都知事選でなぜ脱原発?
安倍首相が何を言おうと、すでに脱原発は都知事選の争点になった。これには有権者の多くが納得している。
なぜ、都知事選で脱原発なのか? この疑問に、誰もがまず自然に上げるのが、東京都がダントツのエネルギー消費地であるということだ。東京で脱原発を訴え、それが実現できる道筋を示すことはとても大切なことだ。
といっても、すでに日本全国で動いている原発はゼロ。(石原元都知事をはじめ、このことを認識していないらしき人が多いのにも驚いた)であるから、「脱原発」=「再稼働せずに、原発ゼロの状況を続ける」ということになることに注意が必要だ。
都知事選はチャンスだ。この機会に、原発について、エネルギーについて、議論しよう。それだけでない。貧困について、教育について、福祉について、東京が抱えるたくさんの問題について徹底的に議論しよう。誰を支持しようが、各候補者の政策と実績をしっかりとみてほしい。
被害者救済こそ脱原発の第一歩
改めて、なぜ、都知事選で脱原発なのか?
私が最も重視している理由は、東京は福島原発事故の加害者だということ。
福島第一原発の発電の多くは首都圏に運ばれ、私たちがそれを無自覚に使い続けていたわけだ。その東京にも放射性物質は到達した。そういう意味で東京の私たちは被害者でもある。
そして、東京には、6,000人以上の福島からの避難者、原発事故被害者が暮らしている。山形県をぬいて今や全国一位だ。
公営住宅に集団ですんでおられる人もいるが、個々にちらばって、都会の砂漠の中にひっそりと暮らしている方もいる。支援者や同じ境遇の方とつながっている方もいるが、支援を必要とされているのにも関わらず、孤独に生活されている方もいる。
いままでの故郷も、生きがいも、生業もすべてを失って、それでも必死に生活しようとしている人もいる。
東電からの賠償も、国からの支援も受けれずに、自らの判断で、家族や子どもを守りたい一心で避難を決断された方々もいる。
こうした方々の救済こそ、東京都の脱原発政策の最初の一歩にすべきではないだろうか。
2012年6月に制定された「子ども・被災者支援法」は、その後形骸化してしまった。
住宅・雇用・医療支援…すべてにおいて、残念ながら国の被災者の支援は行き届いていない。国に実施を求めると共に、東京都としてやれることはたくさんある。新知事には、積極的に取り組んでほしい。
東電問題、柏崎刈羽原発の再稼働
東京都は東電の大株主(といっても保有率1.2%)。それでも、株主としていろいろと提案できる。さらに83万キロワット使うユーザーで、東京エリアの行政主体という立場もある。
多くの識者が指摘するように、東電は実質的には既に破綻状態にある。税金を投入し、公然と粉飾決済を続けることで、生きながらえているのが実状だ。この東電救済スキームにより、結果的には、東電は延命のため、本来であれば真っ先に取り組むべき賠償や事故処理対策へのコストを切り詰め、柏崎刈羽の再稼働を急がざるをえない状況になっている。
疲労困憊した作業員たちが、事故収束作業を担わざるをえないのが実態である。身分保障も、健康管理も、十分な状況とは言い難い。
この悲惨な事故を生み出した東電の経営陣、三井住友銀行をはじめ銀行団や投資家は、責任を免れている。それどころが、柏崎刈羽原発を再稼働させるために巨額の融資を続け、さらなる利益をあげようとしている。国が東電に対して凍土壁などの汚染水処理対策費用に支出する一方、東電は、柏崎刈羽原発の再稼働のために、さらに巨額の費用を費やそうとしている。これはまちがっている。
お金を出すべきところは、事故収束、原発事故被害者救済、作業員のケアや身分保障であろう。
原発を生きながらえさせている社会構造そのものを問おう
原発の何が問題なのか。悲惨な事故と放射能汚染をもたらし、被曝労働なしには動かない原発。放射性廃棄物はまったく処理のめどが立たず、小泉さんが言うように、それだけとりあげたって原発止めるしかないでしょう、ということになる。コストだって高くつく。
湖西市長の三上さんの試算によれば、直接の発電コスト以外に、研究開発費、立地自治体への交付金、放射性廃棄物の処分・保管コスト、事故炉の廃炉コスト、事故時の賠償などを全部ひっくるめば、原発のコストは他電源よりだいぶ高くなる。
それでは、なんで原発がここまで推進されてきてしまったのか。
私が強調したいのは、原発自体の問題もさることながら、原発を存続させてきた、社会構造だ。この理不尽な装置を生きながらえさせ、被ばく労働の問題から社会の目を背けさせ、福島原発事故の被害者の被害をなかったことにさせたい、そこまでして原発を生きながらえさせたい構造があるということだ。原発の巨大な利権が作り出した大きな歯車をなかなか止められないでいるということだ。
大量のエネルギー消費を前提として、それに供給をおいつかせていく社会。うまく表現できないが、一極集中のエネルギー・電力構造、それに支えられている企業利益中心の考え方そのものに問題の根源があるのではないだろうか。
政策を見よう、議論しよう!
