「7回生まれ変わって、天皇陛下のために死ね」 ~戦争は悪魔だ 一生に一度の青春も奪い去る ─私の戦争体験 堀之内八郎氏 2013.12.1

記事公開日:2013.12.1取材地: テキスト動画
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(IWJテキストスタッフ 関根/奥松)

 「七生報国の意味は、6回戦死しても7回生まれ変わって、天皇陛下のために死ね、ということだ」──。

 1944年、沈没する航空母艦「信濃」が伝えてきた「さらば祖国よ、天皇陛下万歳」との打電を通信兵として受信した堀之内氏は、「戦争は、えぐい」と心情を吐露した。また、「爆撃で亡くなった勤労女子学生の遺体を、肩に担いで搬送した。血は噴き出し、とても臭く、顔にアゴはなく、左目が飛び出していた」と、戦争の凄惨さを包み隠さず、時に涙を拭いながら語り聞かせた。

 2013年12月1日、神戸市の東灘区民センターで、講演会「シリーズ 私の戦争体験(その9)『戦争は悪魔だ 一生に一度の青春も奪い去る~』」が行われた。1928年(昭和3年)神戸市生まれで、予科練を経て土浦航空隊・横須賀久里浜通信基地で終戦を迎えた、堀之内八郎氏が戦争体験を語った。主催した九条の会 ひがしなだは、2011年から戦争体験を語ってもらう会を、現在まで9回、開催している。

■全編動画

  • 語り部 堀之内八郎氏(兵庫県高齢者生活協同組合 神戸中支部総代、1928年〔昭和3年〕生)

常に空腹に耐えながら「天皇陛下万歳」

 はじめに堀之内氏は、5歳の時に生まれて初めて覚えた、今上天皇の誕生を祝う頌歌を披露した。「時代はどんどん戦争へ向かい、必需品も配給制に変わっていく。常に空腹に耐え、天皇陛下万歳一点張りの、神戸での小学校時代だった」と幼少時の思い出から語り始めた。

 中学は、従軍記者だった父親が強く推した、滋賀県の近江八幡商業へ入学。そこでは食べ物には不自由せず、父親の強引な勧めの意図がわかった、という。そして、予科練(海軍飛行予科練習生)の入学試験の様子などを話した。

生まれ変わって、天皇陛下のために死ね

 堀之内氏は、出征の時に贈られた「七生報国」と記された日の丸の旗を取り出し、その言葉の意味を「6回戦死しても、7回生まれ変わって国に報いること、天皇陛下のために死ね、ということだ」と説明した。また、予科練での体験として、海軍式と陸軍式の敬礼の違いや、ハンモックのたたみ方だけを徹底的に教え込んだ、厳しく優しかった4歳上の班長のエピソードなどを語った。

 その後、通信兵となった堀之内氏は、米潜水艦に攻撃され沈んでいく空母「信濃」が、「さらば祖国よ、天皇陛下万歳」と伝えてきた最後の打電を受信したことを語り、「戦争は、えぐい」と心情を吐露した。

アメリカの若いもんも俺たちも一緒。どっちも青春がある

 当時、日本軍はフィリピンの山上にあったアメリカ軍の電波探知機を奪い、横須賀の通信基地に設置していた。堀之内氏は「B29の空襲が始まり、爆撃機はレーダーを避けるため、海上すれすれにやって来て、本土接近とともに急上昇した。また、大量の銀紙を飛散させてレーダーを妨害し、われわれは惑わされた。日本軍には、銀紙を撒くような経済力はなかった」と述べた。また、グラマン戦闘機との銃撃戦で敵機を至近距離で撃ち落とした話では、「アメリカの若いもんも、俺たちも一緒だ。どっちも青春がある。それを一瞬で失う戦争は悲惨だ」としみじみと振り返った。

 さらに、堀之内氏は「近くの工場が爆撃されて、勤労奉仕に来ていた大勢の女子学生が亡くなり、その遺体を肩に担いで搬送したことがあった。血は噴き出し、とても臭く、顔にアゴはなく、左目が飛び出していた」と悲惨な様子を語った。そして、無意識に、その女子学生の名札を引きちぎって持ち帰ったこと、それらの遺体にガソリンをかけて荼毘に付した時、焼かれる様子のあまりの凄惨さに、兵隊みんなが泣きながら帰ったことなどを、訥々と語った。

戦後も続く、遺族たちの悲しみ

 「終戦になり、仕事に就いて、4年後に東京転勤になった。ある朝、ふと目にした新聞に、戦時中に自分が遺体を運んだ、あの爆撃された工場が慰霊祭を開催する、という記事を見つけた。その開催日の8月15日、会場に赴き、持ち帰った女子学生の名札の遺族を探し出した」。

 「名札を手渡した時、女子学生の母親がのたうち回って嘆き悲しむ様子は壮絶だった」と、堀之内氏は身振りを交えて表現し、「ほかの遺族たちも、遺品の有無を問いただしに自分に押し寄せて来て、逃げ出すしかなかった」と語った。最後に、改めて亡くなった方々の冥福を祈り、堀之内氏は講演を終えた。

軍隊の激しいシゴキにも人間は慣れてしまう

 質疑応答になり、予科練へ入った理由を聞かれると、「天皇のために、死ぬために行った」と答えた。また、同じような戦争体験を伝える参加者もいて、堀之内氏は「このまま、いつまでも平和であってほしい」と話した。

 会場からは「死ななければ、戦争ほど面白いものはない、と言う元軍幹部がいた。今、自衛隊にも、戦争は楽しいと思っている人間がいるのではないか」という発言があった。堀之内氏は「身体が紫色に腫れあがるほどの激しいシゴキにも、時間とともに慣れてしまうものだ。また、予科練の生活では楽しいこともあった」と応じ、厳しさの中にも人間らしさを感じさせる裏話も披露した。

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