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百人百話「第三十話」大塚愛さん 2011.11.5
特集 百人百話
「つながって生きていればいい」
岡山県生まれ。37歳。12年前に農業研修で訪れた双葉郡川内村で大工をしていた。夫と子ども2人の4人家族。事故後もライフラインに問題はなく、好きな場所を離れたくはなかったが、夫に促され岡山の実家をめざした。途中ニュースを見るたびに、怒りがこみ上げてきた。もう帰れないと頭では理解できても、気持ちがついていかず、毎日泣いた。関西以西は震災への関心が薄い。いまはここで伝えていくことが、自分の役目だと思っている。
百人百話「第三十二話」中田麻意さん 2011.12.21
特集 百人百話
「なんでテレビなんて信じてんの」
9歳の息子をもつシングルマザー。中学卒業後、様々な職業を経験し、離婚後も自分の収入だけで暮らしている。新聞やテレビの情報を信じ、「安全」を言う両親とは喧嘩が絶えない。カウンセラーの資格を活かし、仮設住宅を回っては、精神的にギリギリの人たちの話に耳を傾け、子どもたちにはおもちゃを配って歩いた。震災を機に価値観がかわった。モノがなくても、息子とごく普通の生活ができれば良いと思うようになった。いまは秋田への避難を計画している。
百人百話「第四十一話」尾形紀泰さん 2011.12.21
特集 百人百話
「人生をやり直そう」
43歳。家族は妻と子ども4人。事故後に避難した北海道小樽市で、全国から支援物資を集め、被災地区へ送る活動を始めた。2011年4月1日には、小樽の人たちと「Yarerukoto実行委員会」を発足させた。ただ、活動を進めるなかで、復興への前向きなエネルギーが満ちている宮城や岩手と、福島との違いに気付いた。原発は夢も希望も失わせる。いちばん大切で気になっているのは子どもたちのこと。将来、「オヤジ、あの時よく逃げてくれた」と言ってくれたらそれで良い。
百人百話「第二十九話」武藤類子さん 2011.10.14
特集 百人百話
「見えない柵」が張られている」
三春町在住。58歳。夫と母親の3人家族。経営していた喫茶店は、安全な料理が出せないからと閉じた。廃炉活動のひとつとして「女たちの座り込み」を企画した。私たちは「止められる」というメッセージを実感できたらと考えた。働く人を含め、原発には差別的な構造がある。利権も絡む。けれど震災により世界はかわった。自分で考え決断し行動する。それが社会をかえていく。隣人と語り合うなかから新しい社会が生まれてくればと願う。
百人百話「第三十八話・第三十九話」本田貴之直美夫妻 2011.12.18
特集 百人百話
「目に見えない敵とどうやって戦うんだ」
三春町出身。2人の子どもは、1歳9ヶ月と4ヶ月。事故の様子はテレビで見ていた。危険でも、国が事実を伝えるとは思えなかった。ネット情報で危ないと判断。知らない土地での出産、育児に不安はあったが、長男と妊娠中の子どもの将来を考え、京都に避難した。故郷は恋しいけれど、いまは家族 4人一緒で幸せ。自分が親になってみて、親の気持ちが分かるようになった。そばにいられず申し訳ないと思うが、京都を故郷にと思い始めている。
川根眞也先生 おやこ講座 於 福島市 2011.12.18
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2011年12月18日(日)に福島市で行われた、川根眞也先生 おやこ講座の模様。
川根眞也先生 おやこ講座 於 郡山市 2011.12.17
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2011年12月17日(土)に郡山市で行われた、川根眞也先生 おやこ講座の模様。
福島県および岩手県の子どもの尿検査結果およびハウスダストの放射能検査結果について(日仏同時会見) 2011.12.16
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2011年12月16日に行われた、福島県および岩手県の子どもの尿検査結果およびハウスダストの放射能検査結果について(日仏同時会見)の模様です。
百人百話「第二十八話」黒田節子さん 2011.10.14
特集 百人百話
「映像は嘘をつかない、本当に怒ったようには写りませんね」
郡山市在住。61歳。震災前は保育士。自治労でニュースペーパーを発行。震災後、周りを見れば「360度の困難」、避難するもしないも、どちらも地獄なのに、知事が見せた東電への怒りはパフォーマンスのようだった。これからを生きる子どもたちに、大人は責任がある。幼い子を抱えて留まっている母親たちの不安をまずは取り除くことが大切だと思う。放射能が降って、故郷はこんな良いところだったのかと改めて気付いた。本当に悔しい。
百人百話「第二十七話」高村美春さん 2011.11.26
特集 百人百話
「お墓は警戒区域内に・・・・、今はお墓参りすらできず」
