※2011年1月10日の岩上安身による連投ツイートを再掲します。
近代ジャーナリズムの歴史をざっと振り返ってみる。狭義のジャーナリズムに限定せず、情報伝達手段の飛躍的革新のエポックメーキングをあげるとなると、やはりグーテンベルクによる活版印刷技術の発明をあげないわけにはいかない。
活版印刷技術は、火薬、羅針盤と並んでルネッサンス期の三大発明の一つ。活版印刷技術によって、大量の情報が伝達可能になり、出版印刷事業の成立だけでなく、宗教革命、近代科学革命の基礎ともなった、というのは、ご存知の通り。
享年49。その、あまりにも早すぎる死を悲しんだジャーナリストや市民活動家は、大勢いるだろう。福島原発事故後、不治の病と闘いながら東電の記者会見に連日参加。東電が約1万トンもの放射能汚染水を海洋投棄したことについて、「流水決定の責任者は、武藤栄副社長」との言葉を東電広報部から引き出している──。
2012年6月12日20時28分、日隅一雄氏は、がん性腹膜炎でこの世を去った。
死の1年余り前、そして福島原発事故の約2ヵ月前になる2011年1月9日、岩上安身が日隅氏にインタビューした。
※2011年1月8日の岩上安身による連投ツイートを再掲します。
ジャーナリスト、と聞くと、何だか難しい職業のようなイメージを持つ方も多いが、そんなことはない。誰でもなれる、最も簡単で間口の広い仕事であり、営みである,と思う。ランナーと同じ。家の周りをジョグするのもランナー、五輪のマラソンのメダリストもランナー。
ジャーナリズムの基本は、事実の伝達。事実をありのまま、できるだけ正確に伝える。これが、ジャーナリズムの基本。古代社会で狼煙をあげて情報伝達していたのも、ジャーナリズムのひとつ。
畠山氏は、1月5日に総務省会見をUstream配信したのに続き、1月7日の会見で、再び会見のインターネット生中継をされました。 今回は事前通告の上、総務省記者クラブの「個人で会見に参加する者は動画撮影禁止」のルールに挑戦しています。
2011年1月6日(木)、岩上安身が、フリーランスライターの畠山理仁氏にインタビューを行った。
前日の1月5日、片山善博総務大臣の記者会見で、畠山氏は許可されていない動画撮影とインターネット配信を行った。インタビューでは、その時、現場で何が起きたのか、なぜ畠山氏はそんな行動を取ったのか、また大臣や記者クラブのリアクションはどうだったのかなどについて話を聞いた。
2011年1月4日(火)14時半、東京都千代田区の外務省会見室において、前原外相の年頭記者会見が開かれた。会見で、前原外相は、今年の外交にかける考え方として、「経済外交の推進」と「日米同盟の深化」を軸とし、「外交課題へのチャレンジをこの1年、しっかり行って参りたい」と抱負を述べた。
2011年元日、小沢一郎議員の自宅で恒例の新年会が開かれた。
はじめに小沢氏が挨拶し、多くの民主党議員を前に、 集まってくれたことへの感謝の意を示した。
挨拶の中では、ねじれ国会について言及。自身の自民党時代を振り返り、野党と真摯な対話の中で切り抜けたことを挙げ、「ねじれ国会だから仕方ないという理屈は通用しない」と述べた。
最後に、国民から衆議院選挙で期待をされ課題も山積する中で、皆で協力し、共通の目標に向かって強い意志で行動し、実現していくしかないと、新たな年への決意を滲ませた。
2010年12月31日(金)、「IWJ年末特番サポーターチャンネル」を配信した。12月1日にインディペンデント・ウェブ・ジャーナルを立ち上げた岩上安身代表より「2010年10大ニュース」が発表された。
2010年12月31日(金)、孫崎享×岩上安身 2010年10大ニュース発表会が行われた。第1部では、真剣に10大ニュースを討論する。また第2部では、少しくだけてサポーターとカウントダウンを楽しむサポーターチャンネルを開設した。
特集 陸山会事件
2010年12月23日(木)、小沢一郎衆議院議員への単独インタビューが行われた。
岩上安身は小沢氏に対し、まず、インターネットメディアに出演する真意、民主党幹事長時代、オープン会見を開いてきた小沢氏の会見を取材した経験から感じたマスコミ報道との落差、そしてクロスオーナーシップ規制について等質問しました。
特集 陸山会事件
2010年12月22日(水)、岩上安身は、小沢一郎氏インタビュー前日に、小沢氏の弁護団長・弘中惇一郎(ひろなか じゅんいちろう)弁護士にインタビューをした。
小沢一郎氏が現在おかれている法的な立場、報道の「知る権利」と基本的人権を、どう折り合いつけていったらよいのか等、刑事弁護人の立場からのお話をうかがいました。