アスベスト被害者の多くは、集団就職で故郷を離れ、地方から出てきた人々。社会の底辺に身を置きながら、日本の高度成長を支えてきた人々だった。
アスベスト被害が国際的な問題であり、過去の惨禍を繰り返さないよう、大阪府泉南地域で起こった甚大なアスベスト(石綿)による健康被害を知るための学習会が2日、衆議院議員会館で開かれた。講師には東京工業大学大学院の村山武彦教授が招かれ、国際問題となっているアスベスト被害について解説した。
(IWJ・安斎さや香)
アスベスト被害者の多くは、集団就職で故郷を離れ、地方から出てきた人々。社会の底辺に身を置きながら、日本の高度成長を支えてきた人々だった。
アスベスト被害が国際的な問題であり、過去の惨禍を繰り返さないよう、大阪府泉南地域で起こった甚大なアスベスト(石綿)による健康被害を知るための学習会が2日、衆議院議員会館で開かれた。講師には東京工業大学大学院の村山武彦教授が招かれ、国際問題となっているアスベスト被害について解説した。
記事目次
■ハイライト
村山教授によれば、日本において、アスベスト関連がんの中皮腫による死亡は、年々増加傾向にあり、昨年2012年には1400人に達したという。その中でも、宮城県男性の中皮腫死亡者数は、前年の2011年より2倍の増加がみられた。これについて村山教授は、裏付けはとれていないことを断った上で、「東日本大震災によるアスベストの飛散が関心を持たれ、この数字につながっている」と説明。「震災によってアスベストが直接影響を与えたということではないが、2005年のクボタショックの際には社会的な問題になり、翌年の中皮腫死亡者数が急に増えて、その翌年には減少した。社会的関心によって左右される可能性がある」と補足した。
アスベストの健康被害が拡大してしまった最大の原因を、「有害性はわかっていたが、情報が共有されなかったこと」と村山教授は断言する。日本でアスベストが使われ始めたのは、戦前・戦中において、「軍の主導、国の指示であり、当時の植民地へ工場も展開していった」と解説。戦後も有害性に関わる情報が共有されない状況は続き、対策につながらなかったという。
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