南相馬市出身。43歳。3人の子を持つシングルマザー。週末は山形市に避難。事故直後、何も知らずに高線量地区を逃げた。すでに父母はなく、妹弟も他県に避難したため、元夫に子どもを託した。その時は、二度と一緒に住めないかもと泣いた。風花が舞う美しい故郷も、以前は田舎と嫌った。けれどいま、見知らぬ人ばかりの避難先から戻り、知った顔に出会うとほっとする。そうした懐かしい故郷を、子どもたちにも残してやりたい。
百人百話「第二十六話」田口葉子さん 2011.9.27
特集 百人百話
「3.11まで原発のことは何も知らなかった」
いわき市在住。43歳。美容関係。会社員の夫と子ども1人の3人家族。5月の連休まで母子で筑波方面に避難していたが、情緒が不安定になりつつある子どもを思い、自宅に戻った。学校側は「安全」と言うが、不安は拭えず弁当を持たせている。食材の汚染状況を口にすること自体がタブーとされるなか、心配し続ける自分がおかしいのかと思えてくる。情報格差によって安全性への認識が異なり、友人との間にも壁ができているように感じる。
百人百話「第二十五話」阿部留美子さん 2011.8.17
特集 百人百話
「『故郷を捨てるのか』と言われながら、避難して・・・・。」
伊達市出身。31歳。4歳の子をもつシングルマザー。新潟に避難中。放射能に関して周囲の意見は真っ二つ。危ないから避難した方が良いと言う人と、大丈夫だよという人と。大丈夫にも温度差がある。避難するときも、「福島を捨てるんだね」と言われ、キツかった。国民を守るのは国の義務。けれどいまその義務は果たされていない。除染は国が率先して行うべきことのはず。いつか娘と、福島に戻ってこられる日がくればと願っている。
百人百話「第二十四話」宍戸慈さん 2011.9.11
特集 百人百話
「朝7時、放送が終わった瞬間で泣いているんです」
郡山市在住。27歳。ラジオのパーソナリティー、情報誌の企画編集。事故直後、震災の状況をラジオから伝え続けた。リスナーの増加に、情報が求められていること、責任の重大さを感じた。「作物も恋愛も地産地消」という言葉に、そうだなと思う。震災への認識の違いが、恋人同士に亀裂を及ぼすこともある。被曝したから県外の人と結婚できないということではなく、同じ極限状況をともに体験した福島の人と、一緒になりたいと思ったから。
福島県庁へ要望書提出~県外住宅借り上げ打ち切り撤回に対する抗議 2011.12.11
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2011年12月11日(日)に行われた、「福島県庁へ要望書提出~県外住宅借り上げ打ち切り撤回に対する抗議」の模様。
百人百話「第二十三話」佐藤幸子さん 2011.10.13
特集 百人百話
「戦場の中に子どもは置いてはいけない」
伊達郡川俣町在住。53歳。夫と営む有機栽培農家「やまなみ農場」の傍ら、福祉事業、ヘルパー派遣業も営む。「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」世話人。子ども4人。チェルノブイリ事故から、原発について学ぶようになった。今回の震災で、福島は戦場になったと思う。子どもを守れないのに「安全な原発」を言うのは卑怯だ。先祖代々の土地に愛着はあるが、いまは子どもを助けること、次の世代に命を繋ぐことを優先したい。
FoE活動報告会~「3.11後の世界は――ドイツの経験、ふくしまの未来」 2011.12.8
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2011年12月8日(木)に行われた、FoE活動報告会~「3.11後の世界は――ドイツの経験、ふくしまの未来」の模様。
百人百話「第二十二話」渡部信一郎さん 2011.10.16
特集 百人百話
「お山というのは自分の命と同じなんだ」
三春町在住。56歳。郡山市で創業80年の家具商店「La Vida」を営む。妻と娘3人との4人家族。自身は店舗に留まるが、娘やスタッフ、お客さんも含めた疎開計画を考えている。原発は、何千年と続いてきた木の文化を根絶やしにする。東電への怒りもあるが、いまを生きる大人たちが、自然への感謝を忘れてはいないか。山は活力の源だ。その感受性を取り戻せるのが福島であり、そこに日本再生の可能性もあると思う。
福島市へ要請書提出~渡利地区を避難区域に指定してください~ 記者会見 2011.12.7
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2011年12月7日(水)に行われた、福島市へ要請書提出~渡利地区を避難区域に指定してください~ 記者会見のインタビューの模様。
百人百話「第二十一話」手塚雅孔さん 2011.9.1
特集 百人百話
「故郷を廃墟にしたくない」
郡山市在住。43歳。病院勤務(ソーシャルワーカー)。看護師の妻と子ども2人の4人家族。医療関係者でも、放射能のリスクについては意見が分かれる。子どもたちを避難させたいが、妻を説得することができない。親として、子どもが大切という思いは同じなのに、ついつい対立してしまう。都会とは異なる地縁血縁の強さを前に、愛する身近な人たちを傷つけまいと発言を躊躇う。けれどそれは、優しさではなく、自分の弱さではないのか。そう思い始めている。