ちなみに私は宇都宮さんを応援している。理由の一つは、貧しい人、苦しんでいる人たちの権利のために、敢然とたたかってきたことだ。原発事故被害者に対して、賠償の改善や子ども・被災者支援法の制定のときに積極的に動いてくれた。
一方で、細川さんが「最後のご奉公」の覚悟で、脱原発をかかげ、立候補したことには心からの敬意をささげたい。おかげで、私たちは、原発について、東京について、考える大きなチャンスを頂いた。
でも、原発は重要だが、原発だけが都知事選の論点ではない。貧困に苦しみ、権利を侵害されている人たちはたくさんいる。東京の問題を直視しよう。それだけは繰り返して強調したい。
最後に言いたいのは、「自分で考えよう」ということだ。有名な誰それが応援しているから、ではなく。
各候補の政策をじっくり見てほしい。あえて解説することはしない。その上で判断しよう。
舛添要一さん
http://www.masuzoe.gr.jp/policy-2
細川もりひろさん
http://tokyo-tonosama.com/
⇒政策というボタンへ
宇都宮けんじさん
http://utsunomiyakenji.com/policy/
脱線だが、私の最近の反省、というか感想は、3.11後の脱原発運動は、あまりに文化人・有名人に頼りすぎてきたのではないかということだ。
3.11より前から、誰からも評価されずに、それどころか、「脱原発派」という、あたかも反社会的な一派のような「レッテル貼り」をされながらも、地道に脱原発運動に取り組んできた市民団体はたくさんある。私はこうした人たちをこそ信頼したい。
民主主義の基本は、市民の声と行動だ。そのことを胆に銘じたい。
1月14日に、細川、小泉両氏がホテルで会談し、記者会見で出馬表明、小泉さんの「原発がなくては成長できないという勢力と原発0で成長できるという勢力の闘いだ」と明解に発言されて依頼、細川さんを支持しています。
そのことに何人かの仲間から批判がありました。多くは「小泉さんは信用できない」「二人とも総理として原発を推進してきた」というもので、数日後には「他の政策がない」などの意見もありました。
私も60歳になり、あいつには裏切られたから顔も見るくない、なんて人は二、三人はいます。それでも、3・11以降の集会やテントで会えば、今は一緒に闘おうとスクラムを組みます。
今、彼らがどういうスタンスで行動しているかだけが唯一の判断材料です。逆説的に言うならば、細川さんたちの力を借りなければ、脱原発は本当に小さな運動しか作れないじゃないか、ということです。それで被災者を支援することができるんですか。
統一の求める人たちの記者会見で柳田さんは、再稼働を恐れる原発現場の方達の声を代表して細川さんを支持すると言われました。昨日の桜井市長の話も同様のスタンスで名演説をされました。思わず涙が止まらなくなった。
私も同じ思いです。お二人が「脱原発」を今回の争点にしてくれた。再稼働は何が何でも阻止しなければならない。この絶好の機会に、より多くの人と世の中を変えて行ける勢力が登場しようとしているのですからそれを心から応援します。鎌田さんのことばを借りるなら、後ろから弾を撃つひとたちには考え直して欲しい。
満田さんたちの運動も、体制が変わる中で、より成功に向かって進んで行けると思います。
今必要なのは勝利の果実を得ることです。その先の展望を持つことです。
そのためには、今回の選挙は必ず細川で勝利することだと信じています。
鎌田さんは、色んな批判を受けながらも、統一を希求するとおっしゃってます。そのことに敬意を表しつつ、私はここまで来たなら、たとえ意見の相違で仲間を失うことがあっても、今は細川さんが知事になって、現実に国の政策を変えさせる大きな勢力が出現することの方が大事だと思います。仲間はまた後から増やせばいいんです。
蛇足ながら一点、様々な点を上げて、そこでの一致が必要なんて言ってたらいつまでもまとまらない。岩上さんが「特区」ばかり取り上げているのを見てガッカリしました。勝つ気があるのでしょうか。敵はほんの一握りの原子力ムラ=安倍内閣なんですよ。
日頃から満田さんの活動を尊敬しているものとして申し上げました。
なんとおかしな論理でしょう。それなら宇都宮さんこそ、当選させるために、細川さんは降りるべきです。
自民党支持者を、目覚めさせ、本当に生きやすい東京を再生するために・・もともと今度の選挙は金権腐敗をなくすために始まったのですから・・サラ金の被害者を体を張って助けた宇都宮弁護士こそ、必要な人です。
もう自民党には引っこんでもらわなくては。
70年代の革新自治体が日本の三分の一だった時代を知っている者にとっては、平和と民主主義、憲法を守るために、名護に続いて、東京でもがんばって、流れを変えよう・・・と言いたいです。
宇都宮さんは”「原発事故子ども・被災者支援法」の趣旨に沿って、原発事故被害者に対する具体的な支援を実行”(総合政策集P.29http://utsunomiyakenji.com/policy/)と書いておられます。細川さんの政策集http://tokyo-tonosama.com/#policyの中には「原発被害者支援」の言葉を見つけることができませんでした。
被ばく労働についての考えもあるようですが、これについては過去から改めて検証するべきです。原発労働者の多くは下請け重層構造あるいは多重下請けと呼ばれる社会構造の中におかれ、その内情のほとんどが隠蔽され、一般社会からは見えない構造となっているわけです。それにより、労働者は平然と賃金をピンハネされた挙句、被ばく労働を余儀なくされるわけです。これは、特区と呼ばれる以前から延々と続いているわけです。これを歴史的に見れば、そこにあるのは差別と格差と貧困であり、戦前、戦後からの炭鉱労働者などのおかれた環境もこれにあてはめることができます。つまり、日本のエネルギーあるいは経済のために犠牲はやむなしという人道から外れた社会構造を変えないかぎり今後もこれは続くと私は考えます。さて、都知事選ですが、脱原発の主張は理解できますが、原発労働者からみた今回の選挙戦はどのように映っているでしょうか、先日の東京新聞の報道によれば、福島第一で働かれている作業員さんが選挙戦にあたって「福島を忘れてはいないか」と懸念されています。元、原発作業員として私とて同様な思いです。