2012年3月28日(水)、参議院議員会館で、福島第一原子力発電所の「第8回 国会事故調査委員会」が行われた。
第8回国会事故調査委員会 2012.3.28
(IWJ・遠田)
■ハイライト
- 参考人
武黒(たけくろ)一郎氏 東京電力株式会社 フェロー
広瀬研吉氏 元原子力安全・保安院長(現内閣府本府参与) - 出席者(委員)
黒川清 委員長(東京大学名誉教授)
石橋克彦 委員(地震学者)
大島賢三 委員(独立行政法人国際協力機構顧問)
崎山比早子 委員(医学博士)
櫻井正史 委員(弁護士)
田中耕一 委員(分析化学者)
野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
蜂須賀禮子 委員(福島県大熊町商工会会長)
横山禎徳 委員(社会システム・デザイナー) - 議事次第
1.委員長挨拶
2.調査活動報告
3.武黒参考人に対する質疑
4.広瀬参考人に対する質疑
東京電力のフェローである武黒一郎氏は、事故発生直後に官邸入りし、政府と東電の「パイプ役」として、原子力安全委員会の斑目春樹委員長ら関係者と事故対応に当たった。通信手段が不足している状況で、「事故に対応できる体制作りに務めたが、制約が多かった。十分に役割が果たせず、歯がゆい思いをした」と、当時を振り返った。
3月12日夜、1号機への海水を中断するよう指示したことについて、「いったん注水を中止し、菅直人首相(当時)に説明して了解を得てから再開すべきと考えた」と説明し、廃炉を避けるために注水をためらったとする見方を否定した。
住民の避難については、「総理や関係者、斑名委員長が議論した。私が意見を申し上げる機会はなかった」と明かし、また、原子力安全を第一義的に担うのは事業者であるとの見解を示した。
元原子力安全・保安院の広瀬研吉氏は、緊急拠点のオフサイトセンター設置を担当していた。野村修也委員が、同施設の運用基準を問うと、広瀬氏は「原発事故から受ける影響は、安全基準の検討の内になかった」と答え、事故対応の体制が不十分であったことが明らかになった。
また平成18年、国際原子力機関(IAEA)が新しい避難基準の導入を検討したことに対し、保安院が反対の文書を提出していた問題の理由について、広瀬氏は「地元と検討しなければならなかったこと」と答えた。
黒川清委員長は「東電は、事故防止のための努力を怠ってきた。安全委と保安院のダブルチェックも全く機能しておらず、政府、行政の責任は重い」と総括した。今後、事故調は6月をめどに調査報告書をまとめる予定としている。