住民「故郷で商売をしたい」医師「貧しい人のための診察を続ける」~IWJ安斎さや香記者、ペルー・リマ郊外の貧困地域の取材&インタビューを敢行 2013.5.21

記事公開日:2013.5.21取材地: | | テキスト動画独自
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(IWJテキストスタッフ・久保元)

特集 TPP問題

 TPP交渉取材のためにペルーのリマを訪れたIWJ安斎さや香記者が、日本時間の2013年6月21日に、リマ北部・アウグスティーノの貧困地域(スラム街)を取材した。同23日には、ベンタニージャ市の貧困地域で開業しているエマヌエル協会病院を訪れ、ペルーにおける医療の現状や貧困の実態などについてインタビューした。

■ハイライト

  • インタビュアー:安斎さや香、通訳ガイド:トウヤマ氏

貧困地域の取材

 安斎記者が取材した貧困地域は、リマの人ですら「絶対に近づかない場所」なのだという。この地域には、急な山の斜面にへばりつくように、レンガやトタンで造られた住居が無数に並び、マフィアに「みかじめ料」を払って住んでいる人が大勢いるとのことだ。安斎記者が日系人通訳ガイドのトウヤマ氏とともに、急斜面の階段を登っていくと、随所で崩れ落ちたレンガ塀や擁壁(ようへき)、土がむき出しで石だらけの斜面が目に飛び込んでくる。

 途中で出会った老婆は、「8年前にペルー北部から移住してきた」と話す。住宅を造っている40歳前後と思われる男性作業員(大工)は、地方出身とのこと。「田舎は仕事がなく、20年前にリマに来た。両親は5ヘクタールの畑を持つ農家だが、農業だけで食べていくのが大変だった」と話す。貧困地域には、建設中の住居が随所に見られるが、そのほとんどは、砕石を斜面に積んだだけの簡易基礎の上に、レンガをモルタルで固めた壁を用いた家屋が載る工法が採られ、鉄筋はほとんど使われていない。大きな地震が来たらひとたまりもないだろう。大雨によって土砂崩れや落石も起きるのではと心配になる。

 斜面中腹の給水場所近くにいた女性3人連れに話を聞く。「水道は給水場所までしか来ていないので、水は毎回汲みにいかなければならない」と、バケツを両手で持つポーズをしながら話す。このうち、一人の女性、30代前半と思われるモーヤさんが、「これから自宅に帰るところ」とのことで、取材を申し込んでみると「OK」という。

 モーヤさんの先導で、斜面の階段をさらに登っていく。登るにつれて、斜面や住居の状態がどんどん悪くなっていく。崩れたままの住居跡やレンガ塀、砕石が非常に目立ってくる。石積みの擁壁や地盤の状態も非常に悪い。薄壁やトタン屋根の住居も増えてくる。途中からは階段とは呼べないほど、状態の悪いゴツゴツの斜面を登っていく。全面トタン張りのバラック(バラックという言葉は適切ではないのかもしれないが)も増えてくる。

 途中、小高い場所から街の景色を望むと、遠景はスモッグで煤(すす)け、夕刻の街並みには無数の灯りが見える。対するに、近景は薄茶色のレンガ住居や茶色のバラック、むき出しの土や石といった、斜面に並ぶアースカラーの雑多な風景が目に焼きつく。しかも、灯りが見える遠景に比べ、近景の貧困地区には灯りがほとんど見えない。

 一方、麓(ふもと)の道路や住居には、日本から輸出された中古車だろう、日本車がたくさん見える。公園には、青々とした芝生が広がるサッカー場や、闘牛場もしくは野球場だろうか、円形の立派なスタジアムが見える。斜面に広がる貧困地区の至近距離に、比較的所得のある層が暮らすという構図。これらも、近年のペルーにおける急速な経済発展の光と影なのだろう。

 斜面は、もともとは人の手の入らない小高い山であった場所。当然、生活に便利な麓から人々が住んでいく。後から移り住んできた人ほど、斜面の上側での不便な生活を強いられる。上に行けば行くほど、アクセスの不便さや貧しさが影響するのだろう、屋根や壁が痛んだまま修繕されていない家が多い。地盤が悪いため、傾いたままの住居もある。景色の中にはテレビのアンテナが見られない。しかし、一軒のバラックの軒先にソニーの液晶テレビ「ブラビア」の化粧箱が置いてあった。室内アンテナで視聴しているのか、はたまたケーブルテレビなのかは定かではないが、貧富関係なく、やはりテレビは庶民の憧れなのだろう。

 モーヤさんの案内で自宅前に着く。安斎記者にコーラをご馳走し、小学生ぐらいの男の子3人を紹介してくれた。モーヤさんは、もともとペルー東部のアマゾン川近くの農村に住んでいたが、12年前にこの貧困地区に移り住んできたという。「リマに仕事で行った彼氏を追ってきた」と照れくさそうに友人と大笑いするモーヤさん。「私は4人きょうだい。農業(畑仕事)だけでは厳しかった」とも話す。そこへ彼氏、すなわち現在のご主人が仕事から帰ってきた。仕事は自営業の社長。テーブルを作る工場を経営している。奥さんも仕事を手伝っている。夫は携帯電話も持っている。生活を切り詰め、家計と商売をきちんとやりくりしている様子がうかがえる。

 「田舎に帰りたいと思うか」との安斎記者の問いに、ご主人は、「帰りたいけれど、あと4年ほど、いまの場所で頑張って、故郷で商売をしたい」と話す。「いま、両親はどうしているのか」との問いには、「畑仕事と商売を兼業している」と話す。モーヤさんも「田舎のほうがいい。畑が好きだから」と語る。「次はいつ来るの?ペルーに来たら、うちに来てね」と安斎記者に微笑むモーヤさん。屈託のない笑顔と貧困地区とのギャップが印象に残る。

日系人医師のキシモト部長へのインタビュー

 安斎記者が、ベンタニージャ市の貧困地域にあるエマヌエル協会病院を訪れると、同病院の部長を務めるキシモト医師が快くインタビューに答える。キシモト医師は日系3世で、「おばあちゃんたちが戦前に沖縄から移民した。両親はペルー生まれ」と流暢な日本語で話す。日本語が上手な理由を聞くと、「2004年に、日本のJICA(国際協力機構)のおかげで日本に留学し、日本財団のスカラシップ(奨学制度)で5年間学んだ」とのこと。

 キシモト氏が医師になったのは2003年。リマにあるサンマルコス大学医学部を卒業後、翌年に来日し、東京・築地にある国立がんセンターの内視鏡部で、消化器がんの早期発見と早期治療を勉強した。帰国後、ペルーで医院に勤務。「ライセンス(医師免許)のバリエーションが必要なので、(取得に)時間が掛かった」と話す。

 患者は毎日400~500人診察している。「この辺りは貧しい人たちが多い。エマヌエル協会は、子ども達のために学校を建て、健康のために病院を建て、日系1世の人たちも利用する老人ホームを建てた」とキシモト医師は話す。

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