2011年10月7日(金)、小沢一郎衆議院議員が搬送された病院前から岩上安身が中継レポートをした。
2011年10月07日(金)16時より、経済産業省別館にて、原子力安全・保安院の記者会見が行われた。
2011年10月07日(金)11時より、東京電力本社にて、記者会見(11:00~、0:36′)が行われた。
福島第一原発6号機、制御棒駆動水圧系、原子炉冷却材浄化系の2系統を起動する予定。源氏RHRによる冷却が行われているが、万が一停止した場合の切換え冗長系として冷却を続けられる。
また、5-6号機側仮設タンクに貯蔵している淡水を、構内の散水に利用する計画がまとまったので、改めて公表する。
2011年10月6日、岩上安身が、郷原信郎弁護士へのインタビュー取材を行い、主に、やらせメール事件に端を発した九州電力問題、小沢一郎代議士の元秘書の3人に対して下された有罪判決、水谷建設からのヤミ献金を事実認定したその判決の内容などについて伺った。
2011年10月06日(木)16時30分より、東京電力本社にて、政府・東京電力事故対策統合本部 合同記者会見(16:30~、4:26′)が行われた。
作業者の健康診断は電離則第56条に基づき、半年に一回の頻度で全作業員対象に行っている。福島学校施設のモニタリング、学校給食の放射線検査について文科省の見解、原子力防災訓練の実施予定、東電への損害賠償請求裁判などが質問に上がった。また、明日の園田政務官とフリーランスの記者などの協議について質問があった。
2011/10/06(木)11時15分から、経済産業省別館にて、原子力安全・保安院の記者会見が行われた。
2011年10月06日(木)11時より、東京電力本社で、記者会見(11:00~、0:41′)が行われた。
50才男性、昨日の午前7時朝礼時に体調不良を訴え救急車で搬送したが、本日午前5時に死亡。診断書出てないため現時点では死因不明。原発事故作業員で亡くなられた作業員は3人目になる。
2011年10月6日(木)、岩上安身は、被爆者であり医師の肥田舜太郎氏にインタビューを行った。
肥田氏は、1917年生まれの医師。1943年日本大学専門部医学科卒業、1944年陸軍軍医学校卒業、広島陸軍病院に赴任中の1945年8月6日原爆に被爆、直後から被爆者救援・治療にあたった。全日本民医連理事、日本原水爆被害者団体協議会原爆被爆者中央相談所理事長などを歴任。1975年~被爆医師として欧米三十数カ国で被爆の実相を語り、核兵器廃絶を訴えている。主な著書に、『広島の消えた日:被爆軍医の証言』、『ヒロシマ・ナガサキを世界へ』、『ヒロシマを生きのびて』、訳書『放射線の衝撃 : 低線量放射線の人間への影響(被曝者医療の手引き) 』など多数ある。
2011年10月5日(水)、東京電力本店で、記者会見が行われた。
廃棄物処理量の関係でアレバを運用停止する。保安院からの指示により。事故にかかる映像で非公開になっているものを確認し、公開するように対応する。ふくいちライブカメラやプラントの監視カメラについて、撮影する内容や録画状況についての質問があがった
2011年10月5日(水)、16時15分から、経済産業省別館にて、原子力安全・保安院の記者会見が行われた。
2011年10月5日(水)、東京電力本社で、記者会見が行われた。
2号機ドライウェルHVH温度が、昨日23時に87℃から急に13℃上昇し100℃になっている。引き続き温度変化監視していく。2,3号機手順所報告は、マスキングに時間がかかるため、期限を延長し10/7までに提出する。そのた、手順書のマスキングについての質問があがった。
2011年10月4日、千葉県柏市にて、ベクミル 放射能測定器レンタルスペース プレオープンが行われた。
2011年10月4日(月)、東京電力本店で、記者会見が行われた。
保安院に提出した事故時運転操作手順書について、非公開マスキング個所が残っており、理由、分量、それを公開する判断などが質問に上がった。手順書公開は原則非公開であり、マスキングありでも非公開だと回答。また発電所の現地取材の要望が出ているが、マスメディア取材人数が多く、現場取材は検討進めている段階と回答。
2011年10月4日(火)18時から、経済産業省別館にて、原子力安全・保安院の『関電提出の報告書の誤りなどに関する説明』ブリーフィングが行われた。
東日本大震災から3か月後の6月11日、全国で脱原発を求める抗議行動「6.11脱原発100万人アクション」が開催された。全国100か所でデモや集会、パレード、シンポジウムなどさまざまな催しを行い、100万人を動員しようという目標を揚げたこの同時多発的アクションは、中央司令部のようなものがあったわけではなく、組織だって行われたわけでもない。全国各地で自発的生まれたバラバラの脱原発アクションを、サイト上でつなげていこうという試みだった。こうした「脱中心化」されたアクションが同時に行われると知った時、最初に脳裏に浮かんだのは、こうした一連の動きをマスコミは正確には伝えないだろう、ということだった。