれていく。安倍総理は『湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してありません』と言っているが、全然わかっていない」と批判した。

 「憲法としての歯止めは、集団的自衛権を認めたら取っ払われてしまう。その時々の政権で、政策として、イラクに行かなければならないと判断したら、行くことになる。権力を縛るという憲法の役割を全然理解していないので、こういう不思議なことが言えるのだ」。

 そして、「非常に姑息なやり方で進められているが、今回は世論もごまかされかかっている。集団的自衛権は、これまでどのように活用されてきたか。そして、日本の戦後70年の政治の中で、集団的自衛権を認めないということは、どんな役割を果たしてきたのか。私たちはしっかり理解した上で、これが最終の防波堤であることを、認識しておかなければいけない」と力を込めた。

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