「人の命を金で買う、クボタの救済金制度。これは公害史に残る汚点である」──。
尼崎アスベスト訴訟とは、兵庫県尼崎市のクボタ旧神崎工場から、アスベスト(石綿)が飛散したことで、のちに中皮腫となり死亡した周辺住民2人の遺族が、クボタと国を相手に損害賠償を求めたものである。2014年3月6日、この控訴審判決が、大阪高裁で言い渡された。神戸地裁での一審判決に続き、住民1人のアスベスト被害は認定されたが、国の賠償責任は認められなかった。IWJでは、大阪高裁前での判決前集会、判決直後の様子や報告集会の模様を中継した。
クボタは、大阪に本社のある大手機械メーカーで、1950年代半ばから、尼崎の工場で毒性の強い石綿を含む製品を製造していた。同工場の従業員や工場周辺の住民らに健康被害(中皮腫、肺がんなど)が続出している。
- 13:30~ 判決前集会(大阪高裁前の公園)
- 15:00~ 報告集会(エビスビル)
加害責任を認めないクボタの姿勢
判決後に行われた報告集会で、松田康生弁護士は、兵庫県尼崎市のクボタ旧神崎工場周辺の石綿被害を巡る高裁判決について、「旧神崎工場から飛散した石綿による被害で家族を亡くし、クボタと国に対して、賠償責任を求めた2名の原告の内、山内康民氏の賠償請求が認められた一方、保井祥子氏側の訴えは、被害の裏付けとなる証拠、時期などを特定できないため、退けられた」と報告した。
原告の山内氏は、「被害範囲を工場周辺300メートル」とする神戸地裁判決を踏襲した、今回の判決内容を問題視した。また、加害責任を一切認めず、裁判を避けるために救済金制度を作ったクボタの姿勢を、「この救済金制度は、人の命を金で買う、公害史に残る汚点だ」と批判。「救済金を受け取らざるを得ない状況に被害者を追い込み、加害責任を追求できないようにさせる狙いがあった」として、「金儲けのために、人の命を軽く見る。そういう考え方を切り替えていただきたい」と訴えた。
「300メートル限定」にされた被害範囲
保井氏は「皆さんの協力で署名を集めてもらい、応援してもらい、裁判に希望を持っていたが、判決内容を聞いてとても悲しい。母がアスベストで死んだという真実を、今後は最高裁判で明らかにしていく」と上告の意思を示した。
弁護団事務局長の八木和也弁護士は、控訴審判決の内容を解説する中で、被害の根拠となる車谷論文(奈良県立医大の車谷典男教授がアスベストの飛散リスクを論じたもの)の信用性が「十分にない」と判断され、被害範囲が「工場から300メートル」と限定された背景を説明した。
「保井氏側の請求が退けられたのは、自宅が工場から1.2~1.4キロメートルにあったため、中皮腫の原因はクボタの石綿ではない、とされた。また、国の責任に関しては、クボタがアスベストを出していた最後の年である1975年においても、国が規制するだけの知見はなかった、と結論づけている」。
このように話した八木弁護士は、「結果として不満はあるが、事実審の最終判断として、クボタの旧工場から飛散した石綿を『公害』として、2回目の判断が下されたことは大きい。クボタ側が、どのような対応をとってくるかわからないが、また、新たな闘いを始めるつもりである」と述べた。